日体大・浦上和樹主将、1月3日に流した悔し涙「もう負けたくない、次はシード権を」

77年連続で箱根駅伝に出場し、通算10回の優勝を誇る日本体育大学は、今年1月の箱根駅伝でシード圏内にあと一歩届かず、12位でフィニッシュした。古豪と呼ばれて久しい中、今年度こそは8年ぶりのシード権奪還を目指す。新チームを引っ張る浦上和樹(4年、九州学院)に伝統校の主将としての思いなどを聞いた。
先輩たちの教育実習期間中に感じた、主将の重責
冷たいビル風が吹く東京・大手町で、1月の寒さを忘れるくらい悔し涙を流した。あの日から約3カ月。箱根駅伝の1区で区間3位と好走した平島龍斗(4年、相洋)をはじめ、2区の山崎丞(4年、中越)、4区の田島駿介(4年、旭野)と”三本柱”は残っているが、出走メンバー10人中、5人が卒業。日体大の新キャプテンを任された浦上は、厳しい現実から目をそらさずに前を向いていた。
「臆することなくシード校に挑み、勝つんだという気持ちを持って取り組んでいけば、変わっていけるはずです。強い4年生たちが抜けて、戦力が落ちているのはチームでも理解しています。中間層がごっそりいなくなりましたから。僕らは昨年度よりも『弱い』と言われてスタートしましたが、目指すのは箱根のシード権。1月から3月にかけてはチームで良い練習をしっかり積めました。そこには自信があります。全員でPB(自己ベスト)115回も目標の一つなんです。昨年度は114回だったので、そこもみんなで超えていきたい」

リーダーらしい言葉には力がこもる。主将の役職もすっかり板についてきた。1年生から学年リーダーを務め、自らキャプテンに立候補。マネージャーを含む同期16人から満場一致で支持され、昨年12月初めにはすでに決まっていたという。主将になるべくしてなったと言っても過言ではない。3年生の夏前には前主将だった分須尊紀の代役を務め、同期の仲間とともにチームをまとめ上げていた。
「ちょうど、全日本大学駅伝の関東地区選考会の前でした。4年生が教育実習で1カ月ほど抜けて、3年生主体で練習したんです。そこでチームを引っ張っていく仕事が、どういうものなのかを学びました。分須さんだったらどうするのかなと考えることもありました。上に立つ立場になれば、みんな自分の言動に注目します。1人の存在でチームは大きく変わるんだなって。短い期間でも主将の重責を感じました」
最終的にはレースの1週間前に戻ってきた4年生の力も借りたが、3大会ぶりに全日本大学駅伝の出場権をつかんだことは貴重な成功体験になっている。

我慢強い走りが評価され、初の箱根路は5区を力走
競技者としても大きく成長した。2年目までは表舞台でほとんど活躍できず、苦労を重ねてきた。2年時は箱根駅伝のエントリーメンバーに名を連ねながら、当日変更で8区のサポート役へ。平塚中継所で7区を走った田島を迎えた場面は、今でもよく覚えている。
「田島は1年間、努力して箱根を走り、僕はタオルをかけて終わりました。正直、すごく悔しくて……。100回大会が終わった後、すぐに101回大会のことを考えていました。当時4年生が5区を任されていたので、次は僕がチャレンジするんだって。近年、日体大は山をうまく攻略できていなかったので、自分が5区を走り、シード権獲得に貢献するぞと」
3年目は故障しても、1月3日に誓った箱根への思いを忘れなかった。10月の箱根予選会は走らなかったものの、学生3大駅伝の初出走となった11月の全日本大学駅伝ではアンカーを務め、主力の集まる8区で区間10位。及第点の走りを見せ、箱根路のスタートラインにも立つことができた。我慢強い走りが評価されたのだ。区間は希望通りの5区を託され、1年前に中継所で出迎えた田島から襷(たすき)を受けると、落ち着いてラップを刻んだ。序盤に10位から12位まで順位を下げても、焦りはなかった。

「綿密にレースプランを立てていたんです。『上りですべて足を使うな』という指示通りに前半は抑え、山の中で順天堂大学、下り坂で東京国際大学、東洋大学を抜いて一時は9位まで行きました。『ひとつでも前へ』と玉城良二監督から声をかけてもらったのですが、ラスト1kmで東洋大に追いつかれて……。最後は力が残っていなかったです」
それでも、シード圏内の10位は死守した。設定タイムをクリアし、区間11位。翌日に希望をつなぐ力走を見せた。悔しさよりうれしさが勝る納得の走りだったと振り返る。復路には信頼する実績十分の4年生たちが控えており、チームとしても自信があった。
しかし、勝負どころの9区でまさかのシード圏外へ転落してしまった。大手町でタオルを持ってアンカーの二村昇太朗(4年、仙台育英)を待つ間に9位の東洋大と10位の帝京大学がフィニッシュラインに飛び込んできた。そこから遅れること1分24秒。ようやく日体大が戻ってきた。最後に明暗がくっきり分かれた光景は、脳裏に焼き付いている。
「シード権を獲得した大学と逃した大学の違いは、僕らが一番間近で見ました。うちは4チームのデッドヒートにも加われなかった。東洋、帝京が喜ぶ中、襷を待っているのが悔しくて、悔しくて、ずっと泣いていました。箱根が終わった後も、しばらくあのシーンを思い出したくなくて、1月、2月は箱根の映像を見なかったです」

新体制の発足後、全部員に投げかけた言葉
1月3日の夕方、大手町から日体大の健志台キャンパスに戻ってからも、チームにはどんよりとした雰囲気が漂っていた。手にしかけたシード権を逃した喪失感は計り知れない。報告会を静かに済ませた後、広い教室に3年生以下の全部員を集めた。新体制最初のミーティングだ。分須からバトンを受け継いだばかりの浦上は、選手とマネージャーの顔を見渡して口を開いた。
「もう負けたくない。次は絶対にシード権を取ろう。毎年、悲しい報告会になっているけど、来年こそは笑って終わろう」
浦上は自らにも言い聞かせた。
「『あの大手町を忘れない』って。二度とあんな悔しい思いはしたくないし、後輩たちにも経験させたくないんです」
芦ノ湖で手応えを感じた5区の20.8kmをもう一度見直した。
「プラン通りに走りましたが、序盤からもっと行けたんじゃないのかなって。青山学院大学、立教大学も前半から突っ込んでいましたので。僕はミスをしないように守りに入っていたと思います。そこがシード校との差でした」

ラストイヤーはリーダーシップを取りつつ、レースでも主将の意地を示していくつもりだ。最後の箱根駅伝では5区と9区を希望し、区間5位以内の個人目標を掲げる。「キャプテンは唯一無二です。チームを勝たせたいという思いが伝わるような走りを見せたいです」
もちろん、78年連続出場がかかる予選会の突破は絶対条件だ。伝統の重みはひしひしと感じているものの、プレッシャーがマイナスに働くことはないようだ。
「連続出場の記録は、日体大しかなし得ないもの。重圧を力に変えていきたいです。伝統校ならではの良さもあります」
歴史ある看板を背負う21歳の表情は明るい。すでに勝負は始まっている。トラックシーズンから力を注ぎ、「PB更新の回数を1回でも多く増やします」と柔和な笑みを浮かべていた。気負わず、全員で前へ進んでいく。
