フィギュアスケート

関大・木下咲良、浅田真央さんに憧れスケートを再開「人の心を動かすような演技を」

関西大学の木下咲良は今シーズンのSPで「SAYURI」を舞う(提供・関大スポーツ編集局)

フィギュアスケートで多くのトップ選手を輩出してきた関西大学。アイススケート部に所属する木下咲良(3年、関大高等部)も関西大学たかつきアイスアリーナを拠点に練習する一人だ。2014年ソチオリンピックで浅田真央さんの演技に心を奪われ、小学5年から本格的に競技に打ち込み、西日本ブロックに出場するまで上達した。「見ている人の心を動かすような演技をする」ことを目標に、部員たちと励まし合いながら日々練習に励んでいる。

浅田真央さんの演技に心を奪われた

木下がフィギュアスケートに出会ったのは5歳の頃だ。木下が住んでいる大阪府高槻市に関西大学たかつきアイスアリーナが建設されることになり、市の広報誌に高槻市民の幼児・小学生限定でスケート教室が行われることが掲載された。そのことを知った母親がいい機会だと思い、申し込んだ。応募者多数で抽選が行われ、幸運にも第1期生としてスケート教室に通うことになった。

しかし、当時は嫌々リンクに通っていた。教室の先生は泣いている木下を決して怒ることはなく、優しく接してくれた。その先生に会うことがモチベーションになっていた。教室は1年ごとに新規も含めた抽選が行われるため、木下は抽選から外れたことを機にスケートから離れた。

それから数年間スケートとは無縁の生活を送っていたが、何の気なしに見ていた2014年のソチオリンピックで、浅田真央さんの演技に心を奪われた。

「(4分間の)短い時間でここまで見ている人の心が動くものなのか」と感銘を受け、「私も誰かに憧れられる存在になりたい」と思い、両親にスケートを習いたいと懇願。縁があり、小学5年の春から関西大学たかつきアイスアリーナのチームに所属し、今度は選手としてリンクに通うことになった。

エレガントな演技が魅力の木下(提供・関大スポーツ編集局)

毎月のようにバッジテスト受験

再スタートを切ったとはいえ、身長が伸び、習い始めた頃の感覚はほとんど忘れていた。幼少期からスケートを習っている生徒が多い中で比較的遅いスタートになるため、木下自身は当初、試合に出られるくらいに上達することが目標だった。

しかし当時のコーチは、スケートを再開するのであれば目標は高く、ノービスの年齢(6月30日時点で12歳)でブロック大会に出場してほしいと考えていた。まずは小学生でバッジテストの5級まで取得することを提案され、木下も賛同し、練習に励むこととなった。

初級から始まり、1級、2級と順番に受けていくことになるが、テストは月に1回のペースでの開催となっている。級によっては、ステップとエレメンツなどを分けて受験することもできるため、木下はほぼ毎月のように何かのテストを受けていた。時には不合格になり再受験になったこともあったが、努力の甲斐(かい)があり、6年生の2月に5級を取得し、目標を達成できた。

同時期に、母から関西大学中等部の受験を勧められていた。熱心にスケートの練習に取り組む木下の様子を見て、スケートを続けるのであれば関西大学の系列校に進学した方が練習環境を維持できるのではと、先を見据えた提案であった。6年の夏から受験勉強に取り組み、見事に合格を勝ち取ることができた。

部活動では後輩を指導し、先輩らしい一面を見せる(提供・関大スポーツ編集局)

初めての全国大会で達成感

関西大学中等部に入学し、アイススケート部に所属。中学からスケートを始める友人とともに部活動をした後、所属しているチームの練習をするなど、とても充実した日々を送っていた。

6級の必須要件であるダブルアクセル(2回転半)ジャンプを習得し、近畿ブロックに出場する目標が現実味を帯びてきた。いつもできていることがバッジテストになるとできないこともあったが、ブロック大会の出場申し込み締め切り1カ月前に6級を取得し、ノービス最後の年に初めて、全日本選手権の予選となる近畿ブロックに出場できた。

全国につながる大会とはいえ、そもそも選手になってから出場した試合の数が少なく、近畿ブロックの重みというのを感じておらず、木下にとっては1つの大会に過ぎなかった。結果は振るわなかったが、自己ベストを更新し、目標としていた大会に出場できたという達成感は得ることができた。

翌年、ジュニア1年目のシーズンでは全国中学校大会の大阪府予選を勝ち抜き、初めて全国大会への切符を手にした。遠征も初めてで、わくわくした気持ちで開催地の長野県へ向かった。

「同じ中学生がこんなに上手とは」と驚くと同時に、全国大会に出場する楽しさも味わい、大きな刺激になった。練習に力が入るようになり、全国高校総体(インターハイ)に3年連続で出場。高校2年次に7級も取得し、次々と目標を実現していった。

大学は内部推薦の成績優秀者に与えられる特別推薦を利用し、関西大学文学部へ進学した。

アイススケート部の仲間と励まし合いながら練習している(本人提供)

大学に入り、自分が引っ張っていく立場に

進学時はスケートの進級テストでうまくいかないことが多くつらい時期もあったが、コツコツと積み重ねた結果、文武両道を実現している。

大学1年目からシニアに移行し、関西大学の名前を背負って数多くの試合に出場した。ジュニア時代も含めて初めて西日本ブロックへの出場が決まると、「ようやくここまで来たんだ」と高揚感があった。しかし周りを見渡すと、スケートを始めた時に買った雑誌に載っていた大庭雅(東海東京FH)や、世界選手権に出場している三原舞依(シスメックス)などがいることに驚いた。

7級所持者のみが利用できる時間枠で練習をする時は、「本当にここにいていいのだろうか」と思うこともしばしばあった。選手としてはずっと追いかける立場であったが、大学から競技を始めた選手に指導をすることもあり、自身が引っ張っていく立場に変わっていた。徐々に自覚が芽生えてきており、現在は後輩を指導し、先輩らしい一面を見せている。

2023年特別国民体育大会、24年国民スポーツ大会に鈴木なつ(左)と大阪府代表で出場した(本人提供)

昨シーズンはほぼ毎試合、自己ベストを更新するも結果がついてこないつらいシーズンだった。何をしても空回りで、気持ちと身体がついてこず号泣した日もあったが、「年明けに試合が1つもないのは悔しい」と挑んだ国民スポーツ大会派遣選手選考会では2年連続で大阪府代表として出場が決まった。

今年1月の国民スポーツ大会では「不甲斐ない演技をした」と悔やむも、あと2シーズンで引退することを決めており、「悔いのない競技生活のためにできる限りのことをやろうと気持ちが新たになった試合だった」と振り返る。

今シーズンのフリーはミュージカル映画の「La La Land」、ショートプログラム(SP)は昨シーズンのフリーで使用した「SAYURI」をSPバージョンにリメイクした。スケートを始めた当初からアップテンポの曲が多かったが、昨シーズン初めてゆったりとした曲調の「SAYURI」を使用し、曲と滑りがマッチした感覚があった。SPには苦手意識があるが、この感覚を信じて、昨シーズンよりも1つでも多くの試合に出場すること、そして当初より抱いている「見ている人の心を動かすような演技をする」ことが目標だ。

昨シーズンこそ結果がついてこなかったが、コツコツと努力を重ねて成長し続けている木下であれば、きっと近いうちに大きな花が咲くであろう。大きな舞台で、観客の心をわしづかみにする。そんな姿を見られる日がくるのを今から楽しみにしている。

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