大学バスケ

連載: プロが語る4years.

反発で始まった日大時代、4年間で司令塔になれた 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・3

プロが語る4years.
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日大バスケ部に入った当初、篠山はプレースタイルの違いに反発した(写真は日本大学新聞社提供)

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第4弾は男子バスケットボール日本代表の主将で、Bリーグ・川崎ブレイブサンダースでも主将として6シーズン目を迎える篠山竜青(31)。4回の連載の3回目は、日大でたたき込まれた考えるバスケについてです。

北陸高校でのつらい日々と母の道しるべ 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・2

「そんなにゆっくり攻めたって面白くない」

日大のバスケは、高校とはまるで違った。北陸高校ではとにかく速くゴールに迫るスタイルだったが、日大ではより緻密な戦略・戦術を駆使した、クリエイティブなスタイルを求められたのだ。「まさに、ターニングポイントでしたね」

篠山が入学当時を回想する。「北陸高校はみんな背が低かったので、スピードを駆使したバスケで日本一まで駆け上がったんです。ポイントガード(PG)としては、それだけでは絶対にいい司令塔にはなれないって、当時も分かってましたよ。でも分かっていながら、入学当時の僕はプライドばっかり高くて小生意気な若造で、大学のスタイルに対して反発があったんです。そんなゆっくり攻めたって面白くない、って」

当然、チームのスタイルに沿わない選手は試合に出られない。練習から外されることもあった。態度の悪さを指摘され、反省文を書かされこともあった。
それでも指導者たちは、篠山を見捨てなかった。

「川島(淳一)監督と、城間(修平)アシスタントコーチに、ゆっくりゆっくり教わりながら、大学4年間でちゃんとしたポイントガードになれたのかなと思います」

川崎ブレイブサンダースや日本代表のPGとしてチームを操る現在のスタイルは、まさに日大時代に築かれたものだったのだ。

日大の4年間で、考えてプレーするバスケを一つひとつ学びとっていった(撮影・小澤達也)

「お前のせいで負けた」と言われ、一から学んだ

大学2年生のとき、城間コーチに言われた言葉は、いまでも篠山の心に残っている。

「この試合、お前のせいで負けたけど、分かる? 」

ミーティングで負けた試合の映像を見ているときだった。篠山は何も言い返せなかった。

「ぜんぜんチームをコントロールできてないよ、ってことだったんです。イケイケドンドンだけではやっていけないよ、と。『そんなにもかよ』って、ちょっとムカつきましたけど、そこまではっきり言われたことはなかったですし、いまでも忘れられないですね」

厳しさは愛情の裏返しだった。新たなスタイルにアジャストできない篠山に対し、城間コーチはPGのイロハをたたき込んでいった。

「本当にすごく丁寧に、いろんなことを教えてもらいました。考え方だったり、戦術の組み立て方だったり。城間コーチのおかげで、いままで以上にバスケが楽しくなっていきましたね」

篠山にとっては初めての挫折だった。小中高と常に中心選手であり続け、順調なキャリアを築いてきたはずだった。ところが大学では自分の思い描いたプレーができない。試合に出られず、監督との関係もうまくいかず、心が折れかけたこともあった。その中で城間コーチの存在は、篠山にとって非常に大きかった。ターニングポイントを与えてもらった。

寝耳に水の日本選抜チーム入り、応援を頑張った

日大時代にもう一つの転機があった。2年生の夏にあった大学バスケの日韓戦「李相佰盃日韓学生競技大会」に、日本選抜の一員として参加したのだ。

「なぜか12人に残っちゃったんですよ」。篠山はいぶかしげに当時を振り返る。

「まだ2年だったし、ほかの大学にもいいガードがたくさんいたのに、なぜか選んでもらって。結局、試合にはあまり出られなかったですけど、練習でもいろいろと吸収できることは多かったです。それに、大学の代表チームに選ばれてるのに、自分のチームで監督とうまくいかなくて、ヘソ曲げてるなんて絶対にダメだなと思って。あれからバスケに取り組む姿勢に変化が生まれたかなって思います」

初めて日本選抜に入った選ばれた篠山は、チームを応援で支えた(撮影・小澤達也)

当時の日本選抜を率いていたのは、東海大の陸川章ヘッドコーチだった。なぜ選んでくれたのかは分からないが、陸川ヘッドコーチは篠山をこう見てくれていたという。

「あのときに言ってもらえたのは、練習を頑張ってるってことと、試合に出られなくてもしっかり応援してるという部分でしたね」

チームスポーツである以上、チームのために頑張れる選手が求められるのだ。「選抜はとくにみんなが試合に出たい気持ちが強いですし、ベンチでも『俺を出せよ』という雰囲気になります。でも僕の場合は、候補に選ばれた時点でも驚きだったわけで……。だから試合に出られなくても貴重な体験ですし、『応援を頑張らせていただきます!』 っていうメンタルでした。それが陸さんにすごくはまったみたいで。前向きなメンタルが、先につながったんだと思います」

「出会ってきたすべての指導者が恩師」

振り返れば篠山は「怒られたくない」という思いの強い少年だった。しかし小6のとき、怒られないために開き直り、チームを引っ張っていくという精神が培われた。

「そうですね。怒られるのが嫌でビクビクやってたのを、小学校のうちに変えられたのがひとつのポイントでした。あと高校3年間の厳しい環境の中で、仲間と一緒にとにかく声を出して、バカになってやろうぜというメンタルを培えたのもよかった。小中高でいろんな経験をしながら、精神的にも成長できた。そう考えると、いろいろなことがつながって、いまがあると思います」

小学校から大学まで、それぞれの指導者の下で力を蓄えていった(撮影・小澤達也)

小学生のときにメンタルを鍛え、中学では努力を学び、高校では忍耐力を培った。そして大学では考えてプレーすることの重要さを学んだ。そのすべてがいまの篠山を形づくっている。だから、こう言うのだ。

「いままで出会ってきたすべての指導者が恩師です。それくらい指導者の方には恵まれてきました。そこの運は、すごくあるなと思います」

つづき「苦しいときはバカになって前向きに突き進め」はこちら

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