バスケ

連載: プロが語る4years.

特集:東京オリンピック・パラリンピック

バスケで負けては泣く毎日だった アルバルク東京・田中大貴1

友だちと遊ぶ手段として、バスケと出会った (すべて撮影・松岡健三郎)

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第3弾は男子バスケットボール日本代表で、Bリーグ・アルバルク東京の田中大貴(27)です。4回連載の初回は、遊びだったバスケが本気で取り組む競技に変わり始めた中学校時代についてです。

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長崎で通った小学校にはバスケ部しかなかった

田中は長崎県小浜町(現・雲仙市小浜町)で過ごした小学生のころにバスケと出会った。それはスポーツというよりも、友だちと遊ぶためのひとつの手段だったという。

生徒数の少ない学校だったため、部活はバスケしかなかった。小2になると、いつもの遊び仲間がバスケをやり始めたため、田中も一緒に入った。「友だちについていったという感じですね。最初はスポーツをやってるというよりも、友だちと遊んでるという感覚でした。それがスポーツだった、それがバスケだったという感じですね」。田中は当時をこう振り返る。

部のコーチは野球経験者で、バスケを一から学びながら教えてくれた。日々の練習メニューからもコーチの熱心さが伝わってきて、自然と楽しくなっていった。

小学生のころは試合に負けるたびに泣いていた

「小学校のときは好きなように、自由にプレーしてました。5、6年生のときにはもう、すっかりバスケにはまってました。試合に負けるとしょっちゅう泣いてて、毎試合泣いてたんじゃないかというくらい。そのころから負けず嫌いで。あの当時が一番負けず嫌いだったかもしれないですね」と田中。長崎県のベスト8まで勝ち上がった。

本格的なバスケを教わり始めた中学校時代

地元の公立中学校に進んだが、同級生にはバスケの強い小学校から来た選手も少なくなかった。これまで遊びの延長としてバスケに接してきた田中は、自分より本格的なバスケを知る彼らから刺激を受けた。さらに指導者も大学までバスケをしていた人だったこともあり、田中はやっとバスケのイロハから学んでいった。

中学校時代を振り返り、田中は「あの時が一番、練習がキツかったです」と話す。人生で初めて本格的にバスケと向き合った時期だったというのもあるが、バスケ部の練習とは別に、田中は陸上部の助っ人として大会に出場していた。専門は短距離。「周りは真剣に陸上をしてる人たちばかりで……。中学校の代表として出場したんですけど、予選で負けてしまうこともあって、結構恥ずかしかったです」と言って、苦笑いした。

バスケをやりながら陸上の試合にも出る。そんな日々の中で、田中さんはベースとなる体力をつけていった

いまアルバルク東京で、そして日本代表として躍動する田中は、ドライブやジャンパー、スリーポイントと多彩に得点を挙げていく。そうしたスコアラーのベースは、中学校時代のコーチの下で、できあがった。

「自分自身がある程度、ドリブルやパス、シュートができるのも中学の先生のおかげです。いま自分が持ってる考え方やプレースタイルは中学のときにできたと思ってて。そういう意味でも、すごくいい指導者に巡り会えたと感じてます」

田中は影響を受けた人として「小学校、中学校、高校、大学の指導者」と列挙した。小学校でバスケの楽しさを知り、中学校でバスケの基礎ができた。さらに進学した長崎西高校で、田中はバスケプレーヤーとして大きなターニングポイントを迎える。

続きはこちら 勉強に苦戦、支えは「日本代表になれる」の言葉 アルバルク東京・田中大貴2

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