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連載: プロが語る4years.

東京学芸大で大学選抜チームに入り、人生が変わった 元日本代表・岩政大樹さん4完

学芸大で初めて、岩政さんは強豪校でプレーをした (C)JUFA/REIKO IIJIMA

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第2弾は元サッカー日本代表のDF岩政大樹さん(37)です。最終回は東京学芸大学に進んだ岩政さんが初めて「サッカーでプロを目指す」と考え、行動した話です。

夢が「教師」から「プロ」に変わった

入学当初はけがで出遅れてしまったが、岩政さんは1年生の時からセンターバックのレギュラーに定着した。ちょうどチームの主力だったセンターバックが卒業し、ポジションが空いていたからだ。初めはBチームだったが、練習や試合でアピールし、Aチームに昇格した。

「決していいプレーをしてたわけではなかったと思うんですけど、我慢して使ってみようということだったんでしょう。秋の関東リーグ1部は8チーム総当たりの7試合で、そこでセットプレーから3点とったんです。そもそも試合に出てる1年生は多くなかったですし、3点とったのは僕だけでしたから、新人王に選ばれました。うちのサッカー部監督の瀧井(敏郎)先生が全日本大学選抜チームの監督だったので、『一回入れてやるよ』と言ってもらえたんです」

岩政さんが初めて「サッカーでプロを目指す」ことを現実視した瞬間だった。

当時は現在ほどJクラブのスカウト網が整備されていない時代だった。埋もれる才能も多かったが、だからこそ関東リーグで新人王に輝き、さらには大学選抜に入るといった目に見える結果を残した選手は、当たり前のように獲得市場に組み込まれていった。

「もしかしたら、プロになれるかもしれない。いまのプレーを4年間続けられたら、Jリーガーになれるんだと思いました」

夢が明確に切り替わった。

評価が下がり始めたとき、思考を働かせた

しかし、2年生になると向かい風が吹いた。大学選抜チームに入ると、周囲は強豪の高校やJリーグのユースチーム出身の選手たちが顔をそろえた。「そこに突然、山口の県立高校出身の選手が入っていく。ほんとに、こいつ誰やねん状態でした」と、自嘲気味に振り返る。

技術レベルでも圧倒的に劣っていたという。パス回しでもミスが続き、コーチからも叱咤の嵐。1年生のときは順風満帆だった岩政さんに、プロになるための壁が立ちはだかった。さらに悪いことに、けがでリーグ戦から長らく離脱を余儀なくされ、試合勘も鈍っていった。

「1年生のときは『あいつはヘディングが高い』とか『フィジカルが強い』とか、周りの人たちが僕の長所ばかり見てくれたのが、試合でのプレーをたくさん見られる状況になると『ステップの足の運びが悪いな』とか『足元の技術がないな』という、僕の苦手な部分の情報も入っていくんです。相手はそこを狙ってくる。短所が目立ち始め、評価が下がる。それが僕の2年生のころでした」

一時的には落ち込んだが、冷静で明晰な思考力が彼にはあった。小中高と、試合に勝つことを何よりも大事にしてサッカーに取り組んできた。そのためにチーム全体をどうデザインし、どう相手と駆け引きしていくか。これまでの自分の個性を生かすしかない。

「その個性を特長にまで持っていかないと、と強く思いました。だからこれまでやってきたことをより具体化させ、成長させることに取り組みました。ヘディングでも単なるクリアではなく、味方につなげる。高さで競り勝つだけでなく、しっかり遠くに弾き返す。守備全体を動かすにしても、より深くチーム戦術をばないといけない。そういう課題を一つずつ潰していこうとしました」

勝負の大学3年生で、劣等感を完全に払拭

東京学芸大の瀧井監督との出会いは、岩政さんにとっては宝になった。同監督はいまや主流となっているゾーンディフェンスを、日本で最初に提唱した指導者だった。相手ボールの動きに対して選手個々のみで対応するのではなく、チーム全体の陣形が上下左右にスライドしていく組織的な守備戦術だ。誰が敵に圧力をかけ、誰がその背後をカバーするのか。ポジショニングや約束事など、細部に至るまで戦術を詰める必要があった。岩政さんは身体能力だけでなく、頭脳も駆使してプレーするサッカーに魅了された。

「本当に楽しかったです。さらによかったのは、当時のチームは練習や試合が終わったあとも、いろいろ話し合う文化があったんです。そこで意見をすり合わせてチームをつくっていくのが、すごくおもしろくて。瀧井先生の理論をベースに、自分たちがどう実践していくか。あのサッカー、戦術に出会えたことは、全体をデザインしていきたい自分にとっては、ものすごく大きかったです。小中学生時代の監督には、メンタリティーやフィジカルを鍛えてもらった。高校の監督には個人戦術をたたき込んでもらった。そして大学で瀧井先生からチーム戦術を学んだ。いま考えたら、すごく理想的なステップアップだったと思います」

大学3年生になった。プロになれるか否かは、この1年が勝負だった。5月に大学選抜チームの一員としてスイスに遠征。キャプテンを任されると、この勝負どころを逃さなかった。

大学3年生の時に岩政さん(中央)はキャプテンとして、チームを引っ張った (C)JUFA/REIKO IIJIMA

ヘディングではヨーロッパの体格の大きな選手とも互角以上に渡り合った。選抜チームでは、以前はどこか遠慮がちになっていた指示出しも、臆することなくチーム全体を動かそうと、積極的かつ的確に声を出した。さらに帰国後もリーグ戦で好調を維持。2年生のときに感じた劣等感を、自分の武器を磨き、課題克服に努めたことで、完全に払拭してみせた。

「3年生が転換点になると認識してました。4年生になって頑張っても、各クラブのスカウト活動はだいたい終わってる。この1年で勝負しよう、と。逆に言えば、ここでダメならプロはあきらめてもう一度教師を目指す。そういう意味で吹っ切れたんでしょうね」

勝利を追ってきた自分と鹿島の哲学がマッチ

技術面や戦術面の向上。そして最後は精神面の成長も、プロの世界に背中を押すことになった。清水エスパルス、FC東京などから続々とオファーが届く中、岩政さんが最終的に選んだのは鹿島アントラーズだった。その後、鹿島はJ1の3連覇を含む黄金時代を迎えた。

「僕の大学時代は筑波大、国士舘大、駒澤大、そして東京学芸大の4強時代でした。どの大会も自分たちは非常にいいサッカーをしながら、常に伝統校と言われる彼らに勝てなかった。すごく腑に落ちない自分がいました。そこに鹿島からオファーをいただいた。自分が鹿島に身を置いて、強者と言われる組織に入らないと分からないことがある、と期待しました。子どものころから勝利を追いかけてきた自分と鹿島の哲学がマッチしていたと思うようになったのは、最近になってからですね。僕は昔から強豪チームとは無縁だった。でもだからこそ、どうにかして勝とうという意識が人一倍強くなった。最近はよく、プロを目指す大学の選手からも相談を受けるんですけど、いつもこう言ってます。『自分のメンタリティーに合うクラブを選ぶべきだよ』と。自分の経験上、間違いなくそう言えます。僕はめぐり合わせがよかったですね」

現役を引退したいま、岩政さんは自分と鹿島の哲学がマッチしていたと感じている(撮影・小澤達也)

サッカーを続けていって、最終的には「プロサッカー選手」という肩書になった。それでも岩政さんの人生には常に、サッカーとともに「学ぶ」「考える」といった行動が存在した。教師を目指して勉強していたときも、勝つためのサッカーに取り組んでいたときも。どちらにも注力してきたからこその自分自身だと、岩政さんはその歩みに誇りを持っている。

「学ぶことと競技をすること、このふたつを違うものととらえない方がいいと思います。ひとつの軸としてとらえる。いまの時代、たとえばある分野のスペシャリストの言葉が、ほかの分野の人にも共感を得て、学びになることもたくさんある。そこをひもといていくと、ひとつの世界、競技だけでは見えないものが、学ぶことには隠されているんです。

自分の可能性を広げる上で、競技だけでは見えない何かを、ほかの学びで手に入れる。だから勉学も含め、学ぶことをあきらめた瞬間、それは少しずつ自分の可能性も狭めていくということだと思います。いまやもう、すべてのことがボーダレス。だから大学にいって、いろんなことを学びながら競技もする環境は、僕は人生にとって得しかないと思います。世の中の価値観はどんどん変わっていく。いろんな知識と感性を溜めてこそ、たくさんの挑戦が生まれる。そう僕は信じてます」

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