サッカー

連載: プロが語る4years.

島で育ち、勝つためのサッカーを悟る 元日本代表・岩政大樹さん1

昨年引退した岩政さんは現在、サッカー指導者やサッカー解説者など、多方面に活躍している

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.を経て花開いた人たちがいます。そんな方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」、第2弾は元サッカー日本代表のDF岩政大樹さん(37)です。全4話中の1話目は、岩政さんがサッカーに出会った小学生時代のお話しです。

2つのチームをはしごして練習

豊富な知識と情報、そして何より理論的な解説が、いまや多くのサッカーファンに好評を呼んでいる。岩政大樹。現役時代は鹿島アントラーズでリーグ3連覇(2007~09年)を含む多くのタイトルに貢献し、日本代表としても10年南アフリカW杯に参戦したセンターバック。その後も日本を飛び越え、東南アジアのサッカー熱狂国であるタイでプレーするなど、昨年現役を引退するまでその稀有なキャリアも注目を集めた。そして現在、サッカーを広く、深く伝えるべく解説者として活躍。お茶の間のファンにその声を届けている。

岩政さんは中学、高校の教員免許を保持しているサッカー選手としても知られる。教科は数学。「子どものころから好きだった」という科目だ。少年時代の将来の目標は、両親と同じ教師になることだった。そのため大学進学と教員免許の取得は自然な流れだった。

そんな岩政さんがサッカーと出会ったのは小学5年生の時。「自分としては、サッカーを始めたのは遅い方の部類だと思う」と回想する。山口県大島町(現周防大島町)出身。島育ちの少年のサッカー環境は、少々変わっていた。

「当時はインターネットもない時代。隣町にサッカーチームがあることも知らなかったほど。その隣町で教師をしていた母親が周囲の親御さんからチームの存在を聞いてきて、僕もサッカーを始めたくてチームに入りました。ただその後、僕はもう一つ別のチームにも入ることになりました。それは島外にある周東FCというクラブ。当時、大島のチームは県大会にはなぜか参加できず、出場するために周東エリアの子どもたちでチームをつくって参加するしかありませんでした。土日は午前にその周東FCの練習をして、午後は島に戻って大島のチーム練習。めちゃくちゃ練習量も多く、その後の僕の体力の基礎をつくることになりましたけど、いま思えばかなり無理をしていた環境でしたね」

県大会に出場するために、岩政(右)は大島町のチームのほか、周東FCにも所属した(写真は本人提供)

成績がみんな筒抜け、だから負けたくなかった

当時はJリーグが開幕してすぐの頃。サッカー人気は高まっていたが、まだまだ野球人口が多かった時代だ。しかし島内は家と家が離れ、大人数を誘って遊ぶことは難しかった。自ずとボール1つあれば一人でも戯れられるサッカーをするようになったという。

「山奥で基地をつくったりしていたのが、だんだん一人でボールを蹴るようになっていった。サッカーチームに入る前から、家のすぐ近くにある壁に向かってずっと蹴ってました。単純なんですけど、それがすごく楽しかった。僕のサッカーの原点です」

小学校も規模は小さかった。岩政さんを含め、同級生は6人。みんなが一列に机を並べ、授業を受けた。生徒の多い都市の学校であれば、自分の成績やテストの点数が友だちに明るみになることはあまりない。しかし同級生が6人だけだと、誰が何を解けて何が解けなかったのはすぐに分かってしまう。「解けなかったと言いたくなかった。人に負けたくない感覚も強かったですね。できないと逆に目立ってしまう。だからとにかくいち早くその問題を解いて、早く終わると今度は分からない友だちに教える側に回ってました。その中で人に教える作業を好きになっていきました」

人に伝える。負けず嫌いがゆえに、芽生えた長所だった。それはその後、勉学のみならずサッカーでも大いに役立つ才能になっていった。

勝利に貢献すればいい

大島のチームでは完全な中心選手。攻守両面でフル稼働し、当時からセンターバックに位置しながら「チーム内で得点王だったと思う」というほど。それが、選抜チームの周東FCになると立場は変わった。

「ほぼ全員、自分よりうまい選手ばかりでした。僕ができることは、そのうまい選手たちを引き立てること。鼓舞するとか、誰よりも体を張って守備をするとか。泥臭い役割をひたすらやろうと決めていた。だから地元の大島での振る舞いとも自然と違ってましたね。小学生の頃は普通、地元で将軍みたいに振る舞ってると、どこにいってもその感覚でプレーしたい子が多かったと思うんですよ。でも僕はそこにこだわりがなかった。自分が下手くそということを、周東FCに行って素直に認められたんです。じゃあ自分は何をすべきか。すぐに切り替えられました」

他の子どもたちが気づいていないことに、岩政さんは目を向けていた。小学生ながら、どこか大人びた感覚が岩政さんにはあった。

自分はうまくないという自覚があったという岩政は、どうやったらチームが勝てるのかに意識をめぐらせた

「みんな、ボール扱いのうまさがチームを強くなるために一番大事だと考えていた。でも僕は、それがサッカーのすべてだとは思わなかったんですよね。試合に勝つという経験の中で、例えばチームがうまく気持ちが乗って勝てた時に、『これは、テクニックで勝ったわけではないよな』と考えることも多くて。声でチームを動かす、周りの選手に自分が見えてることを伝えて指示する。そこで勝利に貢献すればいいという感覚に、僕はその時点でなれたんです」

適材適所の視点で組織を見つめ、他の子どもがしないことを自ら率先してやっていた。そんな岩政さんの活躍もあり、周東FCは県大会で優勝。山口で随一の強さを誇った。

自分のやりたいプレーに没頭する。勝ち負け以前に、サッカーを楽しむことに気を注ぐ。それがごく一般的な幼少時代のサッカーだろう。「でも僕はいつだって勝ちたかった。子どもながらのその感覚が異色だったと気づいたのは、プロに入ってからでした。でもそのメンタリティが僕を支え続けてくれましたね」。勝者への憧憬は、誰よりも強かった。プロになり、勝つことにこだわった岩政さんの礎である。

この記事をシェア

in Additionあわせて読みたい

Seriesこの連載をもっと読む

この連載の記事一覧へ

プロが語る4years.

Their Stories大学別・競技別に読む