早稲田大MF相馬勇紀の盟友、蓮川雄大はあきらめない男
12月22日、法大が熱戦の末に駒大を下したインカレ決勝。浦和駒場スタジアムのバックスタンドには、決戦のピッチに立てなかった各大学のサッカー部員たちが集まっていた。J1の名古屋グランパス入りが決まっている早大のMF相馬勇紀(4年、三菱養和SCユース)も、そのひとりだった。関東王者として臨んだ今大会は、準々決勝で敗退した。「あいつと一緒に日本一になって、喜びたい」。大会前に熱っぽく語った夢は、果たせなかった。
けがだらけの4年間
相馬が「あいつ」と言ったのは、蓮川雄大(4年、FC東京U-18)だ。早大のインカレ登録メンバーには入っていない。2018年の関東大学リーグの出場記録もなし。1年生の冬に左ひざのじん帯を痛めて長期離脱し、その1年後には右ひざのじん帯を損傷。4年生の夏にも右ひざのじん帯を痛めてメスを入れた。ひざをかばってハムストリングを痛めた時期もあり、けがだらけの4年間だったという。期待されて早大に入学したものの、公式戦に出場したのは2年生の後期リーグのみ。今年度はチームマネジャーとなり、練習の準備や早大自身と対戦相手の分析などを担い、ピッチ外から仲間を支えてきた。
相馬は3年生のときに2部リーグのアシスト王に輝き、1部で戦う今シーズン前もリーグの注目選手になっていた。それでも裏方に回った同期の助言に対し、嫌な顔ひとつ見せず、耳を傾けてきた。「もっとゴールに近い位置でプレーしろ。ペナルティーエリアに入れ。クロスに対しても、逆サイドで待ってないで、中に入ってけ」。何度も蓮川にこう言われているうち、相馬は自然と意識するようになった。165cmの上背ではヘディングで点は取れないと決めつけていたが、ポジショニング次第でゴールも奪えた。18年シーズンはアシスト王に輝くとともに、4年間で自己最多の9ゴールを決めた。
そして、プロの舞台でも進化を証明した。名古屋の特別指定選手として出場したセレッソ大阪戦(11月6日)でクロスに飛び込むと、相手GKの弾いたボールを頭で押し込んだ。大学4年生のJリーグ初得点が、J1残留争いで苦しんでいたチームを救う決勝ゴールとなった。「以前はファーサイドで待つだけだったんですけど、すっかり変わりました。これも蓮川のおかげです。僕の足りないところを言い続けてくれたから。この先、プロで生きていく上でも結果はすごく大事。僕にとって、チームにとって、蓮川はほんとに大切な存在でした」
言葉に実感がこもる。ただの大学の同期ではない。ふたりはそれぞれ三菱養和SCジュニアユース(相馬)とFC東京U-15深川(蓮川)に所属していた中学時代から切磋琢磨してきた仲だ。高校時代には日本クラブユース選手権(U-18)決勝で顔を合わせた。相馬の三菱養和SCユースが勝ったが、大会の得点王はFC東京U-18の蓮川が獲得。大学1年のときには同じポジションを争っていて、互いのことを知りつくしている。「アシストできるのは相馬のよさだけど、点も取れれば、もっといい選手になると昔から思ってました。僕が分析する役職になったことで、はっきり伝えることができた」と蓮川。
留年してプロ目指すと決断
蓮川はインカレ準々決勝の順大戦も早大のジャージを着てベンチ入り。サポート役に回りつつ声を出し、ともに戦った。4年間の最後を告げるホイッスルが鳴ると、選手たちをたたえ、一緒に悔しがった。帰り際には「貴重な経験を積めました」と清々しい表情だったが、このまま大学生活を終えるつもりはない。蓮川は来年、夢を追う「5年生」として早大に残り、選手として勝負する。
この1年はピッチの外から相馬の躍動する姿を目に焼き付けてきた。「僕の思いを背負って1年間、戦ってくれた。相馬の活躍はリハビリの活力になりました。正直、悔しいと思うこともありました。いまでもライバルだと思ってますから。僕はあきらめてません。『ここまでけがをして、まだプロを目指すのか』と言う人もいると思うけど、大けがをした選手でもプロを目指せるってことを示したいです」
蓮川は焦ってけがを再発させてきた反省を生かし、来春の開幕に照準を合わせて慎重に準備を進めているところだ。「今年のチームを超えたいです。後輩たちのチームに、自分がどう入っていくのかが楽しみ。またサッカーができる喜びも感じてます」
チームマネージャーを卒業した蓮川の思いを誰よりも理解し、フットボーラーとしての潜在能力を誰よりも信じているのは相馬だろう。盟友の話になると、つい熱がこもる。迷うことなく「蓮川はライバル」と言いきる。「その関係はずっと変わらない。あいつは絶対に戻ってくるんで。Jリーグで一緒に戦えることを楽しみにしてます」
ひと足先にプロの世界へ飛び立つ仲間の思いを背負い、次は蓮川が大暴れする番だ。まだ、終了の笛は吹かれてはいない。あきらめない男の延長戦が始まる。