大学サッカー

インカレ準優勝 駒大高―駒大 “7years.”の集大成

駒大高からの7年間をともに過ごしたMF鈴木(左)とDF須藤

全日本大学選手権決勝

12月22日@埼玉・浦和駒場スタジアム
法政大(関東第3代表)1-0 駒澤大(関東第4代表)

8年ぶりにインカレ決勝に進出した駒澤大学。法大に敗れて優勝には届かなかったが、近年では最高の成績を残した。この準優勝が大学サッカーの集大成となった4年生には、高1からの7年間ずっと「駒澤」の看板を背負った選手たちがいる。

駒大高(東京)出身で駒大サッカー部に在籍する4年生は9人。その中でインカレ決勝のピッチに立ったのが、右サイドバックのDF須藤皓生(こうき)とボランチを担うMF鈴木隆作の二人だ。

最近は駒大高の活躍が目立ち、ここ4年で3度の高校選手権出場を果たしている。これまでも駒大高から駒大へ進学する選手は多かったが、チームの核として活躍する選手となると、多くはなかった。そんな中で、須藤と鈴木は出場機会に差はあったものの、まぎれもなく今シーズン38試合の公式戦を戦い抜いた駒大の中心選手だった。

「怒られ続けた」須藤が受けた愛

サイドバックとセンターバックを両方こなす須藤

2年のときからトップチームで活躍してきた須藤は、秋田浩一監督から常に檄を飛ばされて来た。「おい! すどう!!」と、試合中に激怒される回数は両手では数え切れないほど。須藤自身も「歴代で一番怒られた選手」と認める。サイドバックとセンターバックの両方をこなす「ポリバレント」として、高い身体能力を発揮してきた。レギュラーに定着したのは3年のとき。開幕戦から右サイドバックで定位置をつかむが、須藤のところから崩されて失点につながる場面も少なくなかった。

とくに夏のアミノバイタルカップ順位決定戦では須藤のサイドを破られて決勝点を献上。この負けで全国への道が閉ざされ、試合後は誰よりも泣いていた。後期からは、須藤自身が「本職」ととらえるセンターバックに主戦場を移した。すると、桐蔭横浜大の石川大地(FC岐阜)や東京国際大の進昴平(Y.S.C.C横浜)ら、大学トップクラスだったFWたちを完封。守備力の成長を示したのはもちろん、大学初ゴールも挙げる実りのシーズンを過ごした。

4年になると、再び右サイドバックに挑戦。天皇杯予選から始まった新シーズンにおいて、須藤は欠かせない存在となっていく。前期は監督が温存した1試合以外はピッチに立ち続けた。普段は常に須藤へ厳しい目を向ける秋田監督も、今シーズン成長した選手を尋ねられた際には、開口一番に彼の名前を挙げた。「下手だからやるしかないというのが見えてきて、11やヘディングが強くなった」と、「足らざるを知る」須藤の成長ぶりを認めていた。ここから大学サッカーのラストスパートといきたいところだったが、後期は下級生の台頭もあり、出場機会が激減。一時は慣れないサイドハーフとしての起用もあった。しかし、ここで腐らず「俺がどうこうよりチームが勝つのが第一」とフォア・ザ・チームの姿勢を貫いた。すると、インカレ出場を決めた第21節の桐蔭横浜大戦からはサイドバックのスタメンに復帰。リーグ最終節の筑波大戦ではU-21日本代表のMF三笘薫(3年)を抑え、チームの完封勝利に貢献した。

須藤は「どんなに怒られても萎縮しないのが、こういう人種の宿命。それができなきゃ、やってられない」と話す。いくら厳しい言葉を飛ばされても、それを跳ね返す成長ぶりをたびたび見せてきた。インカレでも初戦からスタメン出場し、3回戦では三笘との再戦も見事に制した。準決勝はベンチで過ごすこととなったが、決勝戦では累積警告によって出場停止になった伊勢渉(4年、神戸国際大付)に代わってセンターバックに入った。「あいつが守ってきたゴールなので、渉以上にやらなきゃいけない気持ちと気合で入った」と振り返った。雨の影響でスリッピーなピッチコンディションとなったが、空中戦やスピード勝負ではその実力を発揮した。

「積み重ね」を体現した男・鈴木隆作

東京都トーナメント準決勝でゴールを決めた鈴木(中央)

その男の先発デビューは鮮烈だった。今年422日の天皇杯予選の準決勝。相手はJFLで当時上位に君臨していた東京武蔵野シティFC。ここでトップチーム初スタメンのピッチに立った鈴木は、いきなり結果で己の存在価値を示した。前半33分に右からのCKを獲得すると、キッカーのMF中原輝(4年、ルーテル学院)のクロスに反応。ファーサイドに走りこみ、ドンピシャのタイミングでヘディングシュートを叩き込んだ。この活躍をきっかけに、チームのビッグマッチでの先発起用が増えた。天皇杯本戦や総理大臣杯3回戦、インカレ出場確定をかけたリーグ戦でも鈴木は先発のピッチへ立った。ピンチの芽を摘むインターセプトと、前線へパスを供給する正確なキックを持ち味とする仕事人に、指揮官も「戦える人間」と評価する。

駒大の2ボランチはキャプテンのMF大塲淳矢(4年、藤枝東)が不動で、鈴木は薬真寺孝弥(2年、長崎総科大付)や福地拓也(4年、瀬戸内)ともう一つのポジションを争ってきた。結果的にインカレは大塲と鈴木のコンビで全4試合を戦い抜いた。「1年生からの積み重ねがこのインカレで出た」と、トップでの出場がなかった3年間に培ったものすべてを生かして戦った。

サッカーとのお別れ

須藤と鈴木にとって、このインカレ決勝がサッカー人生最後の試合となりそうだ。ともに一般企業に就職し、サッカーとはここでお別れとなる。7年間「駒澤」の看板を背負って来た二人にとって、これまで立てなかった大学最高峰の舞台だった。結果は準優勝となったが、二人は敗戦の悔しさとともに充実感を口にした。須藤は「駒大高に行ってなかったら、駒大に入ることもできなかった。駒大高に入ったことで自分のサッカー人生が悔いなく過ごせたと思います。思い出深い7年間でした」と話し、「駒高から来て試合に出られる人は少ないので、須藤とか僕が駒高からでも駒大でやれることを見せられた」と、自分たちの足跡を誇らしげに振り返った。

下級生にも駒大高から駒大へ進んだ選手は少なくない。新体制で副将に就任したFW竹上有祥(3)や後期にチームの切り札として活躍したFW矢崎一輝(2)ら多くの選手たちが、高校からずっと「駒澤」を背負っている。そうした後輩たちにも、この二人から「らしい」期待が寄せられた。須藤は「駒大高の選手たちが頑張って試合に出るのは、いまの駒大高の選手たちの基準になる」。先頭に立ってその基準となってきたからこその言葉だ。一方で、鈴木は「自分は3年まで試合に絡めなかったけど、最後の1年で、チャンスがあることを少しは証明できた。腐らずに頑張ってほしい」と、あきらめないことの大切さを力強く説いた。二人が果たせなかった日本一は後輩たちに受けつがれる。駒大高―駒大の偉大な先輩たちは、彼らのあとを追ってきた後輩たちにとって、伝説となった。