サッカー

反骨心でJ鹿島内定、原点は父の背中 法大2年・上田綺世

入団内定記者会見で笑顔を見せる上田(中央)。左は法大の長山監督、右は鹿島の椎本スカウト

サッカーJリーグのクラブとの仮契約の締結は、大学生の場合、早くても3年生でというのが通例だ。2年生で契約書にサインするのは異例の早さと言っていい。

2月20日、東京都内の法政大学市ヶ谷キャンパスで2021年の入団内定会見が開かれた。最多8度のJリーグ制覇を誇る鹿島アントラーズからいち早く「内定通知」を受け取った上田綺世(あやせ、2年、鹿島学園)は喜びをかみしめ、反骨心を持ってはい上がってきたキャリアを振り返り、両親への感謝を口にした。東京五輪世代の日本代表にコンスタントに名を連ねてきたストライカーの原点は、父の背中にあるという。

父のハットトリック

茨城県水戸市出身。土のグラウンドで必死にボールに食らいつき、泥臭くゴールを狙う父の姿がとびっきり格好よかった。父の晃さんは元西ドイツ代表FWユルゲン・クリンスマンにあこがれ、その人の代名詞である背番号18を好んで付けた筋金入りの点取り屋。上田は小学1年のある日のことをはっきりと覚えている。社会人チームの試合で父がハットトリックを達成し、チームは逆転勝ち。ピッチの中で父と仲間たちが大喜びする姿を見て、幼いながらに胸を打たれた。

「僕もサッカーがしたいと思いました。あのとき、ゴールひとつで、あんなにも人を喜ばせることができると知ったんです。自分も父みたいに、周りを喜ばせるストライカーになりたいって」

昨年のインカレ準決勝、上田は左サイドから攻めこんだ(撮影・大島佑介)

志を持ってサッカーを始めても、すぐにあこがれの選手のようなプレーができるわけもない。当初は思い通りにシュートが飛ばず、週1度の練習も嫌になった。雨で中止になると喜んだ。それでも、小1の夏の練習試合で決めた「奇跡の一発」が、少年の心に火を付けた。上田は人生初ゴールの光景を鮮明に覚えている。

「相手のクリアボールをダイレクトで蹴り返すと、ロングシュートのような形になりました。キーパーの頭を越えて、そのままゴールに入ったんです。初めてなので喜び方も分からなくて下を向いて照れてたら、みんなに肩をポンポン叩かれて……。あのときは、めちゃくちゃうれしかった。点を取るってこういうことなんだ、と実感しました」

一気にのめり込んだ。ゴールを決めるためにはどうすればいいのか、そればかりを考えて練習に没頭した。まわりの友だちがリフティングの回数を競っているときも、ゴールに向かってシュートを打ち続け、いいコースに何本飛んだかを数えていたという。パス練習には目をくれず、ペナルティーエリア近辺の動き、ゴール前のドリブルなど、得点に直結する練習ばかりに力を入れた。父が蹴る弾丸のようなクロスボールに合わせるトレーニングでは、体のあちこちに傷ができた。それでも「スライディングでも顔面でも、ゴールに押し込めば得点は得点。練習でもうれしかったですね」と、笑って少年時代を振り返る。

鹿島スカウト「FWらしいFW」

気持ちよくゴールを決め続けて、プロまでたどり着いたわけではない。中学時代は鹿島アントラーズの下部組織(ノルテ)にいたが、思うように出場機会は得られなかった。身長が伸びず、思うように体を使えていなかったこともあり、スピードもなかった。目標だった鹿島ユースへの昇格は見送られ、県外の強豪高校への進学もかなわなかった。

「いつか鹿島に必要とされる選手になってやる、セレクションで僕を落した高校もいつか見返してやるぞ、と思いました。それ以降、ずっと反骨心を持ってやってきました。プロになる夢を一度もあきらめたことはないです」

茨城の鹿島学園高校では寮生活を送り、腐ることなくサッカーに打ち込んだ。身長が10cm伸びて、身体能力が上がった。50mを5秒9で走る快足となり、跳躍力もアップ。空中戦の強さも武器になった。全国高校選手権にも出場。卒業後すぐにプロへ進みたかったが、両親と相談して法大へ進学。この選択がさらなる成長を促すことになる。

大学1年のときは「学びと挑戦」をテーマに掲げ、長山一也監督の指導と先輩の助言に素直に耳を傾けた。すぐにレギュラーになり、大舞台で大暴れ。17年夏の総理大臣杯決勝では観る者の度肝を抜くようなミドルシュートを決め、35年ぶりの優勝に貢献した。昨年冬のインカレでは42年ぶりの制覇を果たし、ベストFW賞に輝いた。鹿島の椎本邦一スカウトは上田の大学での成長ぶりに目を細める。

「グンと伸びたね。こんなに点を取れるんだ、って驚いた。いまでは少なくなったFWらしいFW。点を取る能力はず抜けてますよ。得点感覚は教えてもらって身に付くものじゃない。プレースタイルは違うけど、点を取る感じは大迫(勇也)に似てるかな」

高校時代の柳沢敦(引退)、興梠慎三(現浦和レッズ)、大迫勇也(現ブレーメン=ドイツ)といった、のちに日本代表となる名FWたちをスカウトしてきた目利きは、上田のゴールハンターとしての才能を信じて疑わない。

「即戦力として考えてます。将来、日の丸をつける選手になる。ステップアップして、欧州でもプレーしてもらいたい」

昨年のインカレで、上田(左から2人目)は法政大の42年ぶりの優勝に貢献した(撮影・大島佑介)

はい上がって両親に恩返しを

活躍の舞台は、すでに大学の域にとどまらない。1年の終わりには森保(もりやす)一監督が率いる東京五輪世代のU-20日本代表に初めて招集され、タイ遠征の北朝鮮戦で初ゴール。その翌年にはアジア大会にも出場し、2発の決勝弾を含む計3得点を挙げた。代表に加わるたびに刺激を受けて成長してきたが、プロとのレベル差も痛感している。だからこそ、鹿島への内定を早々と決断したのだ。内定選手は大学のサッカー部に籍を置きながら、Jリーグの公式戦に出られる「特別指定選手」として登録できる。大学で戦いつつ、日本トップレベルのプロにもまれて、己を高めていくという。

「アントラーズは常に優勝を争うチーム。すぐに試合に出場できそうな場所よりも、僕は厳しい環境のほうが成長できると思いました。これまでも、もがいて、もがいて乗り越えてきましたから。そのほうがいいんです。ユースに昇格できなかった選手でも、はい上がってトップでやれるんだというのを証明したい。どんなときも、夢を全力で支えてきてくれた両親にも恩返ししないといけない」

4月からは3年生。最優先すべきは、関東大学リーグでの40年ぶりの優勝だ。1年先の東京オリンピックを見すえるより、まずは足元を見つめている。森保代表監督からも言われている。「所属チームでの活躍がすべて。そこがあるから代表がある」

まずは40年ぶりの関東リーグ優勝、その先に東京オリンピックを

上田は肝に銘じている。勝利のため、チームタイトルのためにゴールを取る。得点にはこだわっても、得点ランキングには興味がない。幼いころに父が背中で示してくれたサッカーの原点を、いまも心に留めている。

「チームを勝たせるFWが、一番のFW。まわりの人が喜んでくれる点を取りたい。誰も喜んでくれないゴールなんて、意味がない」

弱冠20歳でプロ内定をつかんでも、上田綺世の信念がブレることはない。

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