大学サッカー

連載: プロが語る4years.

筑波で新しい感覚に出会った 川崎フロンターレ谷口彰悟・3

たったひとつの志望校だった筑波大に進み、風間監督のサッカーに触れて世界が変わった

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.を経て花開いた人たちがいます。現役のプロ選手が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第一弾はサッカーJリーグ1部、川崎フロンターレのDF谷口彰悟さん(27)です。全4話中の3話目は、筑波大学で新たに触れたサッカー観についてです。

初めての部活が自分を変えた 川崎フロンターレ谷口彰悟・2
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将来も考えて筑波大一本

熊本県立大津(おおづ)高校で、多感な3年間を過ごした。谷口は高校になって初めて経験した「部活動」で、心身ともに成長を実感していた。一選手として強豪校でプレーすることで得られた自信。さらには先輩後輩とのつき合いや、サッカー以外の生活から吸収していった人間関係の大切さ。そのすべてが、選手としての自分を形成していくことを、このとき理解した。そして、大学へ進むと決めた。志望校は筑波大学一本に絞った。

「関東の大学リーグはレベルが高い。高校選手権で初めて関東でプレーして感じたことは、九州を出て全国レベルで勝負しないといけないということでした。大津の平岡(和徳)先生が筑波のOBでしたし、自分はサッカーを続けるのはもちろんのこと、将来のために教員免許も取っておきたかったので、筑波を勧められました。だから筑波以外は考えられなかったですね」

文武両道を高いレベルで実行する筑波大。もちろん入学には学力が求められる。
「筑波は推薦合格に向けた内申点も高く設定されてます。だから勉強は頑張りました。それは何より、今後もサッカーをスムーズに続けていくため。その結果、推薦の条件を満たせて、最後は面接と小論文をクリアして合格できました」

引き出しを増やしてくれた風間監督

2010年春。谷口は熊本を離れ、筑波大に入学した。そして高校時代同様、ここでもまた新たな自分を見つけ出すことになった。風間八宏監督。14年に川崎フロンターレ入りする際にも監督と選手の間柄となる男との出会いが、大きかった。筑波大サッカー部を率いていた風間監督により、谷口は本格的にサッカー選手としての能力を開花させていくことになる。

「それまでとのサッカー観がガラリと変わりました。風間さんはとにかくボールを大事にするサッカーを指導してました。現在のフロンターレのサッカーの原型としても知られる、あのパススタイルです。筑波でも風間さんは『とにかくボールを奪われるな。チャレンジなんて言葉はいらない』と僕らに教えてました。それまで僕がやってきたサッカーは、何でもトライすることを、よしとしてきた。でも筑波では、とにかく確率の高いプレーを選択することを求められました。ただ単に蹴ったり、走ったりするのではなくて、サッカーはボールを大事にする競技だ、と。新しい感覚に出会ったという印象でした」

中盤で守備的な役割を担うボランチが本職の谷口。筑波大ではMFに加えてセンターバックも経験した。まずは相手のプレッシャーがいちばんかからないDFに下がり、ボールを止める、蹴るという基本からやり直した。風間の要求は学生相手にも高かった。だからこそ、風間の教えを吸収すればプロでもやっていけると、谷口は信じた。

「最初は本当に難しかったです。常にパスコースに顔を出して、ボールを受けて、パスを出して。とにかくていねいにそれを繰り返す。そういう細かいプレーをあまりやってこなかったので、慣れなかったです。でもひたすら基本のプレーを繰り返していくことで、大学2年から3年ぐらいにかけて、ようやくボールを簡単には失わないすべが身についてきました。いままでは『とられたらどうしよう』って、どうしてもネガティブな思考になることが多くて、簡単に長いボールを蹴ったりしてました。でも周りを見ていく目のレベルが上がって、いつしか本当にボールはとられなくなったし、試合の主導権も握れるようになってきました。プレーがものすごく面白くなって。そして試合で自信満々にプレーする自分が出てきました」

当時、風間監督のもとでプレーする筑波大の選手たちは、何よりサッカー選手としての技術の向上が顕著だった。監督は勝利至上主義とは一線を画す、一級品のテクニックを持つ選手の育成に主眼を置いていた。

「もちろん僕ら当時の筑波の選手たちは、大会に優勝したい気持ちはありました。ただ正直に言うと、チームとしてはそこがいちばんではなかったかもしれません。勝つこと以上にうまくなりたい。そのために何をすべきかを、いつも風間さんは言ってました。自分がどういう武器を持った選手になって、試合でどうそれを出すのか。その引き出しをどんどん増やしていくことが、あのときの筑波のおもな狙いだったような気がします」

選抜チームでも適応できた

2年に一度開催されるユニバーシアードの日本代表には11年と13年の二度とも選ばれた。11年には優勝を飾り、谷口は大学サッカー界での知名度を上げていった。日本中のいろんな大学の選手が集まる大会だけに、風間監督のもと、筑波で取り組んできたプレーを表現するのは難しいはずだ。それでも谷口は「それほど難しさはなかった」と振り返る。高校時代に培った「人の性格や癖はプレーに出る」という考え方が、彼を助けた。

「選抜では筑波と同じことをやっても周りとギャップが生まれるだけなので、自分が周りに合わせながらプレーしました。でもそこも、『彼はこういうプレーが好きだな』とか、『彼は性格的に積極的な動き方をするな』とか、人をよく見ることを意識して、よさを引き出そうとしてました。チームと選抜でうまく自分の頭を切り替えられた経験は、プロになってからの考え方の柔軟性にもつながってると思います」

サッカーがうまくなっている。二十歳になってもなお技術的に上向いているのが体感でき、谷口は純粋に喜んでいた。しかし、一方で「少しずつ、僕の中で失ってるものも感じました。怖かった」と、大学時代を振り返る。恐怖。今度はその感情が、谷口のエネルギーとなり、そしてプロ入り後の「いまの姿」へとつながっていくのであった。

筑波の4年間があったから 川崎フロンターレ谷口彰悟・4完

プロが語る4years.

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