大学バスケ

三遠・寺園脩斗 河村勇輝も刺激にプロ2年目の飛躍、原動力は東海大時代の悔しさ

寺園は東海大を卒業後、実業団を経て、Bリーグの三遠ネオフェニックスでプレーをしている(提供・三遠ネオフェニックス)

名門・東海大卒業後に実業団の九州電力を経て、2018-19シーズン、プロの世界に飛び込んだBリーグ・三遠ネオフェニックスの寺園脩斗(しゅうと、25)。収穫と課題を得たルーキーイヤーを踏まえ、オフに万全の準備を重ねてBリーグ2年目に挑んだが、「結果を含めて、全体的に悔しい」と寺園が言う不完全燃焼のシーズンとなった。

プロの壁を超えるため、シュートフォームを改造

プロ2年目となった19-20シーズン、過去3シーズンの先発ポイントガードを任されてきた鈴木達也のけがもあり、寺園は開幕からスターターを任された。41試合中28試合に先発、平均プレータイムを前年の13分から23分へ伸ばした。スタッツも18-19シーズンの平均4.6得点、1.3アシスト、3ポイントシュート成功率は31.5%から、7.4得点、3.3アシスト、40.2%に大幅に向上。若き司令塔は期待に応える活躍を見せた。

寺園は19-20シーズンを迎えるにあたり、2モーションから1モーションへとシュートフォーム改造に取り組んだ。寺園はシュート確率の悪い選手ではない。むしろ、小学校1年生でバスケを始めてからずっと磨いてきたシュート力は彼の武器だ。代名詞であるフローターシュートや勝負どころのアウトサイドシュートで、数々のタイトルを勝ち取ってきた。延岡学園高校(宮崎)3年生のときのウインターカップ決勝では、最終クオーターに勝ち越しの連続3ポイントを決めてチームを日本一に導き、東海大時代も4年生のインカレで3ポイント王に輝いている。

それでもBリーグでは壁にぶつかった。「プロは身長も大きいですし、ディフェンスも組織的にやってくるので、ノーマークになる機会が少ない。シュートモーションが遅くて、打てるところで打てないシーンがありました」と寺園。

リスクもあったが、チャレンジすることを選んだ。「失敗する可能性もあったんですが、自分は何でもやってみたいと思うタイプなので、とりあえずやってみてダメだったら戻そうとスキルコーチと話しました。チャレンジした結果、自分にフィットして、シュートの安定性も出てきました。今シーズンは3ポイントの確率が40%くらいでしたし、手応えはかなり感じています」

寺園は19-20シーズンを迎えるにあたり、シュートフォームの改造に着手した(提供・三遠ネオフェニックス)

アメリカでの武者修行も自信になった。九州電力時代から指導を受けるスキルコーチのマーク貝島氏とともに、10日ほどアメリカで練習し、NBA下部のGリーグの選手と試合もした。「アメリカでの経験はすごく大きかったですね。日本に戻ってきても、アメリカで習った練習を継続してきて、自分に自信を持ってシーズンに入ることができました。ルーキーシーズンよりも余裕があるというか、全体的に周りが見えていたので、アシストも多くなっているのかなと思っています」

高校生Bリーガー・河村勇輝の加入で闘争心に火がついた

しかし、寺園の成長はチームの勝利に結びつかなかった。19-20シーズンは新型コロナウイルスの拡大を受け、3月27日、残り試合が全中止となり、三遠は中地区6位という結果だった。「シーズンを振り返って率直に出てくるのは『悔しい』の一言ですね」。電話取材のため表情は見えなかったが、少しだけ「悔しい」の言葉に力が乗った。

19-20シーズンの三遠ネオフェニックスは開幕から16連敗。暗く長いトンネルで苦闘した。「ガードはチームを勝たせてなんぼだと思っているので。自分がスターターのときに勝てなかったというのはすごくふがいないというか、まだまだステップアップできるところだと考えています」と責任を感じていた。

選手、スタッフでミーティングを重ねるなど立て直しを図り、ようやく昨年12月7日のレバンガ北海道戦で初勝利。今年1月に加入した高校生の河村勇輝(現・東海大1年、福岡第一)が起爆剤となり、トンネルの出口が見え始めていた。

「特別指定選手として勇輝が入って、これまでなかった風というか、チームの中に新しい雰囲気を作り出してくれた。それがいい方向に働いてチームがまとまったというか。高校生の勇輝だけに頼っちゃダメだという危機感が、練習からチームに出てきました。それがいい方向につながって、終盤に向けて徐々に勝てるようになってきました。手応えを感じていたところだったので、コロナの影響でリーグが中止になってしまい、悔しいですね……」

「ガードはチームを勝たせてなんぼ」。寺園は自らを奮い立たせている(提供・三遠ネオフェニックス)

同ポジションで、東海大の後輩となる河村の加入は、個人的にも燃えるものがあったと明かす。河村は福岡第一高校(福岡)時代に全国大会でタイトルを4回獲得し、ウインターカップでは2連覇を達成している。寺園自身、高校2年生のときには高校タイトル3冠、3年生ではインターハイとウインターカップで2連覇を達成するなど、高校の実績では引けを取らない。それでも河村のすごさを認めている。

「あの時代に自分がプロに入ってこれだけやれるかといったらできない。でも勇輝がすごいのは誰よりも練習するところ。自分を含めて、そういう面においても周りの選手は刺激を受けていたと思いますね。僕も表には出しませんが、負けたくないという気持ちは当然ありましたよ。まずは練習量で負けちゃいけないって思ったので、あいつよりも体育館に長くいたりしましたね」

3年連続インカレ準優勝、あの悔しさを糧に

「卒業してから思うんですけど、大学のときの経験がいまの自分を作ってくれているのはありますね」

とりわけ現状に満足しない向上心は、「大学時代に培われた」と続ける。寺園は延岡学園を卒業後、一学年先輩でベンドラメ礼生(現・サンロッカーズ渋谷)の背中を追って東海大に進学した。同級生には伊藤達哉(現・大阪エヴェッサ)、中山拓哉(現・秋田ノーザンハピネッツ)、一学年上にはベンドラメ、小島元基(現・アルバルク東京)。屈指のタレントを有していた東海大だが、馬場雄大(現・テキサス・レジェンズ)、杉浦佑成(現・サンロッカーズ渋谷)、生原秀将(現・横浜ビー・コルセアーズ)らを要し、同じくタレントぞろいの筑波大に2年連続でインカレのタイトルを奪われていた。

迎えたラストイヤーでのインカレ。エースポイントガードの伊藤がけがで欠場する中、キャプテンの寺園が奮起。チームを決勝に導いた。

「4年間の中でも一番練習をしました。やっぱりザックさん(ザック・バランスキー、現・アルバルク東京)の代、ベンドラメさんの代と決勝で負けて、自分たちは絶対勝たなきゃいけないっていう風になっていました。すごく練習量も増やしたし、チームでシューティングに取り組むっていうこともしたり、色々試してインカレの決勝に臨みました」

決勝の相手は3年連続となる筑波大。春の関東大学選手権と秋の関東大学リーグ戦と合わせて3冠を狙う相手に東海大も食らいついたが、最後は筑波大が突き放し、51-66で敗れた。寺園は5ファウルで退場となり、最後の瞬間をベンチで迎えた。

「それでも勝てなかった。3年連続で悔しい思いで終わって、精神的にもキツいかなと思ったんですけど、『いや、もっとやらなきゃいけなかったんだ』っていう感情にチームとしてなった。まだまだやらなきゃいけないって気づかされたというか、全然練習量が足りてなかったんだなって。だからいまも、現状の自分に満足することはないですね。それをインカレの決勝から学びました」

インカレ決勝、寺園は5ファウルで退場。その無念さを伊藤が受け止めてくれた(写真は本人提供)

コロナ禍で体育館が使えないいま、寺園は毎日自宅でトレーニングをしている。リベンジのときを待ち望みながら。

「まずは自分の所属するチームで正ポイントガードになるのが目標です。今シーズンは思うような結果が出せなかったですけど、来シーズンはブースターさんにより多くの勝利を届けられるよう、いまから準備していきたいと思います」

飽くなき向上心と誰にも負けない練習量で、プロ3年目でさらなる飛躍を誓う。

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