ラグビーで感情が起伏する喜びを知った プロセブンズ選手林大成1
連載「プロが語る4years.」から、東海大卒業後にキヤノンイーグルスを経て、2018年4月より7人制ラグビー(セブンズ)専任選手としてプレーする林大成(27)です。東京オリンピック日本代表の候補選手にも選ばれています。当連載は林自身が自らの歩みをつづっていきます。6回の連載の初回はラグビーとの出会いについてです。
期待に応えてラグビーを始め、すぐにはまった
中学校時代、僕はエネルギーのぶつけどころに困っていた。大阪市立瑞光中学校に進学し、「部活でもしようかな」と思っていたとき、担任やラグビー部の顧問、先輩に誘いを受けてラグビー部に入った。単純だが、期待されているようでうれしかった。大したきっかけはないが、きっかけなんて何だっていい。
実は小学校時代に、当時流行(はや)っていた漫画『テニスの王子様』を読んで、テニスを始めた。関西大会に出る程度の実力はあったので、テニスをやめることに「もったいない」という声もあった。でもラグビーをやろうと思い立った僕は、「もったいない」でテニスを続けることができなかった。当時から惰性で物事を進めることに、すごく退屈と苦痛を感じていたように思う。
入部してすぐ、3年生の先輩に当たりにいったらはじき飛ばされた。本気でくるなよとめちゃくちゃムカついた。入部した週末だか翌週だかには、1年生同士で試合が組まれた。右も左も分からなかったけど、とにかくがむしゃらにプレーした。怖さがなかったわけじゃない。でもめちゃくちゃ楽しかった。次の日、学校へ行くと担任やその他多くの先生たちが、僕のプレーについて話しかけてくれた。ラグビー部の先生が他の先生たちに僕の活躍を話してくれたのかな。
ラグビーで活躍すれば人に喜んでもらえる。
ラグビーを始めたての小僧ながら、そんなことを認識した。承認欲求ゆえかもしれないけど、いまでも覚えているほどにそれがうれしかった。
もちろん、「楽しい」「うれしい」だけではない。ラグビーを始めて1~2週間の内に、「悔しい」「怖い」「痛い」も経験した。ラグビーを通じて、様々な感情が自分の中で起こっていた。12歳にして惰性による退屈を感じていた僕にとっては、そのすべてが「喜び」に感じた。そりゃあもうハマってしまうわけだ。
いつも「怖さ」があった
初めての公式戦デビューは中1の秋だった。負けがほとんど決まった状況での出場。緊張と怖さで、ファーストタッチでノックオンしたのを覚えている。僕はおそらく早熟型で、体が大きくなるのも人より早かったものの、当時の僕は十分に戦えるほどの実力はなかった。それでも試合に出してくれた先生には感謝している。いま振り返ってもあの試合は、僕が特別な人間でも選手でもないことをよく表した試合だったと思う。
中学校に限らず、高校、大学でも、下級生で出るAチームの試合は、正直めちゃくちゃ怖かった。「ミスをしたらどうしよう……」「ダメな部分が露見されたら……」と、周りからの目や評価を過剰に気にする典型的なタイプ。だからいつも自信を持っているふりをし続けたし、「やるしかないだろ!」と決意しながら、心の底から吹っ切れる強さはなかった。あと単純に、相手チームの強いやつにタックルするのも怖かった。「吹っ飛ばされる怖さ」というよりも、「かなわない自分を認める怖さ」と言えばいいだろうか。
僕はミスをせず評価を落とさないために試合に出ているわけでも、勝てる相手に勝つことが楽しくてラグビーをやっているわけでもない。でも僕みたいな凡人にはよくあることなんじゃないかと思う。中学生だったときから10年以上、そんなマインドが拭いきれなかった。
中学3年間、公式戦ではほとんど勝てなかった。それでもラグビーに熱中し、夢中になり、本気で取り組めたのは、同じ温度感でプレーしてくれた中学ラグビー部のみんなのおかげだと思う。先輩、後輩、同期、先生に、本当に感謝している。大阪市の東淀川区という特に何があるわけでもない町だけど、ラグビーを通して何か貢献したいと考えている。
東海大仰星高校(大阪)への進学を決めたのは、中2のとき、花園(全国高校ラグビー大会)で優勝したのが仰星で、圧倒的に強くかっこよかったからだ。試合前、メンバーがグラウンドに登場しただけで会場が沸くほど圧倒的だった。そんなあこがれの仰星でハイレベルな選手達と日本一を目指し、ラグビーができることが本当に楽しみだった。