ラグビー

連載: プロが語る4years.

仰星で“あたり前”が変わり、ある偶然でU17の主将に プロセブンズ選手林大成2

高3のときの大阪大会決勝。この一枚はいまも実家に飾られている(写真はすべて本人提供)

連載「プロが語る4years.」から、東海大卒業後にキヤノンイーグルスを経て、2018年4月より7人制ラグビー(セブンズ)専任選手としてプレーしている林大成(27)です。東京オリンピック日本代表の候補選手にも選ばれています。当連載は林自身が自らの歩みをつづっていきます。6回の連載の2回目は、東海大仰星高校(大阪)時代、U17日本代表での経験についてです。

ラグビーで感情が起伏する喜びを知った プロセブンズ選手林大成1

ラグビーの中に生活がある日々

08年、仰星の整った環境のおかげで、努力の量は一気に増えた。ここで言う“整った環境”とは設備などの話ではなく、ラグビーに取り組む当たり前のレベルの高さのこと。全体練習後や休みの日、学校が始まる前にも、自主練をするのが当たり前。中には昼休みや試合後まで、ウエイトをしている選手もいた。量が成長を決めるわけではないし、意思なく取り組むことは努力ではないけれど、そこまでする選手たちが身近にいる環境で自分の“当たり前”も変わっていった。生活の中にラグビーがあったのが、ラグビーの中に生活があるに変わった瞬間だ。

高1の夏、菅平での練習試合などでも何度かAチームで出場していたが、やはり自信がなかった。自分よりうまい先輩はいっぱいいると感じていたし、そんな中で出場することに「やってやろう」とも思えず、迷惑をかけないようにとプレーしていたところが当時はあった。そのためメンバー発表のとき、自分のメンバー入りに異議をとなえた先輩の声にも気にしないふりをしていたが、内心泣きそうになっていた。「俺だって、こんなこと思われて出たくないわ」と思いながら。実力がないからマインドも伴わずに活躍できないのではなく、こんなマインドだったから活躍できずに成長スピードが遅れるんだと、当時の僕に言ってやりたい。

高2になるころには、仰星は「全員」ラグビーを強く意識するようになった。「ONE TEAM」と同義である。部員は100人。みんなが同じ意識をもち、それぞれが力になり、チームで戦う。そこからチームの文化が変わっていった。当時の僕はチームに貢献したいという思いが強くなり、これこそがチームのあるべき姿だと思っていた。この“あるべき姿”という思いが、後に自分を苦しめた。

仰星時代の林。このときからオリンピックを意識していたことが発覚!?

挙手とゴミ拾いでU17日本代表キャプテンに

高2の夏にはU17の近畿代表に選ばれた。初めて集まった日の練習前、当時の監督が「キャプテンやる人、挙手」と言ったので、僕は5秒くらいの沈黙の後、手を挙げた。率先してやりたかったわけではない。でも誰も手を挙げないあの感じは嫌だったし、近畿代表のキャプテンという肩書きは何かしらのステータスになるだろうという気持ちがあった。エゴイズムは誰もが持っているが、チームスポーツではそれを出しづらい空気がある。「キャプテンはステータス」なんて、当時はとても言えなかったけど、高2の僕には確かにそんなエゴイズムがあった。

U17全国大会では九州、近畿、関東で決勝リーグを戦い、近畿は3位だった。その試合会場のトイレで、ある先生と一緒になった。「こんにちは」と挨拶(あいさつ)をして、去り際にゴミを拾って外のゴミ箱に捨てた。するとその先生に呼び止められ、「近畿のキャプテンの林か?」と声をかけられた。後にその人が大会後に選出されるU17日本代表監督であることを知った。そして僕はU17日本代表のキャプテンになった。

U17全国大会のパフォーマンスはこの際、置いておいて、僕は「挙手」と「ゴミ拾い」がきっかけでU17日本代表のキャプテンになったのは事実だ。もちろんこれは偶然が重なったもので、積極性やゴミ拾いを勧めるつもりもないが、教訓はある。

適度な挨拶やゴミ拾いは、周りを心地よくする「Give」であり、それは自分のためでもある。他者目線に立ち、「Give」を考え、行動し、習慣にできると、それは人生の武器になる。ルールや強要ではなく、自ら考えて行動することで人格になる。もっと広い意味で言うと、「Give」は100%の自己犠牲や奉仕じゃなくていいと僕は考えている。例えばファンをつくり、応援してもらえるために「Give」をする。この意味で、エゴイズムと「Give」が共存すると思っている。

ラストゲーム、松島たち桐蔭学園との試合を前にして

高3になり、僕はキャプテンになった。全員が一つになり、チームの目標に対してそれぞれができることをやりきってこそチームである、と僕は思い込んでいた。その自分の価値観を基準に、選手を見定めるようになってしまったのだ。一つになることを意識すればするほど、はみ出しものをつくってしまう。「べき」や「ねば」を自分にも他の選手にも過剰に求めていたと思うし、それで勝手に練習をつらく感じていた。

一つであることに正解の形はない。チームみんなで同じ目標を掲げていても、それぞれの奥底にある勝ちたい理由も熱量も違って当然である。チームの目標がそれぞれの目標を包括するものであれば、チームの目標と個人の目標は共存できるし、相乗効果を生む。根本的な部分ではそれぞれが違って当然の中で、どれだけその相乗効果を生み、チームを導けるか。それがリーダーの腕なのだろう。

しかし当時の僕は人に対して理解できないことが多く、自分の考えを多くの選手に押し付けていた。申し訳ないことをしていたなと思う。そんなことをあまり気にしなくていい代表候補の合宿なんかはすごく楽しかったし、伸び伸びとプレーができ、実際にパフォーマンスもよかったと思う。

3年生として、キャプテンとして、最後の花園にかけていた(左から4人目が林)

引退をかけた最後の花園(全国高校ラグビー大会)準々決勝で、松島幸太朗(現・サントリーサンゴリアス)や小倉順平(現・サンウルブズ)、竹中祥たちがいる桐蔭学園高校(神奈川)と当たった。これは誰にも話してこなかったが、前日の夜は勝てるイメージを持てず、それどころかドラマチックに負ける姿ばかりをイメージしていた。菅平での夏合宿では5-50ほどの大差で負けた。だから花園では接戦で負ける方がベターだ、と。自分たちは何も残せないで終わることが怖かったのだと思う。なんとも情けない話だが、そんなことばかりが頭に浮かんでいた。

結果は26-27。ドラマチックに負けた。その第90回大会は、桐蔭学園と東福岡高校(福岡)が63大会ぶりの引き分けによる両校優勝で幕を閉じた。

いま思い返しても、総じて仰星のラグビーに対する意識や当たり前のレベルの高さはすごかったし、仲間にはめちゃくちゃ助けてもらった。それでも納得いかず、思い悩む自分は一体なんだったんだと思うが、まぁ必死だったんだと思う。そのときの知識や経験の中でベストを尽くしていたであろうから、後悔はない。

ちなみに卒部式が終了した直後、張り詰めていたものが切れたのだろう。体内のすべてのものが口から出てしまったかのように、一晩で3kg体重が落ちた。

東海大で落ちるところまで落ち、自分の狭さを知った プロセブンズ選手林大成3

プロが語る4years.

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