ラグビー

特集:ラグビーW杯戦士の4years.

日本代表キャプテン・リーチ、母校東海大で大いに語る「ここで学んだことが僕の財産」

恩師である東海大ラグビー部の木村監督と(撮影・斉藤健仁)

2019年ラグビーワールドカップでキャプテンとして日本代表を初めてベスト8に導いたリーチ マイケル(31)が129日、母校の東海大で、ラグビー部の木村季由(ひでゆき)監督とともに「チャレンジセミナー ONE TEAMの精神から学ぶ」というテーマで講演した。 リーチは後輩たちの前で40分ほど、大学時代の思い出や日本代表での成功体験などについて包み隠さず話した。 

環境のよさで選んだ東海大、練習は過酷だった

リーチはまず、大学に進学した理由を「体育の教員免許を取って(出身校である)札幌山の手高校に戻るためでした」と説明した。ほかにも日体大、筑波大、国士舘大を見て回り、最後に木村監督が誘ってくれた東海大を見学した。 

飾ることなく自分の言葉で語ったリーチ(撮影・斉藤健仁)

リーチは「東海大は環境がよかった。近くに海もあれば川もあり、グラウンドもトレーニングセンターの質もよかった」と、進学を決めた。しかし、ラグビー部の練習は少々過酷だったという。 

「東海大にはいい先生もたくさんいて、いい思い出ばかりですが、ラグビー部(の練習は)は地獄でした(苦笑)。朝から近くの山やグラウンドを走ったり、1000回も腕立てをしたり、ご飯をたくさん食べたり……。大変でした。ただ、それが僕の財産になってます。僕の土台を作ってくれたのは東海大です」と、懐かしそうに振り返った。 

木村監督はリーチの失敗談をいくつか紹介した。携帯を充電し忘れて寝坊した話や、4年生の大学選手権準決勝の帝京大戦に左足用のスパイクばかり二つ持ってきてしまった話だ。とくに後者はラグビー部内では有名な逸話で、FL(フランカー)のリーチはこの大学ラストゲームで負けたときにはPR(プロップ)の選手のスパイクを履いていたそうだ。 

「笑えない話ですね。確認すべきところは確認しないといけない。反省していますが、トラウマになってます。(いまでも)バスに乗っているときにスパイクが同じ方向じゃないかなと確認します。ワールドカップでもスパイクケースを開けるときはドキドキしました」とリーチ。 

東海大4年生のときに初めて出たフランスでのワールドカップから(撮影・斉藤健仁)

「生きている以上、限界はない」と木村監督

リーチは木村監督に教えてもらった「生きている以上、限界はない」という言葉を大事にしている。「とにかく大学時代はハードワークをしました。自分の限界をどんどん伸ばすことを学んだ。大学時代は『どうして根性練習をするのか』と思いましたが、社会人なったら分かります。耐える能力を教えてくれたのは東海大の練習でした」 

東海大ではラグビーだけでなく、ネクタイの締め方や、名刺をもらったらその人の仕事内容についてメモしておくことなど、社会人として生きていくための礼儀やマナーなども教えてもらったという。 

今回の講演のテーマである、なぜラグビー日本代表がワールドカップで好結果を残すことができたのか? という質問に対して、リーチは「これだというのはない。一つ言えるのは、ベスト8に進出できる、勝てるという信念があり、ハードワークできたから結果につながった。また(勝てた要因は)前回大会の経験者も多かった」と語気を強めた。 

ベスト8という目標を立てる一方で、走力など個々の課題をクリアし、試合に負ければ、なぜ負けたかを分析した。それを繰り返す中でリーチは「一貫性を持つことを大事にして、試合をする中で自信がついてきた」と語った。 

ワールドカップ準々決勝の南アフリカ戦で負け、ラファエレと抱き合うリーチ(撮影・西畑志朗)

2019年のワールドカップはリーチにとって、東海大4年生で出場した11年大会から数えて3度目の大会だった。「2011年から学んで変えて、学んで変えてをずっとやってきました。(3勝を挙げたが予選プールで敗退した)2015年の大会では勝ち方を学んだ。2019年の大会では、どうやって勝つか(について学んだこと)を生かして戦いました」 

代表チームの外国人選手に日本の歴史教えた

日本代表には外国出身の選手が半数ほどいた。そのためリーチは「ONE TEAM」にするため、日本を代表するチームとしてプライドを持って戦うため、日本の歴史や文化をプレゼンした。 

「僕の提案でやりました。外国人の選手に鎖国や元寇(げんこう)といった日本の歴史や文化を教えました。日本の歴史を知ると、日本を誇りに思って、負けたくないと意識するようになります。ハードワークしたり、役割や規律を守ったりするところが日本のよさです。外国人選手も日本のことを理解してくれました」 

予選プールは4連勝だったが、準々決勝では優勝した南アフリカ代表には3-26の完敗だった。リーチは「ベスト8が限界かなと思ってます。ほとんど同じメンバーで予選プールの4戦を戦って、5試合目で疲れてました。ほかの(強豪)チームは(予選プールの)4連戦はメンバーを変えてました。ラグビーをやる子どもを増やして、日本代表になりたい大学生やトップリーガーを増やして、選手層を厚くしないといけない。そうずればもっともっと日本代表は強くなります」と、先を見すえた。 

ラグビー熱の続く中で始まったトップリーグでも奮闘するリーチ(撮影・斉藤健仁)

リーチが次のワールドカップにも出場すれば、日本代表として最多タイとなる4大会目の出場だ。さらにその次も出れば、最多の5大会目となる。「できるだけ長くやりたい。今回のワールドカップでインパクトをもらったので、もう1回、出場したいです。(5大会目の出場となれば)38歳。(いまも)38歳みたいな顔しているけど頑張ります!」と意気込みを語った。 

後輩の学生たちへのメッセージを聞かれると、リーチは唐突に妻の知美さんとの出会いを語り出した。「(同じ学部に在籍していた)彼女をつくったのは大学3年生のときでした。(キャンパスから)坂を下りたところの(喫茶店の)うさぎで、二人で話して。もともとヘタレのシャイボーイですが、6カ月かけて勇気を出して『好きです』と言って、付き合うことができて、いま、結婚してます。それだけです!」。会場は大いに盛り上がった。 

幸せな4年間でした

改めて大学時代はどんな時間だったかと聞かれ、リーチは「東海大には柔道、バスケットボール、バレーボール、ラグビーと優れた選手がいて、いろんな人と付き合うことができて、何よりもこの東海大の環境で勉強もスポーツもできて、幸せな4年間でした。東海大で学んだことが、自分の中で財産になってます」と、しみじみと話した。 

最後に「木村監督と話し合ったことが社会人になって生きてますし、先生たちが教えてくれたことをインプットしておけば、(あとで)絶対に自分に返ってきます。これからの人生、必ず失敗もあるし、成功もあります。ビビらずにやっていきましょう!」という言葉で、講演会を締めくくった。 

日本代表のキャプテン、しかも自国開催のワールドカップというプレッシャーから解放され、飾ることなく自らの言葉で学生たちに語りかけるリーチの姿が印象的だった。

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