陸上競技

連載:4years.のつづき

もう陸上と自分は切り離せない 木村文子・4

もう陸上と自分は切り離せない 木村文子・4
子どもたちの前で試走する木村(14年の山口・周防大島での陸上教室)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多い。学生時代に名を馳(は)せた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。この連載2人目は、昨年の世界陸上女子100mハードル(H)で日本勢初の準決勝進出を果たした木村文子(エディオン)。最終回は30歳になった木村が思うことについてです。

初めてスパイクを履いた日

2年後に東京オリンピックが迫るいま、木村の思いもそこにある。しかし、今年の日本選手権は13秒21で3位に終わった。自己ベストは2013年6月、日本選手権で優勝したときの13秒03だ。自分の思うような結果が出せなくなった。その一方で、今シーズンは大きな世界大会がないため、「いまは力を蓄えるとき」と渡米し、アメリカ人のコーチの下で海外の選手たちと練習を積んだ。「目標に向けて計画的に取り組むことを学んできました。一つひとつの試合を切りとると悪い結果に見えるけど、通年で見たら平均タイムは上がってます」。木村は前を向く。

11年にエディオンへ入社した際、木村は社員として働きながら競技を続けていた。12年のロンドンオリンピックを境にプロアスリートとして競技に集中し、いまに至る。「仕事として競技を続けさせていただいてる以上、自分には結果を出さないといけない責任があります」と木村は話す。

ただ、競技以外にもやりがいを感じて取り組んでいることがある。小学生たちを対象にした陸上教室だ。学校の総合学習や地域のイベントとして実施され、オフシーズンは月に2、3回呼ばれることもある。木村も「大好きなイベント」と言う。「なにか教えてあげたいな、陸上を楽しんでほしいな、っていう気持ちで行くんですけど、逆にいま、子どもたちに教えてもらってます。自分もこんな感じだったな、友だちと走るのが楽しかったな、って」。木村は子どもたちを通じて、スパイクすら履いたことがなかった時代を思い出している。

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「なんの種目でもいいよと言われたら?」という質問に木村は「100mかマラソン。注目されるから」(撮影・佐伯航平)

木村が初めてスパイクを履いたのは小学4年生のときだ。陸上指導経験のある先生が広島市の陸上大会に出たい人を募集していたので、木村は友だちと一緒に申し出た。かけっこが速かったことを理由に、木村は100mにエントリー。「決勝に出られたら、スパイクを履かせてあげる」と先生に言われた。練習もレースも運動靴で走り、決勝に進出。決勝前のアップで初めてスパイクを履いた。借りたスパイクは上級生用だったこともあり、木村には大きかった。めいっぱい靴紐を締めてちょっと走ってみたら「めちゃくちゃ速いじゃん」と感じた。結果、予選よりも0.6秒速いタイムで優勝。初めてスパイクを履いたときの感覚が、その後もずっと残った。

5年生のときは「100mだと体が細すぎて勝てないかも」という理由で走り幅跳びを選び、優勝。6年生のときは80mHで優勝した。本当は中学校ではバレーボールをしたかったが、小学生のときに陸上で全国大会までいったため、やめるのがもったいないと感じて陸上を選んだという。

走り幅跳び、100mHを志す木村にとって、ジュニア時代から日本のトップアスリートだった井村久美子(旧姓・池田)さんはあこがれの人だった。中学のときの織田記念で初めて会い、サインをもらった。そのサインはいまも実家にある。ときは流れ、ロンドンオリンピック後の12年冬、日本代表のコーチの計らいで井村さんと練習する機会に恵まれた。あこがれの人と練習できる日が来るなんて、中学時代の木村には想像すらできなかった。そしていま、自分が若い世代にあこがれられる立場になった。

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井村さんの元に走り寄り、「サインください!」と言った。いまでもいい思い出だ(撮影・佐伯航平)

陸上の魅力を伝えたい

大学を選ぶ際、木村は高校教師になりたくて教員免許がとれる大学を選んだ。その夢は変わらなかったが、教育実習先の校長から「誰もが経験できることじゃないから、(陸上を)やってからでも遅くないよ」という言葉を受け、卒業後も陸上の道を突き進んだ。いまもし、競技者以外の選択肢があったら? 「校長先生がおっしゃってくださったように、みんなができるわけじゃない経験をさせてもらえてるので、小学校や中学校みたない単位で教えるよりも、もうちょっと広い単位で教えられたらいいな。陸上は一生もの。たぶん、もう自分と切り離せないですね。まったく別の仕事に就くぐらいの勢いじゃないと、切り離せないです」

いまは依頼を受けて陸上イベントにゲスト出演しているが、将来的には自分でイベントを運営するようなこともできればと考えている。イベントを通じてもっと多くの人に陸上の魅力を伝えたい。それが木村の素直な気持ちだ。

最後に100mHの魅力を聞いた。「同じ100mでも、最後まで何が起こるか分からないというワクワク感、ドキドキ感はハードルの方があるかな。だからテクニックだったり、スピードだったり、パワーだったりといろんな要素があって、いろんなタイプのハードラーがいます。そこで戦う選手の誰が1位になるかは、最後まで分からない。100mと同じ直線コースを走る競技だけど、だいぶ違った見方をしてもらえるんじゃないかな」

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横浜国立大を卒業したいまも、木村は挑戦を続けている(撮影・佐伯航平)

100mHの話をするときの木村は本当に楽しそうだった。初めてスパイクを履いて走った小学生の木村もいまと同じような顔をしていたのだろうか。100mに始まり、走り幅跳びと100mHの“二刀流”を経て、いま100mH一本で世界に挑む。私が木村と1対1で話すのは6年前、ロンドンオリンピック前の壮行会以来だった。堂々とした姿につい「背、伸びた?」と聞いてしまったが、「よく聞かれるんですよ」と笑われてしまった。この6年で本当に成長したんだな。

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