陸上競技

連載:4years.のつづき

高校教師になりたかった 木村文子・1

高校教師になりたかった 木村文子・1
エディオン女子陸上競技部所属の木村は日本を代表するハードラーだ(撮影・佐伯航平)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多い。学生時代に名を馳(は)せた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのだろう。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ2人目は、昨年の世界陸上女子100mハードル(H)で日本勢初の準決勝進出を果たした木村文子(30歳、エディオン)。初回は大学時代のお話です。

横浜国大を選んだ理由は

「6mジャンパーって高く飛ぶんだな」。11年前の2007年5月、木村の大学デビュー戦となった関東インカレで私はそう思った。木村は横浜国大のユニフォームを着ていた。木村の種目は女子走り幅跳び。高3のインターハイで木村は100mHと走り幅跳びの両方に出場し、走り幅跳びで優勝した。いまでこそ100mH一本で世界に挑んでいるが、12年のロンドンオリンピック直前までは2種目で戦っていた。そしていま、「どっちの方が好き? 」と尋ねれば、「どっちも好きですよ」と木村。大きな目をくしゅっとさせて笑うところも変わっていない。横浜国大で3学年上だった私が後輩の木村に大学時代の話を聞く。ちょっとこそばゆい感じがしなくもないが、素直にうれしい。

横浜国立大学陸上競技部には日本陸連強化委員跳躍部長で日本代表コーチを歴任している伊藤信之顧問がおり、力のある跳躍競技の選手が入部する年もある。それでも、強豪校のように指導者が鍛え上げるのではなく、学生自身がメニューを考えて部を運営するような、一人ひとりの自主性を重んじる方針だ。3年生が主将となり、幹部として部を率いるのも特徴のひとつだろう。強豪校から声をかけられていた木村が横浜国大を選んだのは、その雰囲気が自分に合っていると思ったからだ。将来高校教師になるために、教員免許がとれる大学であることも必須条件だった。

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12年のロンドンオリンピックまでは、100mHと走幅跳の“二刀流”だった(10年の国公立22大学対校)

木村は入学する前、四つの大学の陸上部を見学した。初めて横浜国大を訪れた日のことはいまでも覚えている。「広島から来たの? すごいね」と部員に言われ、「絶対入って!」と歓迎を受けた。「推薦入試を受けるなら、対策を手伝うこともできるよ」と声をかけてくれた部員から後日、過去問が届いた。「自分もやってもらったことだから」という言葉からも、仲間意識が強い部だということが伝わった。見学で感じたアットホームな雰囲気は、入部後も違和感なくすっと肌になじむものだった。

仲間とともにメニューを考え、励まし合いながら競技に向かう日々。2年生のころからは伊藤顧問もほぼ毎日練習に立ち会った。練習を見守り、必要なときに知識を分け与えてくれるような自主性を重んじた指導が、木村の成長をうながした。練習後には仲間と鍋会をしたり、オフの日には大好きなイチゴ狩りに出かけたり、競技以外の時間も充実していたことが、競技にもいい影響を与えていた。

いましかやれないことを

高校教師になりたいと思っていた木村が、世界を目指すアスリートの道を見いだしたのは、10年6月、木村が4年生のときに挑んだ日本選手権がきっかけだ。種目は100mH。1年生のときは出場権すらなかった。2年生のときに初出場を果たしたが予選落ち。3年生のときには地元の広島開催だったこともあり、結果を出したいと奮起したが、決勝進出を逃した。そして、最終学年では4位。上3人は実業団選手だった。自分も実業団に入れば見えてくる世界があるかもしれない、と思った。

ちょうどそのとき、木村は教育実習を終えたばかりだった。「当時はすごく教員になりたかったので、実習先の校長先生にも相談させていただきました。その校長先生から『誰もが経験できることじゃないから、やってからでも遅くはない』と言ってもらって、やれるチャンスがあるならやってみたいなって思いました」。自分のこの経験も教育の場に生かせられるのでは。木村はまず、アスリートとして生きると決心した。

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いましか経験できないことだから。木村はアスリートを選んだ(10年の国公立22大学対校)

木村の100mHの大学ベスト記録は、4年生のときのインカレ決勝でたたき出した13秒28だ。日本歴代9位(当時)という、木村自身にも驚きをもたらした自己ベストの大幅更新。その記録を引き出してくれたのは、まだ会ったこともなかった偉大な先輩だった。それまでのインカレ記録は03年、当時横浜国大4年生だった鷲頭宏絵さんが記録した13秒45。木村が入部したときにはすでに卒業していた先輩だが、記録集に刻まれた先輩の記録は、いつか越えたいタイムとして木村の中にいつもあった。

インカレの準決勝、遠くにあった先輩の記録に近い数字が出た。自己ベストが出そうな予感があった。先輩の記録を抜きたいという思いで走ったレース直後、会場全体にどよめきが生まれた。「先輩の記録がなかったら、13秒5ぐらいで終わってたと思います。『優勝できてよかった』って、そこで満足していただろうな。あのレースで各企業も『おっ』て思ってもらえたんじゃないかな」。卒業後、記録でしか見たことがなかった先輩に会うことができた。鷲頭さんは「聞いてるよ、あなたのこと」と木村に笑いかけてくれたという。お互いあえて陸上の話をしなかったが、とても話しやすくてあたたかい人柄に触れ、あらためて先輩の偉大さをかみしめた。

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大学時代に使っていたものはいまも大事に保管している(撮影・佐伯航平)

高校チャンピオンだった木村が大学入学時に思い描いていた目標は「学生チャンピオン」だった。大学4年間での出会いと経験と記録。生まれた自信と挑戦欲。大学というステージが木村の目標を「日本チャンピオン」に引き上げた。そして踏み出すと決めた実業団の世界。入り口は険しかった。

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