陸上

連載:4years.のつづき

失意のち輝きのロンドン 木村文子・3

12年のロンドンオリンピック前、母校の横浜国立大学陸上競技部のOB・OGと現役生から。中央が木村

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多い。学生時代に名を馳(は)せた先輩たちは、4年間でどんな経験をして、それらを社会でどう生かしているのだろう。「4years.のつづき」を聞いてみよう。この連載の2人目は、昨年の世界陸上女子100mハードル(H)で日本勢初の準決勝進出を果たした木村文子(30歳、エディオン)。今回は木村がロンドンで挑んだ2つの世界大会についてです。

前回の記事「世界と戦うため、アメリカへ」はこちら

巻き戻してほしい

木村はもともと、100mHと走り幅跳びの2種目に取り組んでいた。いまのように100mHに集中するようになったのは、実業団1年目で臨んだ2011年11月の山口国体で優勝した際、13秒19という自己ベストが出たからだ。12年のロンドンオリンピックのB標準記録は13秒15。走り幅跳びの同標準6m65には、まだ50cm程度足りなかった。それなら視野に入ってきたハードル一本に絞ろう。ロンドン出場を見据え、練習を切り替えた。

12年4月の織田記念、木村は日本歴代3位(当時)にあたる13秒04の自己ベストをたたき出し優勝。まずはB標準を突破した。6月の日本選手権ではA標準(12秒96)を突破して優勝するのが、木村が描いたベストなシナリオだった。持てる力を振り絞った。優勝したが、13秒25。A標準に遠く及ばなかった悔しさが残った。ロンドンオリンピックの選考を待った。そして木村の元に、JAPANのユニフォームが届いた。

それまで木村が日本代表として走ったのは11年7月のアジア選手権のみ。世界の舞台はロンドンオリンピックが初めてだった。「自分でいいのか? 」との思いがずっとあったという。「私は、たまたま選ばれちゃった、ってのに近い感じでした。世界でどうやって戦うのかもまったく知らない状況でしたし」

世界の舞台で戦えると証明できていない。木村にはその思いが強かった。自分のレースができるかは、やってみないと分からない。経験がない分、自分らしさを出しきれば一歩でもいい結果につながるのでは。“チャレンジャー”として意識を強く持とうとした。ロンドンオリンピック前には所属するエディオンでの記者会見のほか、母校の横浜国立大でOB・OG主導の壮行会も開かれた。いろんな人の応援を背に、ロンドンに向かった。

迎えた初の世界の舞台。木村は途中でハードルに足をぶつけ、13秒75の記録で予選1組の7位に終わった。レース直後、「もう、巻き戻して」と思った。13秒がこんなにあっという間に終わるなんて。本当に一瞬で終わった。木村は涙を浮かべながらトラックを後にした。

初の世界舞台は雰囲気に飲まれてしまった(撮影・矢木隆晴)

ロンドンオリンピック出場が決まったとき、木村は過去のメダリストにオリンピックの経験について尋ねていた。「4年かけて挑むだけの価値がある、本当に素晴らしい舞台」。その言葉に、自分はその半分の2年しかかけていないと感じた。4年前を振り返れば、自分はテレビで見ている人だった。「ロンドンの前の年に、やっと日本代表になれた。来年はオリンピックだ。頑張りたい。という感じでした。巻き戻してほしいって思っても、これ巻き戻せないんだよな。なんでこんな結果で終わっちゃったかな。次は4年後って長いな。自分は2年しか頑張ってないのに、4年頑張れるのかなって」。初の世界舞台は不完全燃焼で終わった。

幸せな時間だった

その後、13年7月にアジア選手権で優勝、14年9~10月の仁川アジア大会で3位になるなど、海外のレースでも実績を残した。14年からは海外練習にも取り組み、男子110mHの世界記録保持者であるアリエス・メリットのコーチに習うようになった。それでも、16年リオデジャネイロオリンピックは標準記録を突破できなかった。引退も頭によぎったが、現役続行を選んだ。そして17年8月、初めて世界陸上出場を決め、またロンドンに帰ってきた。12年から5年かけて臨んだ舞台。予選2組で13秒15の4着に入り、世界陸上女子100mHでは日本勢初となる準決勝進出を決めた。準決勝2組で走り、13秒29で8着に終わった。レースを終えた木村には「幸せな時間だった」という思いがあった。

ロンドンオリンピックでは雰囲気にのまれ、アップから戸惑いがあった。経験を積んで臨んだ世界選手権では世界の選手とも顔なじみになっており、「あの選手はスタートが速いよな」「この選手は絶対後半くるよな」と分析ができていた。コーチからのアドバイスで自信も持てた。世界舞台での活躍に向けて取り組んできた結果が準決勝進出につながった。準決勝で同組だったのは、シーズン中に12秒台を出していた選手ばかり。それでも、緊張より「早く走りたい」という思いが勝った。5年前の自分はもういない。選手として一つ成長した時間を味わえたのがうれしかった。

帰って来た世界舞台。経験を自信に変えて臨んだ(撮影・池田良)

「でも準決勝に出たら、人間って欲が出るもので。準決勝では最後にゴールしたから、『これを真ん中にもってくるにはどうしたらいいかな』って考えちゃって。やめらんないな、って思いました」。木村が無邪気に笑う。世界最高峰の舞台についても、ディズニーランドに行くようなワクワク感で語ってしまう。それが木村文子なのだ。

●日本を代表するハードラー・木村文子さんの「4years.のつづき」全記事 

1.高校教師になりたかった 2.世界と戦うため、アメリカへ 3.失意のち輝きのロンドン 4.もう陸上と自分は切り離せない

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