大学ラグビー

連載: プロが語る4years.

東海大で落ちるところまで落ち、自分の狭さを知った プロセブンズ選手林大成3

林(中央)2年生の秋に一度、一番下のチームまで落ちたが、3年生のときにまたAチームに復帰し、4年生では主将を務めた(写真はすべて本人提供)

連載「プロが語る4years.」から、東海大卒業後にキヤノンイーグルスを経て、2018年4月より7人制ラグビー(セブンズ)専任選手としてプレーする林大成(27)です。東京オリンピック日本代表の候補選手にも選ばれています。当連載は林自身が自らの歩みをつづっていきます。6回の連載の3回目は、東海大時代の葛藤についてです。

仰星で“あたり前”が変わり、ある偶然でU17の主将に プロセブンズ選手林大成2

Aチームから一気に転落、部を離れることも考えた

強豪校の中で体育の教員免許が取得できる大学を考え、11年春、僕は東海大に進んだ。個人技がより重要視されていた当時の東海大のラグビーは、それはそれで楽しかった。僕は仰星時代、プレーには毎回一つの正解があって、それを常に求められている気がしていた。頭を使ってプレーする癖はついてきていたが、当時はあまり思いきってプレーできていなかったように思う。だから東海大では久しぶりに思いきり勝負ができているという実感があり、また新たにラグビーが面白く感じていた。

2年生の春季大会で初めてAチームに入ったものの、春の終わりにはBチーム、夏合宿ではCチームとDチーム、秋には一番下のチームでプレーするという苦汁をなめた。自分の精神的な未熟さが原因だったことは間違いない。ただその一方で、大学に入ってから自分が納得できないもの、違うと思うものには意見や主張をするようになっていた。環境の善悪ではなく、自分の考えとの不一致からだ。実際に僕は間違った主張もしていたため、周りから大人になるようアドバイスをもらうこともあった。ただ、納得できないものをそのまま受け入れ、結果の責任を他人に委ねることはしたくなかった。

ラグビーをやめようとは考えなかったが、別の場所でプレーすることを本気で考えた。僕の主張も間違った方向に行き、練習もまともにしていなかった。この時期はチームのことなんてどうでもよかったし、自分のレベルを上げることはするが、チーム練習には一切モチベーションがない状態だった。少し前まで切磋琢磨(せっさたくま)していた選手とも距離をとるようになっていった。「チームのため」なんて言葉は一切心には響かず、ラグビーが好きな気持ちすら、忘れてしまいそうになっていた。

主張の仕方を考え、いま自分がいるチームを思い

そのような状態になったことで初めて僕は、自分が理解できない人たちと思っていた人よりもはるかに自分が理解できない人になっている、と気がついた。みんなそれぞれの主張や理由がある。落ちるところまで落ちたことで、針の穴のように狭かった価値観が広がったように思う。

僕の価値観は変わったものの、誰かが自分のモチベーションを上げてくれるわけでも、自分を理解してステージを上げてくれるわけでもない。僕自身、ここからはい上がりたいと躍起になったし、いまいる自分のチームを引き上げたいと思った。そのためには主張や意見の仕方も考えた。人とぶつからずに意見を伝えるため、授業や本などからヒントを得ようとした。やる気になれば、人は一瞬で変わるもんだなと思う。

大学4年間は自分の価値観を広げるきっかけとなった(12番が林)

これまでのラグビー人生の中で、この時期は物理的な練習量を一番増やしたし、置かれている状況とは相反してすごく充実していた。いま自分がいるチームで戦うという気持ちになれ、素直に楽しかった。

結局、この2年生のときはBチームでシーズンを終えた。上のチームに上がることもそうだし、下のグレードで一緒にプレーした選手たちが自分を応援してくれたのがうれしかった。理解できなかった価値観が広がったこの時期は、多くの学びを僕にもたらしてくれた。恵まれた状況が恵まれているとは限らないし、人は苦境や制限のある中でこそ学ぶということを、身をもって知った。

キャプテンとしてチームを支え、支えられ

3年生の春と夏には顔面2回を含む計3カ所を骨折し、顔の中にはプレートが12枚入っていたときもあった。そんな日々を越え、秋の関東リーグ最終戦で公式戦デビュー。相手は唯一全勝だった流通経済大だった。最終戦の結果次第では大学選手権に出られない可能性もあったが、前半から35-5と大きく引き離し、61-29で快勝。なんとか個人としてもチームとしても結果を残し、大学選手権に出場した。

4年生となり、僕はキャプテンになった。所属チームなしでプレーをしているいまの僕を見ると、人によっては意外に感じるかもしれないが、実は中高大すべてでキャプテンを務めている。主張の仕方を修正しつつも、納得できないことには意見するという僕のスタンスは変わらない。監督やコーチとも意見交換し、ラグビーのことはもちろん、チームの文化や惰性で続いているシステムの見直しなども話し合うようにした。少しずれたことも言っていたと思うが、辛抱強く付き合ってくれたスタッフに感謝している。

日本一を目指す中でいろんな変化が必要で、同期はもちろん、後輩たちにも協力を求めながらやっていたが、変化するときに全員が納得できる道などはなく、悩むこともあった。150人という大所帯。チームの文化を変えたいなら、トップは迷ってはいけないという思いから、自分から誰かに相談することはほとんどなかった。僕はしっかりした人間ではないので、至らない点も多くあったと思う。そんなときにバイスキャプテン(副将)や、同期、後輩から指摘や意見をもらったことはよく覚えている。僕は周りから見ると指摘しづらいタイプらしく、誰かから直接何かを言われることが少なかったように思う。だから正面きって意見してくれることがうれしかった。

最後の大学選手権で早稲田大に勝利し、年越しへ(左から2人目が林)

最後の大学選手権、早稲田大に14-10で勝利して準決勝進出を決めたとき、グラウンドから見た部員や保護者たちがいる観客席の景色をいまでもよく覚えている。迎えた筑波大との準決勝、3ドロップゴールとそれをダミーにしたトライで後半27分に16-3としながら、最後に16-17で逆転された試合はしばらく賛否が分かれた。

大学最後の試合は2月にあった日本選手権の東芝ブレイブルーパス戦。4年生のそのシーズンを通して、僕は初めてけがで欠場した。ファイトするチームの姿を、僕はウォーターボーイをしながら見て、泣きそうになった。いや、泣いた。

納会(卒部式)での試合が終わった瞬間、同期のみんなが駆け寄ってきて胴上げをしてくれた。誰が言い出したのか、ただの思いつきだったのか、僕は知らない。でもいまでも鮮明に覚えていて、本当にうれしかった。大学のハイライトは? とたずねられたら、僕はあの瞬間を思い浮かべることだろう。

こうやって思い返していると、チームっていいなぁ、15人制ラグビーっていいなぁ、と思う。

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