日本中に熱狂を、“ホームレスラガーマン”が見た夢 プロセブンズ選手林大成5
連載「プロが語る4years.」から、東海大卒業後にキヤノンイーグルスを経て、2018年4月より7人制ラグビー(セブンズ)専任選手としてプレーする林大成(27)です。東京オリンピック日本代表の候補選手にも選ばれています。当連載は林自身が自らの歩みをつづっていきます。6回の連載の5回目は、セブンズ専任選手として築いた新たなスタイルについてです。
誰かを高揚させられる「プロ」選手になりたい
「プロ」とはなんなのかと考えてたどり着いた答えが、「お客さんをどれだけ呼べるか」ということだった。社員だとかプロだとか、そういった雇用契約ではない。16年からはキヤノンでプロ契約選手としてプレーしていたが、自分が呼べるお客さんはどれだけいるのかを考えると、現実は自分が思い描くプロとはかけ離れていた。チームに入ればチームのファンから応援されて自分にファンがついた気になり、プロ契約になればプロを名乗れる。でも、プロとはそういうものではないだろう。
だから僕は、自分が思い描く「プロ」になろうと決心した。競技力を磨くのは当たり前だが、競技力だけでお客さんを呼べるような選手は1%もいないだろう。例えばもし、格闘技が競技力だけをアピールする場になってしまったら、僕が見るのは那須川天心だけだ。
僕が掲げた目標は「東京オリンピックで優勝」だ。オリンピックという大舞台に頼ったものではなく、プロとして自分自身が熱量を高めていく。日本中を熱狂させたい。もっと輝きたい。そう思うようになった途端、自分の中で、15人制ラグビーのチームに所属してプレーすることが苦になった。
チームに所属することで安定はするが、自由度は制限されてしまう。そのままプレーし続けた先で、自分が望むものは手にできるのか。決断するまでに少し時間はかかったが、答えは明白だった。18年に僕はキヤノンイーグルスを退団し、15人制をやめた。そして日本ラグビーフットボール協会と男子7人制専任選手契約を結んだ。
「所属チームなし、家なし」というポップさ
人からは思いきった選択だと言われたが、僕にとっては目的に向けた軌道修正でしかない。自分がやりたいことで、やれると思っているからする。例えば、できなかったときのための保険を10%かけることで活動が90%になってしまうなら、保険はいらない。全BET。ここまでやれば100%失敗しない。絶対に成功するという意味ではない。絶対に納得できるという意味だ。
所属チームをなくしたと同時に、家も捨てた。毎日決まって行く場所はないのに、毎日決まった場所に帰る時間が非効率でバカらしく感じたからだ。セブンズ代表での合宿が年間で200日以上あるため、家を借りるのと日によって宿を変えるとでは、費用もさほど変わらない。
……というのは半分の理由で、もう半分はプロモーションのためだ。当時の自分の実力では、世間的な話題にまったくならない。自分が目指すのは東京オリンピックという大舞台なのはもちろんだが、熱狂をつくること。そのためには多くの人を巻きこんでいかなければならない。まずは認知され、興味を持ってもらう。「所属チームなし、家なし」というポップなスタイルは、東京オリンピックが近づくにつれて、自分が実力をつけていくにつれて、話題として取り上げられるのではないか。
そんな打算的な考えがあった。半分と言ったが、本当のところはこれが8割なのはここだけの秘密だ。それがうまくハマり、昨夏のジャンクSPORTSで僕は「ホームレスラガーマン」として、オリンピックレジェンド達に混じって出演を果たした。
スーツケースのためにクラウドファンディングを実施
家がなくなったので、大きめのスーツケースが必要になった。とにかく自分を知ってもらい、自分に感情を乗せてもらおうと考え、「すべての荷物と夢を詰めるスーツケースを買う」ということで、達成目標金額3万円のクラウドファンディングを実施した。少しふざけたような企画に見えるかもしれないが、僕は大真面目だった。スベって失敗に終わることや批判されることなどいろんな不安があり、クラウドファンディングを開始する最後のボタンを押す指は震えていた。
結果は79人もの方々が支援してくださり、目標金額の450%が集まった。支援者からはたくさんの激励の言葉もかけていただいた。ただ、ネット上には「夢がない」「プロ失格」などと批判する声もあり、これを機に切れた人間関係もあった。それでもこの企画は僕にとって成功だったし、僕の原動力になり、応援してもらうことの尊さも強さも教えてもらった。
セブンズ一本にかけて最初にあった国際大会が、18年度のジャパンにとって最も大事な大会であった香港セブンズだった。しかし、僕はそのメンバーに選ばれなかった。実力がなかったので仕方がない。ただその反面、つくづくこの環境を選んでよかったと感じた。セブンズ代表であり続けないとプレーする場所がない。そんな極端な環境に飛び込んだことで、僕は成長するしかなかった。協会との契約期間もトップリーグのように年単位ではない。それでよかったし、それがよかった。