大学バスケ

超強豪・東海大へ、体作りで炊飯器と格闘 秋田ノーザンハピネッツ中山拓哉(上)

中山は2017年に東海大を卒業後、秋田ノーザンハピネッツで活躍している(提供・秋田ノーザンハピネッツ)

高確率のシュート、ドンピシャのタイミングのパス、リバウンドへの嗅覚。Bリーグには様々な才能を備えたタレントがいるが、秋田ノーザンハピネッツの中山拓哉(25)が持つそれは「異能」と言い換えられるほどに特殊だ。決して派手で華やかなプレーヤーではない。不格好でも、泥臭くても、何事にも恐れず全力でぶつかっていく。そんな姿勢で多くのファンの心をつかむ、中山の東海大時代を2回に亘(わた)って紹介する。

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「外国籍選手をマークせよ」の指令

特別指定契約期間を終え、プロ選手としてのキャリアが始まった2017-18シーズン。中山は新しく就任したヘッドコーチから「外国籍選手をマークせよ」と指令を受けた。外国籍選手は手足が長く、体が強く、体格は身長200cm、体重100kg超えが当たり前。そんな彼らを日本人、しかも身長182cmの中山に守らせるというのは、かなり思い切った策と言っていい。

「チームには大きい選手がたくさんいるのに、なんで俺が守るの?」。中山ももちろん疑問を抱いたが、実際にプレーしてみると、意外とやれないことはないと気づいた。同じようなシチュエーションを毎試合のように経験する内に、もはや何とも思わなくなった。

「最初の方は、少しは抵抗がありましたよ。でも、笛が鳴って試合が始まったら、そういうことは忘れちゃうんです。『俺に求められているのは、相手が誰だろうと抑えること。とにかく止めなきゃいけない。やらなきゃいけない』って。そういうところのメンタリティは、プロになって鍛えられましたね」

体が大きな外国籍選手が相手でも、中山は果敢に攻め続ける(提供・秋田ノーザンハピネッツ)

超強豪の東海大へ、Aチームに残れればいいと思っていた

中山の出身校は東海大。高校時代に輝かしい成績を残したエリートたちが、プロや日本代表を見据えて進学する超強豪だ。中山も高い志を持ってここに飛び込んだかというと、実はそうでもない。中山は付属校の東海大学付属相模高校(神奈川)出身。ここからエスカレーター式で東海大に進学し、ついでにバスケを続ける選択をしたというニュアンスの方が近い。

主力としての全国経験は高校2年生でのインターハイのみ。東海大のレベルを知ったのも、バスケを続けることを前提に選択した専攻に内定した、高3の夏前だった。

10月に高校バスケを引退し、冬になり、徐々に大学に向けた準備をし始めてもいいころになっても、中山はのんきだった。「『バスケは大学で4年もできるけど、友達と遊ぶのは今しかできない』と思って遊んでいましたね」と、当時を振り返って笑う。

エスカレーター式で東海大進学を決めるも、入学するまでは高校時代を満喫すると決めた(提供・BOJ)

入部が近付くと、未来の同期の顔ぶれも明らかになる。延岡学園高校(宮崎)で4度の全国制覇を経験した寺園脩斗(しゅうと、現・三遠ネオフェニックス)と、中学で日本一を経験し、洛南高校(京都)ではウインターカップでも3位に入賞した伊藤達哉(現・大阪エヴェッサ)という、世代屈指のガードが2人も入学すると知った時はさすがに驚いた。それでも「『どうしよう』って思いながらも『どうにかなるでしょ』って感じでした」と、実にあっけらかんと受け止めた。何しろ、中山の当時の大学における目標はAチームに残ること。彼らと競争し、切磋琢磨(せっさたくま)することなんて微塵(みじん)も考えていなかったのだ。

ひたすら米を食べまくり、体重は60kg台後半から84kgへ

高校まではチームで自分が一番うまかった。3年生の時は全国大会に出られなかったが、県選抜の主将を務めるだけの実力もあった。しかし、大学では同じ感覚ではいられないことは、体育館の至るところにいるスーパースターたちを見れば、すぐに分かることだった。

「ここでは一番下から始まるんだ」。そう気を引き締めた中山が、まず着手したのが体づくりだった。「当時はすごく細くて、練習からボディコンタクトで負けまくったんです。めちゃくちゃスキルがあるタイプでもないし、まずは『体』という土台を作らないと何も始まらないと考えてのことでした」

中山は当時、選手寮に入らず一人暮らしをしていたため、食事は自分で考えて用意しなければならなかった。60kg台後半の体重を増やすためにはまず米だ、と米を大量に炊き、食べ、簡単なおかずで流し込んだ。

「一日に何合食べていたかは覚えていないんですが、『炊飯器を空にするまでは寝ない』って自分で決めて、とにかく食べまくりました。一度にたくさん量が入らないタイプなので、本当にしんどかったですね。食べている時の感情は『無』。毎回2時間くらいかけて、なんとか食べきっていた感じです」。中山は苦い顔で振り返った。

当たり負けない体を作るため、ひたすら食べては体を鍛えた(提供・BOJ)

涙ぐましいまでの努力は中山を裏切らなかった。筋力トレーニングとの相乗効果で、体格はみるみるうちに向上。1年間で10kgの増量に成功した。三食の合間におにぎりを食べる方法に切り替えたことで、食事のストレスもなくなり、4年生のピーク体重は84kgまでに到達した。

4年生のころ、中山は言っていた。「1年生の時は同ポジションの先輩に接触プレーでやられまくったけれど、今は相手がセンターでも当たり負けないと思っています」。その堂々たるフィジカルからは、現在のプレースタイルの片鱗(へんりん)がすでにのぞいていた。

伊藤達哉ら東海大同期へのライバル心は今も 秋田ノーザンハピネッツ中山拓哉(下)

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