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連載: プロが語る4years.

伊藤達哉ら東海大同期へのライバル心は今も 秋田ノーザンハピネッツ中山拓哉(下)

中山(中央)にとって、寺園(左)たち東海大時代の同期の存在は今も大きい(提供・BOJ)

高確率のシュート、ドンピシャのタイミングのパス、リバウンドへの嗅覚。Bリーグには様々な才能を備えたタレントがいるが、秋田ノーザンハピネッツの中山拓哉(25)が持つそれは「異能」と言い換えられるほどに特殊だ。決して派手で華やかなプレーヤーではない。不格好でも、泥臭くても、何事にも恐れず全力でぶつかっていく。そんな姿勢で多くのファンの心をつかむ、中山の東海大時代を2回に亘(わた)って紹介する。

超強豪・東海大へ、体作りで炊飯器と格闘 秋田ノーザンハピネッツ中山拓哉(上)
三遠・寺園脩斗 河村勇輝も刺激にプロ2年目の飛躍、原動力は東海大時代の悔しさ

スーパースターが相手でも

中山が東海大に入部した当初の目標は「Aチームに残ること」だった。自分はあくまでも内部推薦で入部した人間で、高校時代に実績を残し、請われてチームに入ったスポーツ推薦組とは土俵が違うと認識していた。選手寮に空きがないと言われた時も、ごくごく当たり前にそれを受け入れた。「まぁ、元々Aチームとして計算されてないしって感じでしたね」

後のチームスタッフの証言によると、当時の中山は、本人の見立て通りにBチーム候補だった。しかしそこから彼は、周囲も自身すらも想像していなかった成長を遂げることになる。(上)で紹介した体づくりもその一つ。もう一つには、持ち前のポジティブな性格が大きく影響している。

「僕、あんまりネガティブにならないんですよ。同期も先輩も有名な選手ばっかりだし、プレーを見ていてもすごいなーと思ってばかりだったんですけど、だからといって劣等感はありませんでした。『あの人のここをマネしてみよう』『自分だったらこういうプレーができるかな』『ここだったらみんなに負けない』。こんな風に考えていました」

有名選手がそろう東海大の中で、中山は自分の強みを生かそうとポジティブに考えた(提供・BOJ)

練習でも泥臭さを発揮

「他の選手に負けないこと」として大切にしたのは、誰よりもガムシャラにプレーする姿勢。ディフェンス、リバウンド、ルーズボール。チームが強みとして掲げるプレーでは誰にも負けないと決めて、日々の練習に打ち込んだ。

中山は、同期の伊藤達哉(現・大阪エヴェッサ)と寺園脩斗(しゅうと、現・三遠ネオフェニックス)を例に挙げながら話した。

「同期に負けたくないという気持ちは強かったですね。達哉や脩斗みたいにすごいドリブルができるわけでもないし、めちゃめちゃシュートが入るわけでもない。自分がうまくないことはよく分かっていたから、泥臭いところでしかアピールできないと思ったんです。『他のことでは負けても、ここでは絶対負けない。そもそも負けたとしても何も失うものはない』と思いながら、毎日必死でプレーしていました」

大学時代の中山について、寺園は「練習から試合並みにリバウンドやルーズボールに突っ込んでいた」と話し、伊藤は「泥臭かったし、何より、いつでも自信に満ちあふれていた」と証言。1年生の時、新人戦で彼をスタメン起用した陸川章ヘッドコーチも、「高さはないけれど、本当によくリバウンドにからんでくれた」とそのハードワークを讃(たた)えるコメントを残している。

伊藤(35番)と寺園(4番)もまた、中山(奥中央)の泥臭いプレーを評価していた(提供・BOJ)

こうして、Bチーム候補だった1年生は指揮官やエリートたちから認められる存在となり、Aチーム、そして主力へと定着していくことになる。

郵便局員になるつもりが、バスケ愛は深く

東海大では毎年、夏合宿中に自分の夢を発表する機会がある。日本代表から実業団選手、指導者まで、ほとんどの部員がバスケに関わる未来を描く中で、中山は毎年、「郵便局員」とみなに宣言していた。「安定した生活を送りながら、バスケは趣味で続けられたらいいなってくらいの意識でした」と笑う中山が、日本最高峰の舞台でプレーするまでの過程には、明確なターニングポイントがあった。

3年生に進級する直前、中山は右足首を骨折した。コートから離れる日々を約半年過ごした中で、自分がいかにバスケを愛しているかに気づいたのだ。

「ずっと自分の意思でプレーしてきましたし、やらされていると思ったことは一度もありません。だけど、長くコートから離れ、少しずつバスケができるようになった時に『俺、こんなにバスケが好きなんだ!』って思ったんです。学年が上がってもチームメートはうまいやつばかりだし、自分はとてもプロにいくようなレベルじゃないと思ってたんですけど、『こんなに好きなんだから、いけるところまでいってみたい』と本気で考えるようになりました」

大学生以降、自分がうまいと思ったことは一度もない。プロでやれるだけの実力があるかも正直分からなかった。だが中山にとって、そういったことは端から問題ではなかった。「バスケが好き」という強い思いと目指すべき場所さえ確認できれば、あとはそこに向かって突き進むだけでよかったのだ。

学生最後のインカレを準優勝とアシスト王という成績で終えると、中山は特別指定契約で秋田に加入した。加入当初から泥臭さをフルに発揮して主力をつとめ、2季連続でスティール王を獲得(2017-18シーズンはB2、18-19シーズンはB1)。19-20シーズンはけがによる離脱期間が響き、惜しくもスティール王の選考対象から漏れたが、1試合平均でトップ、合計本数でも2位という数字を積み上げている。

フランチャイズプレーヤーの度重なる移籍と、なかなか突き抜けられない成績に苦しむ秋田ファンにとって、中山の存在は大きな希望の一つになっている。

「あいつらには絶対負けたくない」

中山の東海大Aチームの同期は、前出の伊藤、寺園を含めて7人。うち5人がプロとしてプレーし、残りの2人も強豪実業団で現役を続けている。初年度から活躍した中山、伊藤は言わずもがな、サラリーマンからプロに転身した寺園、プロ3季目でブレイクした関野剛平(現・サンロッカーズ渋谷)ら、ガッツのある選手がそろう印象だ。

中山は「他の代と比べるとあんまり強くなかったです」と笑いながらも、「みんな本当に負けず嫌いで、努力できるやつらでした」と仲間たちを評する。「それこそトレーニングの時は『あいつが○kgのウエイトを上げたなら、俺ももっとやらなきゃ』みたいな感じでみんな頑張っていました。仲も良かったし、そういうところがいい方向に進んだんじゃないですかね」

中山(左端)は同期だった仲間と同じ舞台で戦える日を楽しみにしている(提供・秋田ノーザンハピネッツ)

三ツ井利也が所属する信州ブレイブウォリアーズは、来季よりB1参入が決まっている。Bチームだった上原壮大郎も、B2のバンビシャス奈良で奮戦中だ。「あいつらには絶対負けたくない」。あのころの強烈なライバル心は、きっと今でも彼らを強く衝き動かしている。

プロが語る4years.

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