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連載: プロが語る4years.

打倒関東の思いは今も、地方の子ども達に夢を 今村佳太(下)

「自分がどこまでいけるかを試したい」。その思いで、今村(左)は地元・新潟の新潟経営大学からプロを目指した(提供・BOJ)

関東中心の大学バスケ界において、新潟経営大学を経て2017年に新潟アルビレックスBBに加入した今村佳太(24)は稀有な存在と言える。体の強さとシュート力を生かしたプレーで早くから頭角を現し、18年のアジア競技大会日本代表にも選出された。「今、僕がプロで頑張れている理由の一つは、『関東の大学出身者に勝ちたい』というハングリー精神です」。そうきっぱり話す今村の大学時代を2回連載で振り返る。

自主練で鍛え、新潟経営大で関東超えを 新潟アルビレックスBB今村佳太(上)

木村嗣人と2人で始めた挑戦

新潟経営大に入学するにあたって、今村は一つの夢を描いた。言わずもがな、プロバスケットボール選手だ。

「結果を出していないし、何かに選ばれたこともない。あくまで漠然とした夢で、自信はまったくありませんでした。ただ、大学でバスケをやることを決めた時に、『自分がどこまでいけるかを試したい』という気持ちが強かったんです」

実績と言えるものは、新潟県大会ベスト8と長岡市選抜のみ。端からみれば、その夢は無謀なものと言っても差し支えないもので、「厳しいんじゃない?」とネガティブな反応を示す人も多かった。その中でも今村が自身の夢に対して懐疑的にならず、常に高い場所を目指して努力し続けられたのは、同じ夢を目指す仲間がいたから。現在、B2のアースフレンズ東京Zでプレーする、同級生の木村嗣人(つぐと)だ。

今村(右)と木村の2人は、新潟経営大入学前からチームを強くしたいという思いを口にしてきた(提供・BOJ)

部員のほとんどが、新潟県内かその他北信越地方の出身者で構成される新潟経営大にあって、木村は神奈川から新潟にやって来た変わり種。2人は出会った時から意気投合し、入学前から「2人でチームを強くして、インカレの上位にチャレンジしよう」とメッセージを送り合った。

「僕が4年間頑張れたのは、ツグトがいたからと言っても過言ではありません。いつも一緒にいて、たくさんコミュニケーションをとっていました。インカレ上位だけでなく、プロを目指していたのも同じ。ツグトがいたから、プロは厳しいという人がいても『周りの意見なんか関係ない』というメンタリティでいられました」

プロを見すえ、あえてアウトサイドで戦いたい

今村が「恩師」と慕う新潟経営大の田巻信吾監督も、その夢を支えた一人だった。大学3年生に進級する直前に実施された個人面談。田巻監督は今村に、それまでプレーしていたスモールフォワードでなく、よりインサイド寄りのパワーフォワードとしてプレーしてほしいという意向を伝えた。早くからプロを見すえていた今村にとって、チームでは長身の部類に入る191cmの身長は、「普通」という認識だった。アウトサイドのプレーを極めんとする時期に、インサイドでプレーするのは本意ではない……。若干の逡巡の後に、今村はその思いを監督に伝えた。

「僕の身長でプロにいくとしたら、ポジションは2番(シューティングガード)や3番(スモールフォワード)が当たり前。それどころか1番(ポイントガード)であってもおかしくありません。そういうことを含めて『3番としてプレーしたいです』と言ったら、前から僕がプロ志望だと知っていた監督は『そういう気持ちがあるのなら』と認めてくれました」

監督の受け入れにあぐらをかくことなく、今村はひたすら技術を磨いた。苦手意識のあったボールハンドリングを克服しようとし、自信を持っていたシュート力もさらなる向上を目指した。自己中心的なプレーに走ったこともあったが、「自分一人で攻めていても、あるレベルから先にはいけない」と気づき、あくまでチームの流れの中で攻めるプレースタイルに切り替えた。

そうした努力が実り、4年生の春には初めてU24世代のエリートキャンプに選出された。「自分で考え、自分に合う努力をせよ」。入学時から言われ続けてきた田巻監督の言葉が、今村を高みへと引っ張っていた。

衝突もありながらも一枚岩に

「2人でチームを強くしよう」。木村と入学前から誓い合ってきた目標に従い、2人は何事も先頭に立って行動することを心がけてきた。下級生のころは、部員たちのモチベーションにばらつきがあることに歯がゆさを感じていたが、学年が上がり、2人がチームで認められる存在となっていくにつれて、同級生や後輩たちも、徐々にそれについてくるようになった。

インカレ上位を目指す今村と木村に対し、チームメートとは意識の差があった。しかし2人の本気の姿を見て、少しずつ変化が起きてきた(提供・BOJ)

4年生のシーズンが始まる前に、チームが立てた目標は「インカレベスト8」。ベスト16が最高成績だった同部の歴史を塗り替えようと意気込んだが、シーズン序盤は、2人と他の部員たちにはまだ意識の差があった。今村は苦笑いしながら振り返る。

「僕とツグトは勝ちたい気持ちが強かったので、発する言葉はかなり厳しかったと思います。練習に身が入っていないやつには『練習したくないなら帰れ』なんて言ったことも。時には『うるせえよ』と反撃されて、けんかになることもありました(笑)。僕もツグトも、言い方が相当よくなかったと思うけれど、それでもみんな、よくついてきてくれたなと感謝しています」

衝突を繰り返しながらチームは前に進み、6月の西日本学生選手権で、主将でスタメンの木村を欠きながらベスト8入りしたことにより、一枚岩に。北信越の大会をすべて無敗でクリアし、北信越1位としてインカレ出場を決めた。

超強豪の筑波とぶつかり

大学最後となるインカレのトーナメント表が公開された。新潟経営大の3マス上には筑波大学の名前があった。自分たちが勝ち上がれば、かなり高い確率で大会4連覇を狙う超強豪と対戦することになる……。今村は一瞬だけ「マジか」と天を仰いだものの、強気だった。「筑波に勝てば優勝できるだろうと思っていたので、あくまで勝つ気でいましたね」

1回戦の東北学院大戦を80-51と快勝し、迎えた筑波大戦。逆サイドでシューティングをする筑波大の選手たちは、バスケ雑誌で見たことがある顔ばかりだったが、舞い上がったり、気後れをしたりすることはなかった。「絶対に倒す」。思いは一つだった。

2年前には日本体育大。1年前には専修大戦。新潟経営大の3、4年生は、過去のインカレで関東のチームと2度対戦しているが、両校ともに前半からダブルスコアをつけられ、完敗だった。しかしこの試合は、前半終了時点で33-36と互角。コツコツと鍛えてきたフィジカルは学生王者にも通用し、今村は中外自在のオフェンス力を存分に発揮した。後半に入っても試合は拮抗。第3クオーター終了時に12点リードをつけられたが、なおも新潟経営大は食い下がり、その差を1ケタに詰め続けた。

「4年間の中で一番質の高い、いい試合でした。みんなすごく集中していたし、最後まで勝つ気で戦っていた。僕も、後半ビハインドになった時は『自分が追い付いてみせる』って、強い気持ちでプレーしていたと思います」。今村はそう振り返る。

学生王者の筑波大に食らいつき、前半はほぼ互角の展開だった(提供・BOJ)

新潟経営大は63-72で敗れた。その後、大会のファイナリストとなる筑波大を相手に1ケタ差の接戦を演じ、今村自身は29得点13リバウンドと圧巻のスタッツ。まぎれもない大健闘だったが、試合後は「勝ちたかった」という思いが決壊し、涙が止まらなかった。横を見ると、普段クールな同級生たちも泣いていた。「こいつらも悔しかったんだな。勝たせてあげたかったな」。涙の量は余計に増えた。

相棒の木村とも言葉を交わした。「ツグトがいて本当によかった。お前がいなかったらここまでこられなかった」。木村も同じような言葉をくれた。うれしかったし、一層悔しさが増した。

今村が大学でバスケを続けるきっかけとなったのは、高校最後の試合でラストシュートを外したことだった。4年の時を経て、大学最後のそれは見事にゴールネットを通過した。「ちょっとは成長できた部分なのかな」。今村は照れ臭そうに笑った。

夢は地方大出身者がA代表へ

高校時代にならした有望選手は、そのほとんどが関東の有名大学に集まる。設備や環境、予算の面をとっても、地方の大学が下克上を起こすことは相当に難しいと言わざるを得ないのが現状だ。今村も、「地方の大学は、クラブ関係者にプレーを見てもらえる機会が格段に少ない。その点ではどうしても厳しいと思う」と話すが、「環境に言い訳せず、成長のために何をすべきかを考え行動すれば、道を切り開いていけると思います」と続けた。

「僕自身は地方というハンディを逆手にとって、『関東の大学に勝つ』とハングリーに過ごせたのがよかったです。大学4年生の春、初めてU24のキャンプに呼ばれた時、コーチ陣は関東の有名な選手たちにかかりきりで、僕はただ呼ばれただけって感じ。すごく悔しかったけれど、『ここからアピールしてやる』といい刺激になりましたね。プロになってからも、関東出身の有名選手とマッチアップする時はどうしても意識しちゃう(笑)。とくにプロになりたてのころは、毎回『誰だこいつ?』って感じだったので、絶対活躍してやろうって思っていました」

今村は慣れ親しんだ新潟アルビレックスBBを離れ、来季は琉球ゴールデンキングスで戦う(提供・B.LEAGUE)

新潟アルビレックスBBで過ごした3年間で、今村は“地元のスター”と言えるまでに成長した。所属を琉球ゴールデンキングスに移す来季は沖縄、そして“日本のスター”を目指していく。

「今の僕の目標はA代表に入ること。地方大学出身の僕が代表選手になることで、地方の子ども達も『そこを目指せるんだ』と思ってもらえる。地方出身者としての責任をもって、目標に向かって頑張りたいです」

地方大出身者がA代表のフルメンバーに入った実績は、愛知学泉大出身の桜井良太(レバンガ北海道=代表歴は06~13年)以降ゼロ。地方大から日本代表という道を再び切り開くために、今村は歩み続ける。

プロが語る4years.

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