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特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

7人制ラグビーの明治大1年・石田吉平 すべては人生で1度の東京五輪のために

1月のワールドシリーズ・ハミルトン大会のケニア戦でトライを決める石田(Mike Lee - KLC fotos for World Rugby.JPG)

男子の7人制ラグビー日本代表が5カ月後の東京オリンピックへ向け、急ピッチで強化を進めている。リオデジャネイロオリンピックでは4位。東京ではメダル獲得を、と意気込む。オリンピックに向けたスコッド(メンバー)に大学1年生で唯一選出されているのが、明治大のSH石田吉平(きっぺい、常翔学園)だ。 

最高峰のワールドシリーズでトライ

石田は12526日と、セブンズ最高峰のサーキット大会であるワールドシリーズのハミルトン大会(ニュージーランド)に、日本代表メンバーとして出場した。岩淵健輔ヘッドコーチから「小さくなるんじゃなくて、自分のプレーを思い切り出せ」とのアドバイスを受けていた通り、予選プールのケニア戦ではパスダミーからスピードを生かしてトライ。引き分けに貢献した。石田は「去年と比べてだいぶチームになじめたし、トライを取り切る役目として貢献できるようになってきました」と、誇らしげに言った。 

石田といえば身長167cm と、日本代表でも世界を見ても小兵中の小兵だ。それでも2018年10月のユースオリンピックでは鋭いステップから快足を飛ばし、銅メダル獲得に貢献。常翔学園高(大阪)ではNo.8やCTBとFW、BKの両方でプレーしてトライを量産した。そして昨年3月、7年ぶりに高校生としてワールドシリーズ出場を果たしたのだ。 

高校時代はFWでもBKでも活躍した(撮影・斉藤健仁)

今年2月、昨年のワールドカップで活躍したWTB福岡堅樹やリオオリンピックメンバーなど35人あまりの日本代表候補(オリンピックスコッドとトレーニングスコッドを含む)がいる中で、石田は南米遠征のメンバー16人にも選出。チーム最年少ながら存在感を示している。「チャンスがあるので、挑戦していきたいです。オリンピックに向けてベストを尽くしたい」と、やりがいに満ちたチャレンジの日々を過ごしている。 

6のころはプロップだった

石田は幼いころ太っていたため、近所の人の勧めもあって4歳から尼崎ラグビースクールで競技を始めた。小学校6年生で65kg以上あって、ポジションはPR(プロップ)だった。 

中学校に入ると、スクールでラグビーを続けながら、学校ではサッカー部に入った。体重は少しずつ減っていった。また「足が速い選手や(相手を)抜ける選手になりたかった」という石田は、自ら公園でダッシュしたり縄跳びをしたり、インターネットでステップのうまい選手を見てマネたりしているうちに、ランやステップに自信がついていったという。 

まだ19歳。東京オリンピックで輝けるか(撮影・斉藤健仁)

中学1年生のころ、7人制ラグビーがオリンピックの正式種目に決まり、漠然と「アスリートのナンバーワンを決めるオリンピックに出たい」と思った。そして高校1年生のときにリオオリンピックをテレビで見て、4位になった男子セブンズの日本代表、とくに現在はチームメイトとして切磋琢磨(せっさたくま)している合谷(ごや)和弘(クボタ)にあこがれ、「東京オリンピックに出てメダルをとりたい」と大きな目標を持つようになった。 

東京五輪のため、古傷のあった左肩を手術

大阪の強豪校の一つである常翔学園高に進学し、ユース世代で一番のランナーとして台頭した。高2のときにはセブンズユースアカデミーの一員にも選出された。昨年4月、明治大に進学すると、すぐに東日本セブンズに出場して3トライを挙げる活躍を見せて3連覇に貢献し、チーム内MVPにも選ばれた。 

この大会直後、石田は一つの決断をする。 

311月の花園出場をかけた試合と、1月の花園での準々決勝。石田は左肩を2度、亜脱臼していた。だましだましプレーを続けて2020年になってから再びけがをすると、東京オリンピックへの出場自体が危うくなってしまう……。 

そこで、岩淵ヘッドコーチらコーチ陣に相談した結果、「東京オリンピックを目指すなら、早く手術をしたほうがいい」と言われ、左肩の手術に踏み切った。もちろん明治大の田中澄憲監督が「15人制ではまだまだだけど、セブンズではすごい。手術をしても東京オリンピックに間に合うよ」と、背中を押してくれたのも大きかった。 

全治5カ月だった。ラグビーをしたい気持ちを我慢して、フィジカル作りに専念した。ラグビー部の栄養士と相談し、13食ではなく、5食、6食にして腹をすかさないようにして脂肪を燃焼し、筋肉がつきやすいようにしたという。「下半身を中心に鍛えて、体重を73kgから77kgぐらいまで増やしました」と石田。 

ユーティリティープレーヤーになれ

昨年9月、関東大学ラグビー対抗戦の成蹊大戦で戦列復帰を果たした。その後はセブンズに専念し、ワールドシリーズや合宿などで、社会人の先輩たちとオリンピックに向けて鍛えている。「体が大きくなって、ディフェンス面で止められるようになりました。アタックでは自分で(トライを)取り切れるようになって、チームが困ったときに状況を打開できるような選手になりたいです」 

大学に入ってすぐのセブンズの大会で活躍し、その後手術を受けた(撮影・斉藤健仁)

いま、チームとして石田に求めていることはユーティリティープレイヤーになることだ。東京オリンピックは12人しか出場できないため、さまざまな役割に対応する必要性があり、石田も「BKのいろんなポジションができるようなりたい」と話す。現にSHだけでなく、SOCTBとしてプレーするシーンもあった。 

まだ19歳の石田は、アスリートとしては、年下であるサッカー日本代表のMF久保建英や、同じ明治大1年生のフィギュアスケーター、樋口新葉らに刺激を受けているという。「自分も二人と同じように、人に刺激を与えられるような存在にならないといけないと思ってます」

夢の舞台に立ちたい

田中監督からは、東京オリンピックまではセブンズに専念してくれていいと言われている。昨年のワールドカップを見て「オリンピックも盛り上がりを見せて、期待される中で勝たないといけない」と感じたという。 

ステップには自信を持っている(撮影・斉藤健仁)

改めてオリンピックへの思いを聞くと、石田は「自分の強みはランとステップです。そこは世界でも通用すると思ってます。東京オリンピックはラグビー選手のキャリアの中では1度しかない。夢の舞台に立ちたいです」。8月の本番へと思いを馳(は)せた。

ステップやランのキレは日本代表候補の中でもトップクラス。2月、4月と国際大会やオリンピックのプレ大会が続く中で、石田は持ち前の高いアタック力でアピールし、12人という東京五輪の最終メンバー入りに挑む。

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