ラグビー

レフリーとして生きる 早大ラグビー・池田韻

ポーズをお願いすると、池田は照れながらホイッスルを吹いてくれた (撮影・斉藤健仁)

2月10日、冬晴れの青空の下、早稲田大学ラグビー部恒例の「追い出し試合」があった。その試合で、4年生たちに感謝の気持ちをこめて笛を吹いた学生レフリーがいる。それが早大ラグビー部初の女性レフリー、池田韻(ひびき、1年、福岡)だ。

福岡の名門スクール出身

福岡県福津市出身。父が広島大学でラグビーをやっていた影響で、弟と一緒に小学2年から玄海ジュニアラグビークラブで競技を始めた。日本代表のWTB(ウィング)福岡堅樹、サントリーのWTB中鶴隆彰らも育ったスクールである。

父が、早稲田のラグビーが好きだったこともあり、小さいころからアカクロのジャージーはあこがれの対象だった。自分自身はおもにSH(スクラムハーフ)などのBK(バックス)としてプレーしたという。中学1年からは福岡レディースでプレーし、高校は福岡の母校でもある強豪・福岡高校に進学。男子と一緒に楕円球を追った。

高校でも当初はSHだったが、タックルが好きだったことが災いして両肩を痛め、あまりパスをしなくてもいいFL(フランカー)に転向した。手術も必要と言われたが、「ラグビーが好き」という気持ちは譲れなかった。

トレーナーやマネージャーといった裏方になることも考えていると、レフリーをしていた福岡高ラグビー部顧問の杉山英明先生から「レフリーはどうだ?」と勧められた。そして高3年の4月、北九州であった女子のワールドシリーズで補助員をして、「ラグビーをプレーしていたことも生きるし、自分の力で上を目指せるかもしれない」と、選手は高校で終え、大学からレフリーになる決心をした。

あこがれだった早稲田のラグビー部が学生レフリーを募集しており、女子も受け入れてくれると聞いて、第一志望を早稲田に絞った。

高3の秋から冬にかけては「一番大変でした」と笑顔で振り返る。

受験勉強の追い込み時期と、花園の開会式直後にある「U18花園女子15人制」の試合が重なったのだ。西軍のFLとして花園ラグビー場を駆けた瞬間は、選手として最大の誇りとなっている。

池田は日々、レフリングについて学んでいる (撮影・斉藤健仁)

同世代の選手たちと同じ舞台へ

花園での試合が終わるとすぐ、再び勉強に集中、しっかりと早大文学部に合格し、ラグビー部の門をたたいた。ただ、最初は戸惑うことばかりだった。高校までは30分ハーフだが、大学になると40分ハーフになり、しかも男子のスピードとパワーについてかないといけない。「まだまだにフィットネスは課題ですし、いまも取り組んでます」

レフリングの技術に関しては、1学年上の学生レフリーである小針悠太(2年、太田)から丁寧に教わった。「すべて学ばせていただきました」と感謝している。スクラムの反則は、PR(プロップ)やHO(フッカー)の選手に教えてもらう場合もあるという。

大学1年でC級レフリーに合格し、2019年度はB級への昇格を目指している。「まだまだレフリングが上手くないので、他のレフリーほど面白さは分かってないかもしれないですが、ラグビーが大好きなので、レフリーをやっていて楽しいです」と池田。日々勉強だが、充実した大学生活を送っている。

あこがれは女子A級の川崎桜子レフリー。川崎レフリーは帝京大学ラグビー部に選手として入部したが、けがにより2年からレフリーに転向した。そこから、ワールドシリーズやリオデジャネイロ五輪にも派遣される日本の女子レフリーのトップへと成長した。

高校の先輩には15人制女子日本代表としてワールドカップに出場した青山学院大のPR江渕まこと(3年)や、他校の同学年には15人制女子日本代表としてワールドカップでベスト15に選出された青山学院大のSH津久井萌(東京農大二)、女子7人制日本代表のエースのひとりである日本体育大の平野優芽(東亜学園)らがいる。

「ラグビーが好きで、少しでも長くラグビーに関わってたいです」と池田。「まだ大きいことは言えないですが、いつかレフリーとして先輩や同期の選手たちが活躍している場所に立ってみたい」と、大きな目を輝かせた。

彼女の名前は「ひびき」と読む。いつの日か、ワールドカップやオリンピックという世界の大舞台で、自分の笛をひびかせたい。

先輩の学生レフリー小針悠太と (撮影・斉藤健仁)

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