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連載: プロが語る4years.

特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

宇都宮・比江島慎 「とにかく厳しい」青学大時代、王者が抱えた葛藤

30歳になった今、改めて大学時代を振り返ってもらった(写真提供・B.LEAGUE)

これまで何人もの選手に尋ね、何かしらの答えを得てきた質問がある。

「大学バスケ生活において、ターニングポイントになった出来事はありましたか?」

宇都宮ブレックスの比江島慎(30)はこの問いに首を傾げた。

「別に隠すことでもないと思うんですけど、(青山学院大学)入学1~2年目で、もう大学バスケから学ぶことがない……とまでは言わずとも、上のレベルでやっていける自信があったんです。だから正直、大学で一番大変だったのはモチベーションの維持だったかもしれません」

今の若い世代が「めちゃくちゃうらやましい」

現在、不動の日本代表メンバー、そしてBリーグ屈指の強豪・宇都宮ブレックスの日本人エースとして活躍する比江島は、小学生の頃から常に各カテゴリーの頂点に君臨し続けてきた男だ。福岡県選抜として全国優勝、福岡市立百道中として全国3位という実績を持って入学した洛南高校(京都)では、1年生の時から主力としてウインターカップ優勝に貢献し、同大会を3連覇。その突出した才能は、多くの有望選手にとって“最初の壁”となる大学でも、変わらず鋭さを保ち続けた。

そして比江島はその才能を持て余し、途方に暮れた。

「天皇杯でJBL(当時のトップリーグ)に勝つという目標はありましたし、ユニバーシアードで世界と戦ったことで刺激も受けましたけど、それでも3、4年生の時は退屈で仕方なかったです。何度監督に『ちゃんとやれよ!』って怒られたことか(笑)」

比江島は青学大に入部してすぐにスタメンに起用された(写真提供・BOJ)

日本のバスケットボール界は、この10年足らずで著しく変化した。世代を代表する選手たちは10代から海を渡り、大学バスケをやめてプロに転向したり、大学バスケに籍を置きながら特別指定選手としてプロを体験したりすることも可能になった。28歳で初めて海外挑戦に踏み切った比江島は、そのようなキャリアパスが用意された若い世代について「めちゃくちゃうらやましい」と言い、かつての自分への後悔を口にした。

「自分の力を信じ、実力を見極めて、もっとしっかり進路を考えるべきだったなと思うんです。大学から海外に行っていれば、今、もっと違う景色を見ていたのかなと思ったりすることもありますし」

高校卒業時点で、比江島には「よほどのことがない限り、大学卒業後にはJBLに行ける」という見立てがあったというが、海外に挑戦することや、飛び級でフル代表やプロにチャレンジする考えには至らなかったと振り返る。もしバスケ界の環境整備が10年早かったら、もし自分にもっと自信があったら……。そんな思いが頭をよぎるのを止めることはできないが、とらわれていても仕方がないから、比江島は学生たちに思いをつなぐ。

「今の若い子は、早い段階でプロを経験できたり、高いレベルでプレーできるので、若い内から自分の実力を見定め、いろんなものを吸収し、経験してほしいです。『海外を目指す』とか『日本代表に入る』というような目標をどう達成しようか考える上でも、外国人選手とプレーし、ベテラン選手からアドバイスをもらえるプロの環境から見えるものは、大学とは全然違うと思います」

自分も学生の時から海外に挑戦できていたら……という思いはある(写真提供・BOJ)

先輩の後を追い、「とにかく厳しい」青学へ

留学という選択肢をとらなかったことへの後悔はあるが、それでも“国内の大学”という枠の中で青学大を選んだのは、比江島にとって間違いなくベストな判断だっただろう。

高校卒業後の進路を考え始めた頃の比江島のスタンスは「(関東大学リーグ)2部でもいいから、楽しくやってJBLに上がれればいい」。ほどなくして洛南高の吉田裕司監督に諭され、「性格的にも厳しい場所に身を置いた方がいい」と考え直したというが、もし吉田監督の説得がなかったら、日本を代表し、アジアからも認められるポイントゲッターは存在しなかったかもしれないと思うと恐ろしい。

いくつかの候補の中から比江島が青学大を選んだ決め手は、橋本竜馬(現レバンガ北海道)や辻直人(現川崎ブレイブサンダース)ら中高時代の先輩がいたこと。彼らから「青学の練習はとにかく厳しい」と嫌というほど聞かされ、比江島も相応の覚悟を持って入学したが、待ち受けていたのは想像以上の世界だった。

「その他の思い出がないくらいバスケ一色の生活でした」と、比江島は当時を苦笑まじりに振り返る。「当時の青学の練習は他のチームと比べてきつかったと思いますが、その中でも僕のように日本代表になりそうな選手は、さらにきつかった。練習がない日も授業の空き時間も、僕はほとんどトレーニングか個人練習でしたから」

在学中からフル代表を期待され、つきっきりで指導

当時、青学大を指導していた長谷川健志氏(現同部アドバイザー)に、比江島は入学前から「お前は大学在学中からフル代表で活躍しなければいけない存在」と言われていたという。高校までゴール付近での得点が主だった比江島にアウトサイドでの仕掛けを身に付けさせるために、長谷川氏はチーム練習以外の時間もつきっきりで指導にあたった。

監督もコーチもつきっきりで比江島を指導してくれた(写真提供・BOJ)

長谷川氏のビジョンを共有したストレングス&コンディショニングコーチの吉本完明氏も、ハードなトレーニングを用意し、毎日比江島を待ち構えていた。

「いくらバスケがきつかろうがトレーニングをしなければいけない状況だったので、まーーーーーーきつかったですね。体重もウェートトレーニングの重さも、1カ月ごとに目標が設定されていて、クリアできなかったら坊主。めっちゃ嫌だったので必死でしたよ。今だから言えますけれど、体重の計測前に水をたくさん飲んで、なんとかクリアしたこともありました(笑)。僕は体質的に筋肉がつきやすいので、トレーニングすればするだけ目標をクリアできたんですけど、つらかったですね、もう……」

インタビューの中で、比江島は何度も「青学に入ってよかった」と感謝を述べた。その言葉に嘘(うそ)偽りはないだろうが、一方で「大学時代には絶対戻りたくありません」という言葉にも、真に迫るものを感じた。

宇都宮・比江島慎 青学大時代に唯一やり残したこと、胸に刺さった長谷川監督の言葉

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