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連載: プロが語る4years.

日本から目指してきたNBAへの道、バスケも勉強も考えて筑波大へ 馬場雄大1

プロが語る4years.
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メルボルン・ユナイテッド入団記者会見で、馬場は改めて自分の夢を口にした(写真提供:JBA)

今回の連載「プロが語る4years.」は、バスケットボール男子日本代表としても活躍する馬場雄大(24)です。筑波大学在学中にBリーグのアルバルク東京に加入し、昨シーズンはアメリカに渡ってGリーグ(NBAの育成リーグ)のテキサス・レジェンズで、今シーズンはオーストラリアのメルボルン・ユナイテッドなどと世界で戦っています。4回連載の初回は筑波大での1年目についてです。

立ち止まる選択肢はない

7月19日、オーストラリアのプロバスケリーグNBLに所属するメルボルン・ユナイテッドが、馬場雄大との契約を発表した。馬場は2019年9月にNBAダラス・マーベリックスと契約し、かねてからの夢だったNBAへの第一歩を踏み出した。10月にはマーベリックス傘下のテキサス・レジェンズに所属を移し、Gリーグで奮闘を続けたが、新型コロナウイルスの影響で、Gリーグは3月に2019-20シーズン中止を発表。20-21シーズンが開幕される見通しもいまだ立っていない。

馬場が新天地にオーストラリアに選んだのは、Gリーグとは別のアプローチでNBAに近づくためだ。まだ不十分な英語を磨くことができ(といっても、アメリカ人エージェントと英語でやり取りし、サプライズの英語スピーチにもそつなく対応できる)、日本より競技レベルが高く、NBAスカウトの注目度も高いNBLは、馬場にとって魅力的なリーグだった。

馬場はGリーグ中止からほどなく、エージェントにNBLを狙う意思を伝えた。そして、いくつかのチームからオファーを受けた結果、馬場の果敢に攻める姿勢を評価するメルボルン・ユナイテッドと契約した。昨年まで所属していたBリーグからのオファーもいくつかあったが、断った。「日本に残るというのは立ち止まることと同じ。今の僕には立ち止まる選択肢はなかった」という理由だった。

次の世代の選手たちに僕の姿で証明したい

NBAでプレーする八村塁(ワシントン・ウィザーズ)と渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)は、アメリカの大学からNBA入りを果たした。次代のNBAプレーヤーと期待される富永啓生(レンジャーカレッジ)は大学から、田中力(IMGアカデミー)は高校からアメリカに渡っている。一方、馬場は筑波大、アルバルク東京を経由して24歳でNBAへの本格挑戦を表明。客観的に見れば少し遅いスタートだ。

早期からのアメリカ挑戦がNBAプレーヤーになるための最適解なのか。いや、違う。馬場は自らの夢の上に、ある大きな使命も背負っている。

メルボルン・ユナイテッドの相談役であるジェレミー・ヴォグラー氏(左)も「才能あふれる選手が、チームの一員になってくれたことは大変光栄なこと」とコメント(写真提供:JBA)

7月20日に行われた入団記者会見で、馬場は「あなたの挑戦は日本バスケ界にどのような意味を与えると思いますか?」という質問に対し、こう答えた。「アメリカの高校や大学に行かなくても、NBA入りには様々な方法がある。それを僕の活躍を通して、次の世代の選手たちに証明したいという思いがあります」

日本の大学からNBA、国内リーグからNBA。パイオニアになるための矜持(きょうじ)を胸に、馬場は新たなチャレンジに踏み切った。

「打倒東海」を掲げ、負けた経験から学んで

馬場は高校時代からスペシャルな選手だった。富山第一高校として出場した4度の全国大会はいずれも下位回戦で敗退したが、その身体能力の高さは誰の目から見ても明らか。U-16、U-18日本代表でも主力を務め、全国大会上位を争う選手の中にあってもその輝きはくすまなかった。

海外の大型選手が相手でもひるむことなくドライブを仕掛け、ブロックされてもシュートを打ち切る。U-16アジア選手権で見せた馬場のプレーは、接触を避け、アウトサイドのプレーに頼りがちだった従来の日本代表には見られないものだった。そのプレーに、これからの日本バスケ界の明るい未来を見たのを、今でもよく覚えている。

そんなスターの原石を強豪大学が放っておくはずもなく、馬場の記憶では、関東1部に所属するほぼすべての強豪校から声がかかったという。その中から馬場が筑波大を選んだのは、盟友の杉浦佑成(現・島根スサノオマジック)と同じチームでプレーできること、体育の教員免許が取得できること、勉学にしっかり励める環境といった理由だった。

筑波大は当時、表彰台にあと少し手が届かないチームだった。しかし、馬場は入学時から「4年後の大学日本一」、さらには全カテゴリーを含めた頂点を意味する「天皇杯優勝」という目標を掲げ、5月の関東学生選手権からスタメンに抜擢(ばってき)される。そしてその才能をいかんなく発揮し、チームの準優勝に貢献した。

27年ぶりの選手権決勝で、筑波大は東海大学に67-82と大差で敗れた。馬場自身も大学の壁を大きく実感した。そして考えた。絶対王者として君臨していた東海大を倒さなければ、大学日本一にはなれない。「打倒東海」のために必要なものは何なのか……。経験だ。馬場は当時を振り返って話す。

「もちろん自分がマッチアップする相手の研究はしていましたが、何より足りていないのは経験だと思っていました。大事なのはリーグ戦や練習試合でいかに負けて、負けて、そこから何を学ぶか。学びを得るために、何事にも恐れずぶつかっていくようにしました」

馬場は筑波大1年生の時からアグレッシブなプレーを見せていた (c) Masami SATOH

当時の馬場のプレーは、見ていて非常に危なっかしいものだった。勢いのあるレイアップでゴールに突っ込むと、大抵そのまま体勢を崩してエンドラインに倒れこんだ。けがをしないかと毎回ヒヤヒヤしていたが、数秒も経たずにすっと立ち上がり、ケロリとした様子ですぐにプレーへと戻っていく。

願いを叶(かな)えるためならば、痛みを恐れず挑戦するという意志。そして、例え傷ついたとしても、それすらも余すことなく血肉にしてやるという覚悟。馬場が振り返った当時のマインドと当時のプレーが、すっと重なった。

61年ぶりの日本一、喜びの一方で

入学時に描いた「大学日本一」と「打倒東海」は、そのわずか7カ月後に達成されることになる。春の選手権、秋のリーグ戦と、対東海大戦で3戦全敗で迎えたインカレ決勝。筑波大は67-57で東海大に勝利し、優勝を果たした。

主将の笹山貴哉(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)の神がかり的な攻撃と、「もっと行け!」という吉田健司監督の発破に引っ張られるように、馬場も躍動した。後半は厳しいマークを受ける笹山に代わってボール運びを担当し、過去の対戦で課題と感じていたリバウンドをもぎ取ることで、チームにアドバンテージを作った。

1年生ながら馬場はすでにチームに大きな影響力をもたらしていた (c) Masami SATOH

同校61年ぶりとなる快挙。そして何より、馬場にとって初めての日本一。その喜びを大いにかみしめる一方で、馬場の心には一粒の渇きが生まれていた。

「もう、大学4年間で“この上”はないんだな……」

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