大学バスケ

連載: プロが語る4years.

日本の大学で得たトップ選手の自覚、痛みがあっても挑戦すると決めた 馬場雄大3

プロが語る4years.
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4年生5月の関東学生選手権が、馬場にとって大学バスケの最後の舞台となった (c) Masami SATOH

今回の連載「プロが語る4years.」は、バスケットボール男子日本代表としても活躍する馬場雄大(24)です。筑波大学在学中にBリーグのアルバルク東京に加入し、昨シーズンはアメリカに渡ってGリーグ(NBAの育成リーグ)のテキサス・レジェンズで、今シーズンはオーストラリアのメルボルン・ユナイテッドなどと世界で戦っています。4回連載の3回目は筑波大で過ごした4年間を振り返っての思いです。

自分がダントツだというところを見せたい

4年生の5月に迎えた関東学生選手権をもって、バスケ部を離れる。馬場がチームメートにそう伝えたのは、選手権初戦まで約1カ月というタイミングだった。全部員の前で馬場は言った。「俺の夢はNBAやアメリカでプレーすること。そのためには1年でも早く力を身につけたい。インカレ3連覇も達成したし、次のステージに進みたいと思っている」

前例のない申し出に対し、部員たちはあっけにとられたような表情だったと馬場は記憶している。大黒柱が突然チームを離れるというのだ。その衝撃の大きさは計り知れない。ただ、我に返ったチームメートはみな、馬場の決断を支持した。先んじて報告した杉浦佑成(現・島根スサノオマジック)や青木保憲(現・川崎ブレイブサンダース)ら同期も、「お前が決めたことなら応援する」と背中を押してくれた。

チーム全員が馬場の大学ラストゲームと認識して臨んだ選手権で、筑波大の強さは群を抜いていた。5戦すべてを危なげない展開で制し、決勝戦ですらも115-57とダブルスコアに近い内容だった。馬場自身も「学生最後の大会。思い残すことなく自分がダントツだというところを見せたい」という思いでプレー。MVPを獲得し、有終の美を飾った。

閉会式終了後、仲間たちとどんな言葉を交わしたか、自身が大学バスケとの別れにどのような感慨を抱いたかは、正直あまり覚えていない。

「そういうのは競技を引退してから振り返ればいいと思っているんです。それまではがむしゃらに行けるところまで突っ走るだけなんで」

馬場は常に、前だけを見ている。

学生&プロ選手として多忙な毎日、それでも仲間の涙には

バスケ部を退部したとはいえど、馬場の「4years.」はまだ続く。教員免許をとり、大学をきちんと卒業すると決めた馬場は、選手権終了後ほどなくしてアルバルク東京に合流し、プロバスケ選手と大学生という二足の草鞋(わらじ)生活をスタートさせた。アルバルクの練習、日本代表としての合宿と試合、卒業論文、教育実習……。怒涛(どとう)のような毎日だった。

学生として教育実習や卒論と向き合いながら、馬場(左)はアルバルク東京でプロバスケデビューを果たした(提供・B.LEAGUE)

特に大変だったのが教育実習だ。都内の高校での教育実習を終えたのは、9月にあったBリーグ アーリーカップ最終日の前日。10月の開幕に向けた最終調整に参加できない分を取り戻すため、実習先近くの体育館でコーチとマンツーマンの練習を敢行。練習が終わったら疲れたと思う暇もなく机に向かい、翌日の授業の指導案の準備にとりかかる。就寝時間は毎日3~4時だった。

Bリーグ2017-18シーズン開幕戦となる大阪エヴェッサ戦から、馬場は出場機会を獲得した。翌日の第2戦ではプロ初得点も記録し、プレータイムは徐々に伸びていった。ほどなくしてワールドカップアジア予選が開幕し、レギュラーシーズンの合間に合宿や海外でのアウェーゲームが差し込まれる、過酷な日々が始まった。緻密で難解なことで有名なアルバルクのプレールールを覚えながら、若くして日本代表のスタメンを張る責務を負った。卒論も進めなければならない。アメリカ挑戦のために、日記を英語で書くことにもチャレンジし始めた。すべてに対し、とにかく必死だった。

だから、インカレ4連覇を狙うかつての仲間たちにも特に連絡はしなかった。大東文化大学とのインカレ決勝の日は、アウェーで戦うオーストラリア戦の前日。前日練習を終え、ホテルの部屋に戻ってきて結果を調べた。68-87。連覇が途絶えたことを知り、初めて馬場の胸に小さな痛みが走った。馬場はその日、決勝後に涙する杉浦と青木の動画ツイートにこんな言葉を添えて投稿した。

「自分が決断した道。悔いてはいけない。けれども今だけ一瞬少しだけ。」

日本で過ごした大学4年間があったから

2018年3月、馬場は筑波大を卒業した。「ダンクシュートの有用性と、勝敗に及ぼす影響について」というテーマの卒論を無事書き上げ、教員免許も見事に取得。入学時に掲げた“文武両道”を非常に高いレベルで達成した。

「大学4年間で得たものはなんですか?」。そう問うと、馬場は珍しく「難しい……」と考え込み、こう答えた。

「うまく言葉にできないんですけど、高校卒業後にアメリカに行っていたら、今の僕ほどいい形でチャレンジできていなかったと思うんですよ。大学で日本一になる経験を3回もさせてもらって、勝ち方やバスケに対する姿勢を教えてもらい、『自分は日本のトップ選手なんだ』と言えるくらいの力と自覚を持って挑戦したからこそ自分の中に軸ができて、頑張れているような気がしています」

吉田健司監督に学んだことは、考える力の大切さ。「一つひとつの決断を、迷いなくバッと決められるようになったのは、吉田先生が自ら方向を示すのではなく、選手に考えさせることを大切にしてくれたからだと思います」

吉田先生の元で学び、仲間とつかんだ学生日本一があったからこそ、今の馬場雄大がある (c) Masami SATOH

バスケマンガの金字塔『SLAM DUNK』に、日本の大学を1年で退部してアメリカに渡るキャラクターがいる。2mの長身とそれに似つかわしくない身体能力を持つそのキャラクターと、197cmで縦横無尽にコートを駆ける馬場と非常に似ているが、2人の決定的な違いは、日本の大学バスケに価値を見いだしたか、そうでないかという点にある。

このキャラクターは、日本で基礎技術を学ぼうとしなかった結果、ある悲劇を迎えることになる。一方の馬場は、日本で基礎と考える力の土台を築いた上で、アメリカの空気を吸い、高く高く跳ぶことになる。

プロが語る4years.

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