普通の遊撃手で終わりたくない、誰よりも試合に出たい 中日ドラゴンズ・京田陽太4
今回の連載「プロが語る4years.」は、中日ドラゴンズの選手会長、京田陽太内野手(26)です。応援団長の笠川真一朗さんがこれまでの野球人生に迫る4回連載の最終回は、2017年に新人王をとって以降、ショートの座を守り続ける苦労、こだわりなどを聞きました。
打撃で苦労、変化恐れず
2年目(2018年)以降は「僕にとって大きな課題」と語る打撃面で不振に苦しんだが、守備や走塁ではプロ野球界を代表すると言って過言ではないプレーで年を追うごとに成長を見せる。正遊撃手の座は決して離さない。2019年から故・高木守道氏ら歴代スター選手が背負ってきた背番号「1」を受け継ぎ、20年には選手会長にも就任。その期待を超えていかなければいけない。京田にとってこれからの時間はルーキーイヤーよりもはるかに過酷な日々の連続だ。それでも京田は厳しい戦いの中でも現状維持は求めない。昨季も挑戦は続いた。
打撃面では20年シーズン途中からフォームを変えた。開幕した頃はバットを立たせて構えていたが、バットを寝かせるようにした。下半身の使い方も変えている。「結果が出なければ変えて当然だと思います。結果が出ないと試合には出続けられない。『よくシーズン中に変えるな』という声もありましたが、必死にチャレンジしていく中で見えることもあります」
目先の結果が欲しくてやみくもに変えたわけではない。変化に挑む分、バットを振り続けた。試合前に打ち込み、試合後にも打ち込んだ。「ああじゃない、こうじゃない」と自分の中で試行錯誤しながら準備期間を作った。そして少しずつ手応えを得て試合で取り組むと変化が生まれた。「ボールのラインにバットが入れやすくなりましたし、打球の質がきれいになりました。今の僕にはこれが合ってます。こんなにガッツリとフォームを変えたことは今までなかったのですが、やってみてよかったと感じています。まだまだ模索中ですが、打撃は僕の課題なので正面から向き合います」。課題に対して決して背を向けない。京田は何かをつかもうと懸命にバットを振り続ける。
進化を続ける一流の守備
そして守備面ではポジショニングを深くした。年を重ねるごとに前方向の打球に対するダッシュ力が身に付いた京田は前の打球に対する入り方をつかんだ。その培った技術をうまく利用して、その分、守備位置を後ろに下げたのだ。ナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)は広い。後ろを守る外野手の守備力なども考慮すると、横や後ろの打球に対する守備範囲を広げることはチームにとっても京田にとっても大切な要素になる。京田は更なる可能性を求めて取り組んだ。
「(2020年)キャンプの初めに荒木さん(雅博、中日ドラゴンズ1軍内野守備走塁コーチ)に声をかけて頂いたんです。『エラーの数が増えてもいいから、思い切って下がってみようか』と。それで思い切って挑戦することができました。自分を成長させるための大事な過程だったので、遊撃手としての引き出しを増やすためにもすごく良いシーズンになりましたよ。結果的にエラーの数は増えました(2019年9→20年13)けど、気にしてません」と挑戦に胸を張った。
捕れる範囲を広げることで足も使うし、送球の距離も伸びる。ただ、京田は学生時代から体がとにかく強い。けがをしないのも大きな魅力で、だからこそ新たな挑戦に踏み切ることができたのだと実感する。そして打球に対する距離感も変われば守備の間合いも多少は変わる。慣れないことに挑戦するのは怖いはずだ。しかし京田は「怖さは一切ない」と言い切る。
それには根拠がある。「4年間ずっとショートを守らせてもらっています。対戦相手の特徴や打球方向、打球のクセ。何もわからないところから始まって一つひとつ知ってきました。アウトを取れる要素が増えたんです。確実性も増してます。その上での挑戦なので」。絶対にゆずれないものがある。だからこそ挑戦を恐れない。そして京田は言う。「普通の遊撃手で終わりたくない」と。その言葉には強い意志がしっかりと表われていた。
選手会長として目配り
選手会長に就任し、人間的な部分もチームの柱として求められる立場だ。「先輩もいますし気遣いも大切です。そして下の選手たちもどんどん入ってきて、ちょうど今、僕くらいの年が年齢的にも中間になってます。目配りもしっかりしていきます。選手会長になって球団の方と話す機会が増えました。2020年のシーズンでは職員にも選手にもコロナの陽性者が一人も出ませんでしたし、色んな事に細心の注意を払いながら選手をケアしてくれてます。感謝して頑張らないといけないなと強く思いましたね」と自覚を口にした。
そして、「チームとして勝ちたい気持ちがある」と口にした。入団してからの3年間、チームは5位だった。勝てない苦しさや勝てないことに慣れている雰囲気も京田は身を持って知っている。しかし、3位になった2020年はそんな悪い雰囲気がまるでなかったと話す。「逆転した時のベンチの良い雰囲気、負けだすとピリっとしている雰囲気。『これだ!』と思いました。たくさん練習もしていく中で、強いチームの雰囲気を感じています。だから勝って優勝したい。そう思います」。真っ直ぐに目標を語った。毎日の勝負の中でチームの雰囲気を読み取れるようになったことも京田自身にとって大きな成長なのかもしれない。それを厚かましくも京田に伝えると「今思えば、大学時代に学んだことは確実に生きています」と思い返すように話した。
京田に今後の個人の目標を聞いてみた。「2000本(安打)を打ちたいとかはありますけど、個人のタイトルとかより、ずっと試合に出続けている選手になりたい。誰よりもショートで試合に出たい。そして(デレク・)ジーター(元ニューヨーク・ヤンキース)みたいにショートで終わりたいです。ヒットを打ったり、盗塁をしたりとかそういう結果は自分次第でできることです。でも試合に出ることだけは自分で決められません。試合に僕を出すというのは人が決めることなので。試合に出ることにはずっとこだわっていきます。野球選手は試合に出続けることに大きな意味があります」。遊撃手というポジションへの深い愛情を感じた。そのこだわりは大学時代から対戦相手である僕にもずっと伝わっている。当時からまぎれもなく特別な選手だった。そんな京田に惹(ひ)き込まれていた。
自分にとっての「コレ!」を作る
最後に京田から学生に向けてメッセージをもらった。
「僕は今、野球を仕事にできています。つらいことはたくさんありますが、それでも野球は大好きなんで幸せです。何かコツコツと継続してください。それが大きなものを生み出します。僕の場合は守備でした。守備の基礎があったから打撃という課題に正面から着手できたので。何でもいいから自分にとって『コレ!』と思えるものを作ってください」
こだわりを持って一つのことを突き詰めたからこそ、他のことにも挑戦できた。それを実践してプロへの道を拓(ひら)いた京田の言葉だからこそ伝わるものがある。
京田は5年目のシーズンを前に沖縄のキャンプで汗を流している。入団してから4年間、遊撃手の座を守ってきた。3年目の20歳、根尾昂(あきら)ら若手遊撃手と比較されることはある。それでもこの座を譲るわけにはいかない。
「比較されてるのは自分に原因があります。並以下の成績を残している僕が悪い。バリバリに活躍していれば。ただ、4年間スタメンに選ばれて試合に出続けているという意地は僕にもある」
京田は言い切った。それは遊撃手というポジションを心から愛しているからだ。だから譲れない。
初めて見たときに僕は衝撃を受けた。「ユニホームの着こなし、厳格な雰囲気、周囲と格が違う野球選手や」。今でもその印象は変わっていない。
「僕にとってユニホームは戦闘服。ピシッとしてないといけない」
京田がそう言ったことも覚えている。
「中日の遊撃手は京田しかいない」。周囲の人々からそう言われるような、誰とも比べられない特別な選手に。そして誰もが認める遊撃手に。僕はその日を楽しみに京田選手を心から応援します。