大学野球

連載: プロが語る4years.

大分から愛知学院大に進み、弱点に向き合った 埼玉西武ライオンズ源田壮亮・1

得意なところを伸ばし、苦手なところを克服する。そうやって成長してきた(すべて撮影・佐伯航平)

輝かしい舞台で躍動するプロアスリートの中には、大学での4years.で花開いた人たちがいます。そんな経験を持つ現役プロや、元プロの方々が大学時代を中心に振り返る連載「プロが語る4years.」。第6弾はプロ野球・埼玉西武ライオンズのショートを守る源田壮亮(げんだ・そうすけ、26)さんです。取材・執筆は4years.の野球応援団長である笠川真一朗さんが担当します。1回目は源田さんが愛知学院大で得たもの、気づいたことなどについてです。

プロでは1年目から記録づくし

源田さんは大分市出身。「本当はサッカーが好きだった」そうですが、お父さんの影響で小学生のときにソフトボールを始め、中学のころはボーイズリーグのチームで野球に取り組みました。高校は大分商業に進み、愛知学院大学へ。卒業後は社会人野球の名門・トヨタ自動車で2年間プレーしたあと、2016年秋のドラフト会議で西武から3位指名を受け、プロ野球選手になりました。

ルーキーイヤーの2017年からレギュラーのショートとしてペナントレース全143試合にフルイニング出場を果たし、新人王とスピードアップ賞を受けました。スピードアップ賞とは「無走者時の相手投手の平均投球間隔の短かった選手」という非常にレアなタイトルです。

2019年4月に死球を受けて負傷するまで、ルーキーイヤーからフルイニング出場を続けていました

新人としてシーズン150安打以上はプロ野球史上3人目。新人で全試合フルイニング出場は史上4人目という快挙でした。そして17年の開幕から299試合続いた、ルーキーからの連続フルイニング出場はプロ野球記録なんです。

18年にはショートでシーズン捕殺の新記録となる526個を記録し、ベストナインやゴールデングラブ賞を受けました。近年、最もアツいショートだと、僕は勝手に思ってます。なぜ源田さんがこのようなタイトルや記録を残せたのか、この連載の取材を通じて少し分かった気がしたので、そんなことも伝えていけたらと思います。

野球を長く続けるため、愛知学院大へ

源田さんには大分商業高校のころにもプロから声がかかってました。「育成なら、という話はありました。でも育成で行ったとしても、そのときの自分のことを現実的に考えたら、線は細いし背も低かったから厳しいと思って、大学進学を選びました。どこの大学に行くかを考えたときに、東京の大学に行きたかったけど、それも無理で……。なんとなく九州を出た方がいいのかなと思ったりもして、話をいただいてる中で、愛知学院なら全国大会にたくさん出てるから、注目されやすいと思いました。それと、東海地方なら社会人野球のチームも多いですし、それもあって愛知学院を選んだという感じです」

野球が好きだから、長く続けたいという理由で進学先を選んだそうです

確かに東海地区には15社の企業チームがあります。これは関東地区に次いで、九州地区と並ぶ全国で2番目の多さです。源田さんはプロ野球選手になるため、野球をより長く続けるために愛知学院大への進学を選びました。

そしていざ大学野球の世界に飛び込んだ源田さんはこう実感します。「全国的に見ても強い野球部だから、チームメイトの出身校を見たら甲子園に出てる強豪校の人もたくさんいました。自分は強豪校の選手じゃないから、みんなすごいなぁ、って」

強い高校出身の選手から学び、視野が広がった

「高校のときに同期がプロに行った選手や強豪校出身の選手から、『どんな野球をしてたか』『どんな練習をしてたか』といういろんな話を聞けたのはすごく大きかったです。勉強になったし、野球に対する視野が広がりました。その中でいろんな人脈も広がったし、18歳から22歳になるまでの過程でいろんなことを共有できて、自分の成長につながったと思います」。大学での4年間で、源田さんの世界は広がりました。

愛知学院大の野球部は全寮制。僕も大学時代は寮生活でしたが、子どもから大人になる大事な時期を一緒に過ごすチームメイトとは、野球から私生活のことまで、ほんとにいろんなことを共有できます。いま思うと、親元を離れてチームメイトと暮らすこの4年間は本当に貴重で大きな経験だったんだなと、僕も改めて感じます。

3年生の冬から翌春まで、打ちに打った

当時の愛知学院大は朝6時半から全体練習がありました。そして9時半から授業を受けて、授業が終わると、午後5時から9時まで全体練習。そこから自主練習をするというスケジュールでした。「練習は本当にキツかったです。自主練習は自ら率先してやってはなくて『みんなやってるからやったほうがいいのかなぁ』と思ってやるくらいだったかな(笑)」と、当時の素直な心境を語ってくれました。自主練習では毎晩ひたすらノックを受けていたそうです。

源田さんは1年生の春から、主に守備固めとしてリーグ戦に出ていました。秋にはショートのレギュラーに定着。日々練習を続けていた守備は安定感が増していきましたが、バッティングではいい結果の出せない時期が長く続きました。

4年生のときの全日本大学野球選手権、福井工大戦でホームランを放つ(撮影・井手さゆり)

「上のレベルで野球を続けることを考えたときに、どうしてもバッティングが弱くて。それが自分の評価の足を引っ張ってるというのは、分かってました。だから、そこにしっかり向き合って、3年生の冬から4年生の春までは、打つことだけに必死で取り組みました」。ひと冬の間ずっとバットを振り込み、いろんな種類のティーバッティングを繰り返して、自分自身の弱い部分と向き合い続けました。

けがをして、スタンドで気づいた大事なこと

源田さんが大学生のころに対峙(たいじ)した最も大きな壁は何なのか。そしてそれをどのようにして乗り越えたのか、尋ねてみました。すると直接的な質問の答えより大切な言葉が返ってきました。

「壁は、いま思うとなかったかな。挫折でもないけど、それと似た経験はあって。2年生の秋のリーグ戦直前に左手の指を骨折して手術したことがあったんです。もちろんメンバーから外れてスタンドで応援してました。それまでは、小さいころからずっと試合に出るのが当たり前で、スタンドから自分のチームの試合を見るのは初めてでした。けがをするのは絶対によくないと思ったけど、外から見る野球は勉強になったし、試合に出られるありがたみを、すごく感じました。メンバーを外れたら、試合の日もゆっくり起きられるし楽だけど、それがすごく嫌で。早く試合に出たいなぁと思ったんです」

そして迎えた4年生の春のリーグ戦。ひと冬かけた練習の成果が出て、3割を超える高打率を残します。そして大学の日本代表選考合宿に参加しました。この合宿を経験したことで、昔から抱いていた「プロ野球選手になりたい」という気持ちが、さらに明確になりました。

トヨタ自動車で守備の師匠と出会い、自信を持ってプロに 埼玉西武ライオンズ源田壮亮・2

この記事をシェア

Seriesこの連載をもっと読む

この連載の記事一覧へ

プロが語る4years.

Their Stories大学別・競技別に読む