バレー

特集:駆け抜けた4years.2025

近畿大学・荒木琢真 1年目からコート内を統率、相手の気持ちも考えたラストイヤー

主将としてリベロとして、近大を引っ張った荒木琢真(ユニホームの写真はすべて撮影・井上翔太)

近畿大学は昨年12月の全日本インカレで25年ぶりとなるベスト4進出を果たした。「快挙」と言える形で締めくくったが、主将を務めた荒木琢真(4年、東山)は悔しそうに振り返る。「せっかくベスト8の壁を越えて四つに入ったのに、メダルを持って帰れへんかったというのが、すごく自分の中では悔しい。うれしいより、悔しいの方が勝っていました」

「関東を倒して勝ち上がったら面白い」と近大へ

1回戦から北海道大学、亜細亜大学、福岡大学を倒して勝ち上がり、準々決勝では愛知学院大学をストレートで破った。だが、準決勝では優勝した専修大学にセットカウント1-3で敗戦。3位決定戦でも前年王者の早稲田大学に1-3で屈し、あと一歩、メダルには届かなかった。

「まだまだ自分たちに甘い部分があったんじゃないかなと思いました。やっぱり関東の選手は体が大きかったし、5日間連続で試合をしても全然体力が持っていたと思うんです。けど、僕らは体力や筋力の部分で足りていなかったのかなと。1本に対しての精度や気持ちの部分も……」

ベスト8の壁を破っても、3位決定戦で敗れた後は笑顔がなかった

大学バレー界は関東優勢の時代が続いている。過去5年間、全日本インカレのベスト4はすべて関東の大学が占めていた。その中に昨年、ようやく近大が割って入った形だが、荒木がもう一つ掲げていた「関東(1部)の大学に勝つ」という目標を果たせなかったことも、悔しさが募った要因だった。それは荒木が近大を選んだ理由の一つでもあった。

2020年1月の春の高校バレーで東山高校が初の日本一を達成した時、3年生だったエースの髙橋藍(現・サントリーサンバーズ大阪)、セッターの中島健斗(現・VC長野トライデンツ)らとともに、2年生だった荒木はリベロとして優勝に貢献した。セッターとして出場した3年の春高は、チーム内に発熱者が出たため大会中に欠場を余儀なくされ、連覇は果たせなかった。だが、大学に進学する際には関東からの誘いもあった。その中でいろいろなことを考えた末に近大を選んだ。

「地元が大阪というのもありますし、関東に行って、すぐに試合に出られない可能性があるなら、少しでも出られる機会が多い関西に残った方がいいのかなと。それに、当時は関東がめっちゃ強いというイメージだったので、それを関西のチームが倒して勝ち上がったら面白いんじゃないかなと。近大は毎年いいところまで行って負けてしまっていたけど、いいところまで行ってるんだから、そこから勝てる素質はあるんじゃないかなと思って、近大に決めました」

「関西のチームが勝ち上がったら面白い」と覚悟を決めて近大にやってきた(撮影・米虫紀子)

「関東行っとけばよかった」と思ったことも

近大では1年時からリベロのレギュラーをつかみ、試合経験を重ねた。当時から先輩たちに物おじすることなく指示を出し、コート内を統率した。

一方で、高校時代に厳しい練習環境に身を置き、日本一まで上り詰めた荒木にとっては、「もっとできるやろ」と物足りなさを感じることもあった。

「高校でああいう経験をさせてもらったので、『大学でも日本一になりたい』という思いで来たけど、最初は『ほんまにこれで日本一になれるんか?』と感じて、『やっぱ関東行っとけばよかったな』と思ったこともありました。でも、関西は関西で、違った雰囲気でやりながら勝つ楽しさを4年間で感じるようになったし、練習時間はたくさん取れていたので、そこは満足していました」

近大には、4年生が主体となってチームを作る伝統がある。だから「自分が最上級生になった時はこうしようとか、これは繰り返さないようにしよう、というのを同級生とよく話し合っていました」と振り返る。

1年目からリベロのレギュラーをつかみ、先輩たちに物おじすることもなかった

同級生とともに考えていたチーム作りを実践

最上級生で主将となった荒木は、同級生とともに考えていたチーム作りを実践した。

「毎年全日本インカレのベスト8とか16で負けているのは、気持ちの弱さだったり、集中力のなさだったりが原因だと感じていました。だから、常日頃から全日本インカレを意識して練習するようにしていた。毎年春に早稲田大学さんと練習試合をさせてもらうので、そこで1回自分たちの力を試して、『関東の大学にはああいうスパイクは通用しないよね』といった課題を痛感して、それを克服しようとしてきました。大学になると、いろいろ言ってくれる人がいないので、選手がお互いに『ここはあかん』『ここはいい』というのを言い合うようにしていました」

ラストイヤーは後輩とのコミュニケーションに悩みながらも、成長できたと言う。

「チームを引っ張っていかなあかんということと、周りの気持ちを考えて発言しないとあかんということ、両方を学べました。近大は選手によってキャリアの差がすごく大きくて、上のレベルでやってきた人もいれば、高校からバレーを始めた人もいるので、言い方や伝え方が大事。経験の浅い人に同じことを求めて『なんでできへんねん』と言っても意味がない。ふて腐れたり、自分のプレーがうまくいかなくて沈んでしまったりする子もいる。その子たちに対して、彼らが持っている100%を出せるような言葉のかけ方は、すごく考えてやっていました」

ラストイヤーは常に全日本インカレを意識して練習を続けてきた

リベロとしては、守備範囲を広げられたことが収穫だ。「高校生の時は正面のボールを取るというのが多かったんですけど、大学では、アウトサイドの選手をどけて自分がサーブレシーブをすることもあって。大学でコーチから詳しく教えてもらい、守備範囲に関してはすごく広くなったかなと思います」

「ラン」「リクト」1学年上の先輩に敬語を使わない理由

卒業後はSVリーグのジェイテクトSTINGS愛知でプレーする。SVリーグでは今季、東山高校の先輩・髙橋藍や、近大の1学年先輩・後藤陸翔(東京グレートベアーズ)がチームの主軸として輝いている。

「藍や陸翔は昔からずっと高いレベルや環境を求めてバレーしていたので、また同じ舞台でバレーができるというのはすごく楽しみです。敵になったからこそ、同じチームでやっていた時よりもすごく面白い対決ができるんじゃないかなと」

先輩だが、荒木は当たり前のように「ラン」「リクト」と呼ぶ。

「僕は基本、1個上の人には敬語を使わないです。バレーやってて『さん』とかつけてたら面倒くさいんで(笑)。先輩たちも結構かわいがってくれるんで、タメ語でコミュニケーションを取っています」

かつてのチームメートとSVリーグで対戦できる日を心待ちにしている(撮影・米虫紀子)

ふてぶてしく、それでいてスルリと懐に入ってくる憎めない後輩キャラ。ただ、先輩たちへのリスペクトは深い。

「藍は高校の時から常に勝ちに対して貪欲(どんよく)で、自分がうまくなりたいとか、誰よりも点数を取りたい、自分が決めてチームを勝たせたいという気持ちを強く感じました。当時は、藍があんなにすごい選手になるとは想像していなかったですけど。身近すぎたこともあるし、高校からすぐに代表やイタリアで活躍する選手は、それまでいなかったから驚きました。代表選手になりたいというのは、インタビュー記事で見たことはありましたけど、本人の口からは聞いたことがなかったし。『すごいなー』って思うけど、身近だった分、自分にも可能性があるんじゃないかなと、すごく感じさせてくれました」

一方、東京GBで1年目からレギュラーに定着し、チームを初のプレーオフ進出へと押し上げている後藤については、「すごく自分に厳しくてストイック。打つ技術が非常に高いので(SVリーグで)通用するだろうと思っていたから、全然驚きはなかった」と言う。

近畿大学・後藤陸翔 「本気で変わらなきゃ」と思わされた2年時、主将として有言実行

小川智大・高橋和幸からもらう刺激、盗む技術

SVリーグで彼らと対戦することを心待ちにしている荒木。だが、その前には大きな壁が立ちはだかる。ジェイテクトには、日本代表の小川智大と、代表のBチームに選ばれていた高橋和幸という2人のリベロがいる。

「僕がジェイテクトに決めてから、小川さんが(ウルフドッグス名古屋から移籍で)来るとなって、『え?』とは思ったんですけど、間近でああいううまい人を見られるのは勉強になるので、僕自身すごくうれしい。他にも代表クラスの選手がたくさんいて、そういう選手の球を日頃から受けられるというのは、自分が思い描いていたバレーの世界線なので、すごく楽しみです。最初はチャンスが少ないと思いますけど、その中でもしっかりアピールして、監督や観客の目に留まるようなプレーをしたい。他のチームにもいいリベロがいっぱいいる中で、刺激をもらいながら、盗みながらレベルアップして、負けないように。最終目標は、代表に入ってバレーをすることです」

どんな環境もプラスに変えてきた荒木が、熾烈(しれつ)な競争の中から、次はどんな姿で表舞台に立つのか楽しみだ。

日本代表に入るという最終目標まで、歩みを止めるつもりはない

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