日体大・吉村颯太 すぐに切り替えられなかった春高不戦敗から、あっという間の4年間
これからも続くバレーボール人生を振り返る時、間違いなく「転機」となる試合がある。日本体育大学の吉村颯太(4年、東山)にとってその試合は、忘れもしない大学3年時の東日本インカレ。駒澤大学との初戦だった。
「チームのために自分が崩れちゃダメだ」と思えた敗戦
その年の春季リーグは準優勝。まだまだチームとして伸ばせるところがたくさんあり、戦い方を一つずつ作っている最中だった。教育実習で4年生を欠いた中、吉村たち3年生の世代が中心となって臨む大会だからこそ、結果を求めるのはもちろん、「これで間違っていない」と手応えをつかみたかった。だが、結果はセットカウント1-3で敗退。吉村は迷うことなく「自分のせいで負けた」と言い切った。
「『優勝を目指そう』と口では言いながらも自覚が足りなかったし、何より、僕が崩れた。スパイクもですけど、レシーブで支えなければいけないのに踏ん張りきれなくて、自分も含め、劣勢で声を出す人もいなかった。こんなんじゃ勝てるわけない、って。改めてその時突きつけられた。今すぐ練習しなきゃダメだ、と思って試合が終わってからそのまま大学に直行してすぐに練習を始めました」
最初はリベロの髙附雄大郎(4年、鹿児島商業)と2人で、ひたすらレシーブの練習を繰り返した。そこに1人、また1人と加わった。時に山本健之監督は厳しい声を浴びせながらも、負けた自分たちを見捨てることも、あきれることもなく、最後まで練習を見続けてくれた。
「それまでは自分にだけ矢印が向いていたんです。このプレーができなかった、今日はよかった、と。チームじゃなくて、考えるのは自分のこと。だからあそこで負けたと思うし、本当の意味で本気で『チームのために自分が崩れちゃダメだ』と思えたのは間違いなく東日本インカレの負けた試合でした」
それからの日々は「あっという間すぎた」と振り返りながら「なんで4年間って、こんなに早いんですかね」と笑う。「あの時から考えると、大学卒業なんて、まだまだずっと先だと思っていました」
東山で〝人生初〟のキャプテン就任「しんどくて……」
吉村が言う〝あの時〟は、2021年1月7日。全日本高校選手権(春高)に出場していた東山はチームに発熱者が出たため、不戦敗を余儀なくされた。3回戦で突如連覇への夢が終わった。最後の春高を振り返る言葉は冷静だが、完全に吹っ切れたかと言えばウソになる。
「会場へ行くまでは、普通に試合ができると思っていたんです。会場の外でアップをして、いざ入ろうとしたら『体温を計って下さい』と言われて。動いた直後だったので何人か体温が高かったこともあって、もう1回確認できるまで入っちゃダメだ、と。待っている間にボールを触ろうとしたら『触らないで』と強い口調で言われた時も、俺ら試合に向けて準備してきただけなのに、なんでそんなことを言われるんだろう、って。その後、体温を計ったらやっぱりダメだと言われて、出られない、と決まった時も受け入れられなかった。ホテルに戻ってからも泣いたし、周りの人たちがこんなふうにメッセージを送ってくれたよ、と言われても僕は全然、切り替えられなかった。春高までずっとしんどくて、それでも頑張れたのは連覇のため。だから余計に苦しかったです」
前年に出場した春高は決勝で駿台学園(東京)に勝利し、失セット0の完全優勝を果たした。1学年上でエースの髙橋藍(現・サントリーサンバーズ大阪)とセッターの中島健斗(現・VC長野トライデンツ)は抜けたが、日本一を達成したメンバーが多く残っていた。連覇を狙う新チームでキャプテンに就任したのが吉村だ。だが、意外にもキャプテンは〝人生初〟。選手として自分のパフォーマンスだけを考えればいい状況とは異なる重責に、何度も押しつぶされそうになった。
「中学時代に全国優勝した選手もいるし、とにかくみんな個性が強いからそれぞれが主張する。そうなるとチームがうまくいかなくなって、その責任はキャプテンに向けられる。レギュラーだけでなく、チームの誰かが何か問題を起こした時も、キャプテンとしてしっかりできていないからだ、と叱られる。そういう立場に立つこと自体が初めてだったので、とにかく僕にはしんどくて。周りの同級生も僕が大変だとわかって、気遣ってくれているんですけど、みんなそれぞれプレーの面でも求められることがあるから、結局は自分がしっかりしなきゃいけない。どうしたらいいんだ、って毎日悩んでいました」
コロナ禍も重なり、公式戦も次々中止になった。不安な中で迎えたのが最後の春高で、初戦の東海大相模(神奈川)戦は「苦しいことが多かった分、一番楽しくできた」と振り返られるからこそ、信じがたい最後を受け入れられなかったというのも無理はない。
不完全燃焼のまま卒業し、入学した日体大では今までとはまた異なる課題を突きつけられた。「びっくりしました。自分がこんなにできないなんて、考えもしませんでしたから」
最後の全日本インカレへ「優勝を狙える」
大学に入って山本監督から求められたのは、レシーブ力だった。高校時代からレシーブの要と言うべきポジションを任されていたから、入学時は少なからず自信を持っていた。1本1本、まるでバレーボールを始めたばかりの小学生の頃を思い起こさせるようなレシーブ練習に「このレベルで必要なのか?」と最初は戸惑った。ただ、手先だけで返そうとすれば「違う!」と叱責(しっせき)された。うまくいかないプレーがスパイクやブロックではなく、最も得意としてきたレシーブであったことに悩んだと吉村は言う。
「オーバーもアンダーも、自分では今までと同じようにやっているつもりなんですけど、『ここへ返せ』という場所に返らない。だからできるまでやる。何でこんなところに来ちゃったんだろう、って思ったこともあります(笑)。でもよく考えると、高校の時は健斗さんがいたから、パスが多少ズレても平然とトスにしてくれたので、そこに意識を向けなくてよかったんだ、と気づいたんです」
同じ形で何度も何度も、数え切れないほど練習を重ねていくうちに、3年生になる頃には『これだ』という感覚も得た。実際に返球の精度も上がり、Aパスの本数が増えれば、試合にも勝った。やってきたことが成果につながると、今まで「これが大事だ」と言われ続けてきた意味が、驚くほどスムーズに理解できた。
その矢先に東日本インカレでの敗戦があり、改めて自分自身を見つめ直す機会を得た。最終学年では高校時代の経験もあって「キャプテンだけは絶対に嫌だった」と笑うが、春季リーグや東日本インカレ、夏合宿を経てチームとして戦う形が構築されていくのを実感した。秋季リーグは7勝4敗で5位。目指した優勝には届かなかったが、その悔しさも最後の全日本インカレに向けた糧になっている。
「レシーブだけでなく、サーブ力がついたので、どんな相手に対してもサーブが走れば勝てる。『やっぱりサーブとサーブレシーブだ』と手応えを得られたし、夏合宿と秋リーグで自信がついた。何より勝ちパターンが見えたことがチームにとっても大きいことだと思うし、だからこそ、自分が崩れちゃダメだ、って。リーグ戦と違って、トーナメントは勢いに乗ったチームが勝てる大会だと思うので、サーブで一気に流れをつかみたいし、どんな相手にも勝てる力をつけたい。今は本当に心から、優勝を狙えると思っているし、狙わないといけない。今まで悔しい思いをしてきた分、絶対やってやるぞ、って。どんな戦いができるのか。始まるのがすごく楽しみだし、欲を言えば最後の最後、優勝を決める1点を決められたら最高ですよね」
誰よりも「これだけやってきた」と胸を張れる。だからこそ誰よりも、この1本を丁寧に。あの負けがあったから強くなれた――。あっという間の大学生活を、笑顔でそう締めくくることができたら最高だ。