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特集:パリオリンピック・パラリンピック

日体大・高橋藍(上)イタリアで1シーズンを戦い抜くと決めた背景は、昨季の「後悔」

イタリア・パドヴァでの練習中に笑顔を見せる高橋藍(撮影・平野敬久)

バレーボールコートが1面、横に並べると2面ギリギリで取れるホームアリーナは、決して広くもないし、新しくもない。むしろ日本の都道府県や市町村が所有する体育館の方がよほど立派で、初めて見る人に「これがバレーボールの世界最高峰、セリエAのホームアリーナだ」と言っても驚かれるかもしれない。

しかもトップチームの練習が終わると、ジュニアチームの小学生や中学生がやってきて、つい先ほどまでトップ選手が立っていたのと同じコートで練習が始まる。それが特別ではなく当たり前の光景で、練習を見に来るファンも年齢、性別はさまざま。選手は代わる代わるにユニホームやチームのTシャツを差し出され、サインや写真撮影を求められる中、日本体育大学に在籍する高橋藍(3年、東山)はそのすべてに笑顔で応じていた。

「練習へ来てくれるファンの方々や、子どもたち。日本と比べると圧倒的に距離が近いですよね。特に大学や高校だと、関係者以外は体育館に入ってこられないので、すごく守られている安心感はあるけれど、コミュニケーションは取りづらい。僕はどちらかといえば誰とでも距離が近くありたいタイプなので、こういう感覚のほうがうれしいし、楽しいです」

「誰とでも距離が近くありたい」。現地ではファンとの交流も楽しむ(撮影・平野敬久)

大学に進み、描いていた理想が一気に現実に

東山高校の主将として出場した2020年の春高バレーで優勝。日本体育大へ入学した同年4月、日本代表登録選手に選出された。いずれは海外でやってみたい、日本代表に選ばれる選手になりたいと描いていた理想が、一気に現実となった。

「海外に対する憧れはありましたけど、当時は『高校を卒業したら大学へ進むのが当たり前』という考えしかありませんでした。じゃあどこへ行くか、となって、二つ上の兄が日大だったので、日大へ行こうかとも思ったんです。でも子どもの頃からずっと兄とやってきたので、大学では兄と対戦してみたかった」

「せっかく大学へ進むのならば、自分を高める場所へ行きたいと思ったので、スポーツに特化した日体大でこれから自分の将来に生かせることを学びたい、追い込める環境に自分を置きたいと思って日体大を選びました。入ってすぐ(日本)代表に選ばれるとは思っていなかったので最初はびっくりしましたけど、選ばれた以上はやるだけや、と。でも、振り返ればそこからいろんなことがものすごいスピードで変わっていきましたね」

1年の延期を経て2021年に開催された東京オリンピックに出場し、ベスト8進出に貢献した。その3カ月後の11月、パドヴァとの契約を発表し、12月の全日本インカレを終えるとすぐに渡欧。シーズン終了までをイタリアで過ごし、22年も日本代表として活躍。ポーランドとスロベニアで開催された世界選手権にも出場した後、前年に続いてパドヴァとの契約を発表した。リーグ戦や全日本インカレに出場することなく、シーズンを通してイタリアでプレーを続けてきた。

東京オリンピックではベスト8進出に貢献した(撮影・北村玲奈)

東京オリンピック後「自分を通すと決めた」

高橋はもはや日本代表の中でも攻守の中心選手であり、将来を見据えた1人のアスリートとして尊重すべき選択ではある。だが同時に現役の大学生で、日本体育大に在籍する選手だ。

せめて全日本インカレを終えてからでもいいのではないか。かつて中央大学在学時にラティーナでプレーしていた石川祐希(ミラノ)と同様、全日本インカレの期間中だけでもチームに合流して試合に出るべきではないか。そんな声も少なくなかった。だが高橋の決意は固く、1シーズン通してイタリアでプレーすることを熱望し、貫いた。

背景には、昨シーズンの後悔があった、と明かす。

「昨シーズンの12月にパドヴァへ来てから、監督やチームメートと信頼関係を築く。正直、その時点ではゼロではなくマイナスからの始まりでした。チームとしてはもっと前にベースが出来上がっているから当然ですよね。そこにパッと入って、1から信頼関係を、自分のアピールを、とやったとしても難しかった。同じチームの1人であるのに、どこか練習生のような扱いで、アタッカーとして勝負したいのにディフェンスを買われてリベロになったり。全部貴重な経験ではありましたが、やっぱり僕としてはスタートのメンバー争いをして、勝ち抜いてつかみ取り、活躍したかった。その方が信頼関係も築けると思ったので、譲れないところでもありました」

現在21歳。日本では若手と扱われるが、セリエAに目を向ければ、自分と同い年の選手は珍しくなく、10代の選手もいる。年齢など関係なく個がぶつかり合うプロの世界で受けた刺激は、高橋の意識を変えた。

「日体大で頑張りたいと思って入学したので、大学の試合に出ることが嫌だったという気持ちは全くありません。でもそれ以上に、日本代表を経験したことでもっと自分のレベルを引き上げて成長するためには、常に高いレベルでやる必要がある、やらなきゃいけない、と実感したんです。(日本代表のフィリップ)ブラン監督からも『ヨーロッパ、イタリアのリーグに興味があるか? あるならば早く行ったほうがいい』と言われて、いつか行きたい、という思いが現実的になった。東京オリンピックが終わってからは、むしろ危機感じゃないですけど、早く挑戦したいという気持ちが抑えられなかったので、自分を通すことを決めたんです」

自分がどれだけ世界に通用するのか。世界的なプレーヤーになるまでの道筋をどうたどればいいのか。少しでも早く挑戦してみたい。選択し、実行したことに後悔はなく、むしろ日本代表として国際大会に出場しなければ対戦できない相手のサーブやスパイク、ブロックを日常のリーグ戦で体感できる環境は幸せだと感じる。

オリンピック後「早く(海外で)挑戦したい」と気持ちが抑えられなかった(撮影・平野敬久)

常に日体大を背負って戦っている

とはいえイタリアで戦うからといって、自らが在籍する大学やチームメートと心が離れるわけではない。

「むしろ僕が日体大生でありながら世界にいることで、子どもたちや中学生、高校生にとっても『大学生でありながらも世界で戦える』という夢につながると思うし、そうなればうれしい。日体大を背負って海外で活躍できれば、日体大を宣伝する立場にもなれるし、それが今の自分にできる恩返しかな、と。もちろん人それぞれ、とらえ方は違うし、僕の選択をワガママだと見る人もいるかもしれないですけど、最終的には自分の意志、自分の気持ちがすべて。僕自身は日体大の支えやサポート、さまざまな方々の応援があって挑戦できていると思っているので、常に日体大を背負って戦っていることを意識しているし、だからこそ結果を残したいという強い思いしかないです」

教会の鐘の音が響く異国の地で、自分を信じて戦う。

すべては、強くなるために。

練習中も積極的に攻撃参加の姿勢を見せ、休憩のたびにチームメートと談笑し、練習後のストレッチを終えるとようやく1日が終わる。日本の学生寮と違って、食事の準備もしなければならないのは億劫(おっくう)だが、料理の腕前も上がり、カルボナーラは得意料理になった。

「Ciao!」

練習を終えれば笑顔で体育館を去っていく。強くなるための今。高橋藍はパドヴァでかけがえのない日々を過ごしている。

日体大・高橋藍(下)常に頭の中にある同期の存在、背中を押してくれる仲間のために

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