日本大学・川村樹生 リハビリ中に実感した東山の教え「考えてバレーしなさい」の真意
大学生活最後の試合に向けて、悔いを残さないように。朝6時からボールに触れる日々は大変だけど、質が高まってきたことを実感している。選手同士での会話も格段に増えた、と日本大学の川村樹生(きりゅう、4年、東山)は笑顔で語る。
「秋リーグは最後の最後で負けて入れ替え戦が決まって、そこでも勝てなかった。1戦、1点の重みを知ったので、最後は本当に、1戦、1点を大事に戦いたいです」
不慣れな環境の中、東山の仲間たちと励まし合った
全日本インカレでは初戦の東北学院大学戦に勝利できれば、2回戦の舞台は東京体育館。立つのは4年前、2021年の全日本高校選手権(春高)以来だ。「一発勝負のトーナメントは何があるかわからない。どんな相手にも勝てるチャンスはあると思うし、僕らは2部に落としてしまってもう全カレしかないので。後輩たちのためにも、やれることは全部やって臨みたいです」
4年間を振り返れば「びっくりするぐらいあっという間だった」と川村は笑う。入学直後はコロナ禍で、授業はほぼすべてがオンライン。同級生と顔を合わせたのは1年近くが過ぎてからで、公式戦も制限を設けた中での開催となり、バレーボールの練習もままならない時すらあった。
京都から上京し、不慣れな環境の中で励まし合ったのは、高校3年間をともに過ごした東山高校の仲間たちだった。「なかなか会えなかったですけど、その分グループLINEで連絡を取り合っていました。もともと仲が良かったので、コロナの規制が緩和され始めて練習試合で会えるのがうれしかったです」
2020年1月。2年で出場した川村にとっては初めての春高で、全国制覇を成し遂げた。1学年上でエースの髙橋藍(現・サントリーサンバーズ大阪)とセッターの中島健斗(現・VC長野トライデンツ)。2人が牽引(けんいん)したチームは、大会を通して失セット0の完全優勝を果たした。
それから1年。コロナ禍で高校生活は一変した。公式戦どころか練習試合も行えず、学校にも登校できない。練習や学校生活が再開されてからも多くの制限が設けられ、毎日体温を計って、少しでも体調不良があれば登校できなかった。食事中や練習中も集まって話すことすらできない日々が続いた。
連覇の夢が途絶えた中でも、改めて受けた感謝
それでも前向きに乗り切れた一つの理由は、東山が春高連覇に挑戦できる唯一のチームだったことだ。攻撃展開をより多彩にすべく、ミドルブロッカーの川村にも得点力の向上が求められ、日々の練習から豊田充浩監督や松永理生コーチの厳しい指導が続いた。特に戦術面を担う松永コーチからは質、スピード、精度といずれも求められるレベルが高く、「大げさじゃなく毎日泣きそうだった」と川村。練習で培った成果を最高の形で発揮したのが春高の初戦、東海大相模(神奈川)との2回戦だった。
「京都予選ではミドルが全然決まらなくて、フルセットの末にやっと勝った。それからずっと『ミドルが取れへんかったら勝負できないぞ』と言われ続けて、春高まではずっと不安だったんです。でも初戦の序盤でそれまでなかなか決まらなかったクイックが、バーンと気持ちよく決まった。やっとここまで来た、と思えて、めちゃくちゃ楽しかったです」
だがその翌日、東山は3回戦に臨むことなく不戦敗を余儀なくされた。突如終わった連覇への夢。今でも「あの時のことを思い返すと苦しい」と語るが、苦しさの中で改めて受けた感謝もあったと振り返る。
「自分たちが知らないところでも、たくさんの人たちが『東山高のバレーが大好きだ』と応援してくれて、メッセージを送ってくれたと聞きました。僕は中学も強いチームではなかったので、2年で日本一になって『おめでとう』と言われた時もうれしかったですけど、試合に出られなくなってからも『これからまた頑張ってね』と言ってくれる人がこんなにたくさんいるんだ、と。すごく、励まされました」
「自分だけでもがむしゃらに」の思いがケガに
卒業後は関東1部リーグの日大へ。変わらず続くコロナ禍の苦しさに加え、高校とは違う環境に戸惑う日々も続いた。
「部員の数も高校と比べると一気に増えて、それぞれ目指すバレーやモチベーションも違う。僕は高校で求められる技術や戦術のレベルがすごく高かったので、正直に言うとギャップもありました」
川村のように全国優勝が目標で、強豪と言われる学校で実際に春高を制した経験を持つ選手もいれば、全国大会など程遠いチームで、でも好きなバレーボールをこれからも続けていきたいと考えて入部する選手もいる。将来の目標もさまざまで、SVリーグや日本代表といったバレーボール選手としてのキャリアアップを望む選手もいれば、バレーボールは学生まで、と考える選手もいる。
同じチームメートとしてともに過ごしながらも、自分の当たり前が周りも同様かと言えば、そうではない。「もっと練習したい」と思う川村に対し、「これから授業があるから」と部活中に抜ける選手もいる。学生なのだから学業を優先するのは当然だが、「大学でももっとうまくなりたい」と臨んで関東1部リーグに進んだ川村からすれば歯がゆさもある。
「だから余計に、せめて自分だけでもがむしゃらにやり続けよう、と思って。気づかないうちに、無理してしまったんだと思います」
大学2年の秋季リーグを終えた後は、すねの疲労骨折でバレーボールどころかジャンプすることも走ることもできなかった。全体練習に参加してプレーができるまでに半年間かかった。大げさではなく「もうバレーボールができなくなるかもしれない」と考えるほど、ナイーブな時期もあったが、同期や仲間たちの姿を見れば再び気持ちも高まった。まだ、大学生活もバレーボール選手としての可能性も終わったわけではない。目指す目標に近づくには自分次第だ、と改めて思い返し、ケガから本格復帰を遂げてからは食生活やトレーニングを見直した。
「リハビリをしながらトレーニングについて勉強したり、寮の食事もバランスを意識するのはもちろん、まずは体の土台を大きくするために量を増やしたりして、ケガをしない体づくりを意識するようになりました。『もっとやらなきゃ、これだけじゃ足りない』と思って自主練習を長くやりすぎた分の負荷もあったので、とにかく毎日与えられたメニューをその日できる全力で取り組む。同じ練習でも取り組み方を変えれば、得られることはたくさんあると気づいた時、高校時代に理生さんから『考えてバレーをしなさい』と言われ続けた意味を、改めて実感しました」
「1部残留できなかったことが情けない」からこそ
大学ラストイヤー。春季リーグは5勝6敗の7位で終えたが、秋季リーグは最終日、専修大学に1-3で敗れ、2勝で4チームが並ぶ中、セット率で12位となり入れ替え戦へ。2部優勝の東京学芸大学にフルセットの末に敗れた。今まで以上に映像も見返し、万全の準備をしていたつもりだったが、それでも敗れた悔しさ以上に「後輩たちのために1部残留ができなかったことが情けない」。だからこそ、と誓う。
「残りの時間は少ないですけど、やれることは全部やって、最後の最後こそ後悔がないように戦いたい。最後までとにかくすべて出し切って、頑張っている姿を後輩に見せたいし、結果としても残したい。全カレって、4年生にとっては後輩を勝たせたいと思う大会であるからこそ、後輩からも『この4年生を勝たせたい』と思われる存在にならないと結果にはつながらないと思うんです。自分たちが頑張って、チームとしても引き上げられるように。とにかくハードワークして、後悔しないように出し切りたいです」
高校の最後は、完全燃焼すらできずに終わった。全力で取り組んできた日々を信じ、大学ラストの全日本インカレですべてを出し切って、今度こそ、最後は笑顔で終わりたい。