高橋藍、春高初優勝から代表候補を経て日体大へ「自分自身がどれだけ成長できるか」
誰もが想像もしなかった1年。東山高校(京都)で春高バレー初優勝を遂げ、日本代表候補選手にも選ばれ、日本体育大学に進学した高橋藍も例外ではなかった。
五輪も延期、先が見えない中でも「次」を見据え
本来ならば東京オリンピックが開催されるはずだった2020年。新型コロナウイルスの感染拡大、世界的大流行で日本も4月に緊急事態宣言が発令された。全体練習もできず、ボールに触ることすらできない日々。ひとりのアスリートとしてはもっと鍛えなければならない、課題を克服するための練習に励みたい、という思いは募る。自宅でできるトレーニングをしながら「これだけ大変な今、そもそもスポーツをしていていいのか」と葛藤することもあった。
「オリンピックが開催される年に(日本)代表候補にも選んでもらった。ここでどれだけ結果を出せるか、自分というプレーヤーをどれだけ知ってもらえるか試したかったんです。でもオリンピックが延期になって、目指すものがない。しかも自分のプレーのレベルが落ちていないか、試す機会もなかったので不安でした。でも、だからこそいつかはバレーボールができる環境がくると思って、ネガティブな思考ではなくポジティブに、次へつなげていこうと思って、できることを続けてきました」
毎日同じクラスメートと一緒に授業を受け、部活の時間もある程度定められている高校時代と異なり、大学は自由で、やるもやらないも自分次第。進学理由を「スポーツに特化した大学なので、色々な知識をつけたいと思って選んだ」という日体大は、バレーのみならず、世界を舞台に戦うアスリートも多く、アンテナを張ればいくらでも刺激がある。ここで成長を止めるのではなく、これからさらに幅広い世界で活躍するべく、いかに厳しく自分を追い込むことができるか。少しずつ全体練習ができるようになった夏以降も、ボール練習やウエイトトレーニングにも積極的に取り組んだ。
インカレ準々決勝の筑波戦「自分に持ってきて下さい」
その成果が発揮されたのが、昨年末に開催されたインカレだった。春季リーグが中止になり、秋季リーグの代替試合も途中からオープン戦となったため、インカレは今季初で今季最後の公式戦となった。例年より出場校数を減らしていることもあり、大会序盤から関東1部のチームが敗れるなど何が起こるか分からない。だがその状況も、高橋を燃えさせる要素になった。
「インカレまで試合がなかったので、チーム力がどれだけ上がっていたか分かりませんでした。代表候補に選んでもらったこともあるし、そういう状況でも周りは『日体大には高橋藍がいる』という目で見てくると思ったし、簡単には負けられないという気持ちがめちゃくちゃ強くありました。どのチームも試合がない分、チームとしての完成度は完璧ではないから、個人の力で引っくり返せることもある。特に準々決勝は、何が何でも自分がやらなきゃいけない、と今まで以上に強い気持ちで臨んだ試合でした」
一戦必勝のトーナメント。全てが負けられない試合であることに代わりはないが、日本一という目標達成のために、ともに順当に勝ち進めば筑波大学と対戦することが予想された準々決勝がひとつの大きな山になると考えていた。それは高橋だけでなく日体大の全員が同様で、もちろん筑波大にとっても同じ思いだった。
互いにとっての大一番、まず主導権を握ったのは筑波大だった。強弱をつけたサーブで崩し、切り返しから速いテンポの攻撃を次々決め、1、2セットを連取する。後がない日体大は、山本健之監督と4年生の主将・西村信(高川学園)と高橋良(清風)を中心に、逆転へ向け策を打ち出す。「ここからは、藍に集めよう」
高橋は、迷わず答えた。「自分が打ちます。自分に(トスを)持ってきて下さい」
このまま変わらぬ戦い方をしたら負ける。打開策を見出すための活路となるのが、当たっている高橋にボールを集め、確実に勝負所で点をとることだった。シンプルだが、どこで点をとるかが明確になったことでディフェンスとオフェンスの展開がスムーズになり、筑波大にあった流れが少しずつ日体大に変わっていった。「自分に持ってきて下さい」と言ったからには、高橋にも覚悟があった。
「正直に言うと、1、2セットを連続して取られた時は『勝てない』という気持ちもありました。でもそのまま弱気になったら負けてしまうし、後悔する。何とかしなきゃいけないと思って『トスを持ってきて下さい』と自分から言ったし、そう言える雰囲気を4年生がつくってくれた。チーム全員が『藍でいこう』と言ってくれて、信頼感が高まったし、これからの世代、これからの日体大にもつながる試合は間違いなくあの筑波戦。2セットを取られてから取り返して勝つことができた準々決勝があったから、強くなれました」
「高橋はどうにも止められない」と思われる選手になる
2セットダウンからの大逆転でフルセットの激闘を制した日体大は準決勝で日本大学と対戦。ひとつの夢だったという兄・高橋塁(3年、東山)との兄弟対決を制し、念願だった決勝進出。試合を重ねるごとにチームとしてどう戦うべきか。どう点をとれば勝ちに結びつくか、着実に手応えは得ていた。だが、それでも王者・早稲田大学の壁は厚かった。
「一人ひとりの能力はもちろんですが、チームとしての強さもダントツで、隙がなかった。今の自分たちの120%の力を出せたとしても負けるんじゃないか、というぐらいの完成度だったので、どうすれば勝てるかではなく、どこまで早稲田を苦しめられるか、というところまでしかできなかったのが現状でした」
頂点まであと一歩と迫りながら敗れ、決勝で戦った相手が喜ぶ姿を見れば悔しくないわけはない。だが、入学初年度で味わったその悔しさ、そして大学で頂点に立つためにはどんなチーム、選手でなければならないかを初めてのインカレ決勝で体感したことで、高橋の決意はさらに固まった。
「大学で日本一をとることはもちろんですが、誰に勝つ、どのチームに勝つではなく、自分自身がどれだけ成長できるか。それが自分だけじゃなく、日本のバレーボール界にとっても大切なことだと思うので、『高橋はどうにも止められない』と思われるような、大学バレーでは“ずば抜けた存在”になりたいという気持ちが、より一層強くなりました」
なぜなら、想像もしなかった経験は苦しさや悔しさだけに留(とど)まらないから。大学1年生、高橋藍にとって2020年は日本代表としての一歩を踏み出した1年目でもあった。