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特集:東京オリンピック・パラリンピック

早稲田大・大塚達宣「世界で戦いたい」では足りない 現在地を見定め、更なる高みへ

大塚は高さを生かした多彩な攻撃で相手を惑わす(すべて撮影・松永早弥香)

バレーボールの秋季関東大学男子1部リーグ戦は10月7日現在、早稲田大が3連覇へ向けて8戦全勝で単独トップに立っている。彼らは春のリーグ戦で全勝優勝したあと、東日本インカレでは3回戦で敗れた。「あのときは悔しいとさえ思えなかったんです」。早稲田のスーパールーキー大塚達宣(たつのり、洛南)は、大学の公式戦で初めて喫した負けを、そう振り返った。

早稲田男子バレー・堀江友裕、常勝チームを主将として支える覚悟

身長194cm、最高到達点は340cm

大塚は続けて言った。「全力を出し切って負けたわけじゃない。僕らは春のリーグで優勝しただけ。なのに自分たちの中で勝手にチャレンジャーという気持ちが薄まってて、受け身になってました。ぶつかってこられるのは当然で、それを跳ね返せるだけのパワーがなかった。だから秋のリーグではもう一回気持ちを入れ替えて、1試合1試合戦ってます」

9月29日リーグ戦第8日は、東日本インカレを制した筑波大が相手だった。早稲田はこの秋、粘り強いディフェンスが持ち味の村本涼平(4年、洛南)をけがで欠いている。主将でリベロの堀江友裕(4年、開智)にかかる負担が大きくなった。堀江は守りで大いに貢献しながら、強いリーダーシップを発揮してチームを引っ張っている。

堀江とともに「ここ集中!」と、大きな声を出していたのがレフトの大塚だった。堀江は大塚について、こう話す。「僕も1年生のときから(試合に)出させてもらってたんですけど、大塚は僕よりも自分を持ってるというか、春高(全日本高校選手権)で優勝してるし、世界ユース(U-19)などの大舞台も経験してる分、チームの雰囲気の盛り上げ方を知ってるなと思いました。プレーはもちろんすごいんで、大塚にとってやりやすいプレーを引き出してあげたいと思ってます」

大塚は身長194cmで、最高到達点はチームトップの340cm。「松井(泰二)監督からも『思いっきりプレーしたらいい』と言ってもらえてて、僕自身も1年生のうちはそれが自分の役割だと思ってます」と大塚。筑波戦では3枚ブロックをも打ち抜くスパイクや、クイックで得点を重ね、高いブロックで連続得点を許さなかった。早稲田は3-1で勝ち切り、8戦全勝で10月19日からの残り3試合に臨む。

「1年生だけど大塚(左)はちゃんと自分をもってる」と主将の堀江(1番)は言う

早稲田の今年ここまでを振り返ると、東日本インカレは3回戦で青学大に敗れたが、春季リーグは11戦全勝で優勝。黒鷲旗ではVリーグの堺ブレイザーズ、豊田合成トレフェルサを倒し、大学勢で唯一の決勝トーナメント進出。この両大会で大塚は新人賞に選ばれている。大塚は洛南高(京都)時代、1年生のときからエースとして春高を戦い、最終学年で優勝をつかんだ。そのままVリーグに進むという道もあったが「バレー以外でも、この大学4年間でしか得られないものがあると思ったんです」と、早稲田へやってきた。

中学時代に芽生えた日の丸へのあこがれ

大塚は大阪府枚方市出身。バレーを始めたのは小3のとき。「スポーツじゃなくてもいいから、何か始めてみたら? 」と親に言われ、とりあえずと思って始めたのがバレーだった。両親ともにバレー経験者で、父はバレー指導者。自然な選択だった。枚方市にVリーグのパナソニックパンサーズの下部組織であるパンサーズジュニアの活動拠点があることを知り、試しに始めてみたら、すぐにのめり込んだ。当時の大塚は内向的な性格で、自分に自信が持てない子どもだったという。「バレーを通じて自分を出すことができるようになり、バレーを通じて人としても強くなれました」と振り返る。

進んだ枚方市立中宮(なかみや)中学校にはバレー部がなく、そのままパンサーズジュニアで続けた。3年生のときには全国ヤングクラブ優勝大会 U-14男子で初優勝し、最優秀選手賞に選ばれた。さらにJOC全国都道府県対抗中学バレーでは決勝トーナメントで敗退したが、最優秀選手賞にあたるJOC・JVAカップを受けた。その中学時代に初めて「いつかは日の丸をつけて頑張りたい」という気持ちが芽生えた。中学生になってからは頭を使って考えるバレーになり、新たなバレーの魅力を知った。そのバレーが本当に楽しかった。

文武両道を志して洛南を選んだ

高校進学にあたって、実家から通えることを一つの条件として考え、洛南を選んだ。ほかにも選択肢に入っていたバレーの強豪校はあった。その中で洛南を選んだのは、文武両道を志してのことだった。「学生である以上、勉強しないといけない。どっちも頑張れるのは洛南と思ったんです」と大塚。進学校でもある洛南で学業にも真剣に取り組んだ。バレーでは前述の通り、1年生のころから春高で活躍。高2でU-19日本代表として大学生らとともに世界ユース選手権を戦い、3位に。最後の春高では14年ぶり2度目の優勝を飾っている。

洛南高校時代、大塚はスポーツクラスではなく一般クラスで文武両道を貫いた

高校時代に最も記憶に残っている試合を尋ねると、春高につながる「京都府予選会」を挙げた。決勝の相手は3年連続で東山だった。「予選で終わるのと春高に行けるのとでは、プレーできる期間も得られるものもだいぶ違います。だからインターハイ予選以上に落としたくない気持ちが強かったですね」と大塚。毎年接戦だった。苦しんで、何とか勝った。「自分たちは勝ったからいい思い出になってるところはありますけど、それでもいま思い出すだけでも嫌です。もうやりたくないです」と、苦笑いで振り返った。

東山の強さを知っていただけに、ここで勝てれば全国でも勝てるという自信がみんなにあった。同じ京都にそんなライバルがいることで、互いに切磋琢磨(せっさたくま)できたという思いはある。それでも「やっている側としてはやっぱりしんどい。もう思い出したくないぐらいの試合でした」と重ねて言った。

大学だからこそ得られるものがある

大塚が早稲田を選んだのには理由がある。一つは選手をやめたあとのキャリアを見すえ、教員免許を取得して指導者への道を持っておくため。トレーニングやスポーツ科学などを学問として学んでおきたい気持ちもあった。さらに松井監督の「まずは人間性、学校生活が大事」という考えに共感したことも、早稲田を選んだ理由の一つだ。「僕も学生のうちは勉強が第一だと思ってますし、大学でしか味わえないことはたくさんあると思う。バレー以外でも自分の人間性を高めたりとか、人として成長できたなら、充実した4年間が過ごせるんじゃないかなって思ったんです」

大学でのバレーに触れ、これまでとは違う緻密(ちみつ)さや駆け引きがあるのを知った。「高校とはテンポやスピードが全然違って、それ以上にいろんな駆け引きがすごいです。高校では最後は力勝負というところがあったんですけど、大学では相手に応じていろいろと戦略を変えていく。それがはまれば勝てるけど、はまらないと苦しい」。淡々とした語り口ではあったが、その状況を楽しんでいる気持ちが伝わってきた。

大学では体づくりにも意識を向けている。身長194cmという武器はパワーとスピードを強化することで、より大きな強みになるだろう。4連戦となった黒鷲旗では、疲労から足に痙攣(けいれん)が起きた。冬の全日本インカレは最大6連戦となる。「大学にはトレーナー専門の方々がいるので、体づくりやコンディションの整え方を吸収していきたいです」と大塚。松井監督が大塚に求めているのもそこだ。高さだけではなく、プロになっても通用する体の使い方を徹底的に磨かせている。

日本代表にプラスをもたらしてるのが柳田選手や石川選手

大学での4years.の先には、Vリーグ、さらには日の丸を胸に世界と戦う自分を思い描いている。「ただ『戦いたい』って言ってるようじゃそこで終わってしまうので、もっと踏み込んで『世界に通用するプレーをもっと身につけないといけない』って、日ごろから意識してやっていきたいです」。志が高い。

目指す場所にたどり着くために何が必要か、大塚(中央)は求め、行動してきた

日本男子バレー界の若きWエースである柳田将洋はドイツ1部リーグのユナイテッド・バレーズで、石川祐希はイタリア・セリエAのパッラヴォーロ・パドヴァでプレーしている。大塚は言う。「もし僕にもチャンスがあれば、世界に挑戦したい気持ちはあります。そこでやって、日本代表にプラスをもたらしてるのが柳田選手や石川選手だと思うんです。自分も成長して帰ってこられなければ意味がないし、それだけの覚悟は必要です。自分の国に持って帰って貢献できるプレーとか心とか、そういうのを身につけないといけない。いまの自分はまだそういう段階にないです」。現在地と目指す場所。これまでもこの二つを照らし合わせながら成長してきたのがよく分かった。

大学ではまず、全日本インカレ優勝が目標だ。早稲田は2連覇中だけに「6連覇も狙いますか? 」と尋ねてみた。「その年その年でチームは変わるんで。いまは1年生として思いっきりやることが自分の役目ですけど、4年生になったときはエースとしてチームを引っ張らないといけないだろうし。役割は毎年変わってきますから、その中でしっかり結果を残していきたいです」と、地に足のついた言葉が返ってきた。

大きく広がる未来に向けて、大塚は着実に歩み続ける。

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