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連載:4years.のつづき

東京ヴェルディ渡邉綾介 7年のブランクを経てフラッグフットボールとXリーグで挑戦

約7年ぶりの競技復帰。渡邉の動きは変わらず高いポテンシャルを見せるものだった(すべて撮影・北川直樹)

2025年1月、フラッグフットボールチーム「東京ヴェルディ」に一人の選手が加わった。彼の名前は渡邉綾介。かつて立命館大学アメリカンフットボール部パンサーズでWRなどとしてプレーしていたが、その後は競技から遠ざかっていた。約7年間のブランクを経てフットボールの世界に帰ってきた渡邉は28歳となった今、日本アメフトの最高峰・Xリーグでも再びアメリカンフットボールに挑戦しようとしている。

"牛若丸"健在 東京ヴェルディ加入直後から躍動

3月9日、川崎市内で2024年度日本フラッグフットボール選手権東日本大会があった。渡邉の所属する東京ヴェルディは、事前予選大会をXリーグ2位で通過。この日は予選1位だった富士通フロンティアーズと1回戦で対戦した。

渡邉は予選大会には出場しておらず、この日が初めてのゲームだった。オフェンスの2シリーズ目からローテーションで試合に出て、パスを4回キャッチした。競り合いの場面でも果敢なプレーを見せた。「久しぶりに試合に出て、緊張感とか色々懐かしいなあとは感じましたが、(フラッグは)アメフトとは全然違いますね」

守備と競り合いライン際でパスをキャッチ

中学時代にはジュニアシーガルズ(オービックシーガルズの中学生フラッグチーム)でプレーし、立教中学ラッシャーズとの合同チームで全国制覇も経験している。

ヴェルディ加入のトライアウトに際しては「特に準備とかはせず、ぶっつけ本番でした」と渡邉。大学生のときにフットボールをしていた頃と比べると「体は重いっすね(笑)」と笑う。加入後の練習参加はまだ10回ほど。それでも堂々たるパフォーマンスを披露した。「もうちょっと動けるようにはなりたいんですけど。今70kgぐらいで、昔より10kgくらい増えてるんです。全然動けないです」

それでも、かつて〝牛若丸〟と評された俊敏なプレーの片鱗(へんりん)は感じた。私が試合の感想をそう伝えると、こう返ってきた。「僕、スピードはそんなになくて、40yd走もベストは4.7(秒)とかです。得意なプレーも特にないんですが......(笑)。強いて言えば、パントリターナーは楽しいですね。敵がワーッてくるし、ボールも相手も見なきゃいけないんで。色々考えながらプレーするところが好きでした」。アメフトとフラッグではプレー感覚こそ違うと言うが、球際については通ずるものがあるという。

試合は、序盤こそ富士通相手に食い下がったが徐々に引き離され、最終スコアは30-41で敗れた。2024年、発足1年目の東京ヴェルディフラッグチームのシーズンが終わった。

試合後、富士通の選手らとあいさつをかわした。左は、東京ヴェルディに誘ってくれたオービックDBの小椋拓海

立命館時代の途中離脱と、7年ぶりの競技復帰

渡邉がフットボールに出会ったのは、小学6年生の頃だった。通っていた柏市立柏第七小学校の担任、池田浩一郎先生(2024年に千葉県立東葛飾高校にアメフト部を創部)がアメフト経験者で、授業にフラッグフットボールを持ちこんでくれた。それがきっかけで中学2年時にジュニアシーガルズに参加して、アメフトを始めた。強豪の日大三高に進み、5年ぶりの関東大会優勝も経験。大学は「関西の方が強いイメージがあったので関西行きたいな」と思って、立命館大学に進学した。

日大三高3年時(2014年)の春季関東大会は、QBとして大活躍し5年ぶりに優勝した
立命大4年の2018年11月、西日本代表校決定戦の関学大戦ではリターナーとしてチームに戻ってきた

立命では1年時から隠し玉としてポイント起用されて活躍したが、最終学年に入るとチームの方針と折り合いがうまくいかず、一度離脱した。シーズンの山場、関西学院大学との試合ではチームに戻ったが、その後競技を続けることはなかった。

「アメフト人生終わり、みたいな感じでしたね」

当時の気持ちを聞くと、渡邉はこう言った。当時の決断に後悔は全くないという。

実家がある東京に戻り、大学は4年で卒業しなかった。「何年か籍は残して、通っていた時期もありましたが、結局辞めました」。地元の友達と遊んで過ごしていた時期もあったが、就職していくつかの仕事を経験した。今は、SNSの広告運用をする代理店で働いている。結婚して家庭もある。フットボールとは無縁の日々を送っていて、特に競技に戻る予定もなかったという。

立命館アメフト 渡邉綾介の4years.
久しぶりにフィールドでボールを追う。ゲーム中の渡邉の表情は終始楽しそうだった

2024年秋に転機となる出来事があった。Xリーグの試合を見にいったときだった。「立命の1個上の先輩の近江(克仁、18年卒、現・IBM)さんに誘われて、IBMとオービックの試合を見にいったんです。仲が良かった先輩とかも誘って久しぶりにアメフトの試合を見ました。試合後、オービックのDBの小椋(拓海、関学大18年卒)さんに声をかけてもらったんです」

「一緒にやろうや」——。小椋と話したのはそれが初めてだったが、そのときに東京ヴェルディのフラッグフットボールに誘ってもらった。

渡邉には、競技を離れて約7年のブランクがあった。その間運動らしい運動もせず、ジムなどに通ったこともなかったが、特に不安はなかったという。「じゃあやるか、って感じでしたね」。渡邉はあっさりと、そのときの心境を振り返る。

練習に参加してみると立命出身の先輩もいて、気さくでいい人たちばかりだと感じたという。

アカレンジャーにあこがれて始まった「主将道」 アメフト日本代表主将・近江克仁1
立命のレジェンド、ノリさんこと木下典明さん(右)とともにWRをプレーしている

Xリーグ、ロスオリンピック日本代表にも挑戦意欲

フラッグフットボールを始めて2カ月弱、渡邉はさらに大きな決断をした。Xリーグのチームに入ってアメフトも再開することにしたという。「ヴェルディの仲間と一緒に活動する中で『どうせなら(フットボールも)やろうよ』って話をされまして。その後チームのヘッドコーチとも話をして、本格的に加入することになりました」

渡邉はXリーグでの挑戦を通じて、再びトップレベルのフットボールを経験しようとしている。また、2028年のロサンゼルス・オリンピックで正式種目となったフラッグフットボールの日本代表についても、「もしチャンスがあるなら挑戦してみたい」と語る。

今の目標について聞くと、「まずは試合に出ること。それが一番の目標ですね」。地に足のついた答えが返ってきた。話していて、渡邉らしいことばだなと思った。

これまでの選択に対して「後悔はない」と語る渡邉だが、フットボールから離れていた時間があったからこそ、今こうして競技に戻る意味を感じているのかもしれない。それは、自分の意思と環境次第で、再びフィールドに戻れるということ。渡邉綾介の挑戦は、これからが本番だ。

ほぼぶっつけ本番でこれだけやれる。25年シーズンの渡邉綾介の活躍が楽しみだ

4years.のつづき

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