立命館アメフト 渡邉綾介の4years.
甲子園ボウルの西日本代表決定戦。立命館は関西学院に試合終了間際の逆転負けを喫した。立命の4回生には泣きじゃくる選手もいた。しかし、彼に涙はなかった。じっと関学の選手たちが大喜びするのを見ていた。
立命館大学パンサーズの背番号2、WR(ワイドレシーバー)の渡邉綾介(りょうすけ、4年、日大三)。パスを捕るのはもちろん、走れて、投げられる男のラストシーズンは、最後の試合に2度のキックオフリターンで計37ydを返しただけ。ほとんど何もせずに終わった。
メンバー表から名前が消えた
彼の存在を知ったのは2015年秋の関西学生リーグ最終戦だった。
立命は5年ぶりのリーグ優勝をかけ、関学との全勝対決に臨んでいた。7-3の第2クオーターに、渡邉は93ydのキックオフリターンタッチダウンを決めた。エースRBの西村七斗をリードブロッカーにつけ、一線を抜ける。ハーフラインを越え、前を走る西村との距離が詰まった。渡邉は「いけ!!」とばかりに西村の背中を手でポンと突いた。すると西村は一気にスピードアップし、相手をブロックにいった。ボールを受けてからタッチダウンまでの一連の動きが、いまも鮮明に思い出せる。それぐらい印象的だった。殊勲の小さなリターナーが1回生だと知って驚いた。
立命が勝ったあと、渡邉に話を聞いた。「楽しかったです」。ひょうひょうとした態度が気に入った。彼をリターナーに起用したコーチは「性格的にブッ飛んでるヤツだから、デカいことをやってくれるんじゃないかと思ってました」と言って喜んだ。高校アメフトに詳しい人が、私に教えてくれた。彼は日大三高ではQBで、肩も強く、走ればタックルをひらひらとかわしたという。「まあ、牛若丸みたいなヤツだよ」と。そして、そのシーズンのライスボウルでは社会人の大きなDLをかわしてロングパスを決めた。2回生のときは、甲子園ボウルの西日本代表決定戦で、関学相手に反撃ののろしを上げるロングパスのキャッチ。負けはしたが、ただ者ではないとの印象はさらに強まった。
3回生のときはけがも多く、あまり彼の輝きを感じられなかった。だからこそ、4回生になってからのパフォーマンスに期待していた。
しかし昨秋、リーグ戦の第2節以降、彼の名前がメンバー表から消えた。立命の関係者は口が重かった。「いろいろあって、綾介はチームを離れた」とだけ聞いた。
渡邉の離脱には、チームの方針転換が影響していた。2017-18年シーズンが終わったあと、古橋由一郎氏が監督に復帰。主将にはOLの安東純一(4年、立命館宇治)が就いた。新チームの方針として、どんなに実力のある選手でも特別扱いはしないと定めた。シーズン終盤にさしかかったとき、安東は言った。「僕らが3回生のときに負けたのは、チームが最後に気持ちの部分で一つになれなかったからです。そのために全員で同じことに取り組んで、同じ痛みを乗り越えようと決めました。いままでは力の突出した選手をVIP待遇にするみたいなところもあったんですけど、完全になくしました」
それを聞いて、ピンときた。だからいなくなったんだ、と。もともとやる気が前面に出て、熱くみんなを引っ張るようなタイプではない。夏合宿までは参加していたが、同期の間で渡邉の練習姿勢などが問題になり、何度も何度も4回生の間で話し合ったあと、彼はチームを離れた。
恩師の説得でチームに復帰
前のシーズンからディフェンスのメンバーが大きく入れ替わった立命だったが、試合ごとに力をつけ、リーグ戦で勝利を重ねていった。ある試合のあと、下級生のオフェンスの選手に取材したとき、こう言った。「綾介さんに帰ってきてほしいです。あの人は一気に流れを変えるプレーができる。関学とやるときにあの人がいたら、全然違うと思うんです」
そのころ、渡邉は関東の実家に戻っていた。明治大で同じWRとしてプレーする弟の圭介(3年、日大三)には「何してんだよ、早く戻れよ」と言われた。悩んだが、日大三高時代の恩師に説得されたこともあり、パンサーズに戻ることにした。4回生たちの前で「もう一度、みんなとやりたい」と言った。関学とのリーグ最終戦に、渡邉綾介は戻ってきた。公表の身長・体重は167cm、60kgだが、明らかに以前よりガリガリになっていた。出場機会はなかった。前述のように、関学との再戦にリターナーとしてだけ、出た。
大学生としてのアメフト生活終了を告げる敗戦のあと、綾介に話を聞いた。
「試合に出ると決まって、勝ちたいと思いました」
「この1年、しっかりやっとけばよかったと思ってます」
「自分がもっと大人にならないとダメでした」
以前の彼からは聞けなかったような、まともな言葉が出てきた。しみじみと聞いた。
主将の安東は「最後一緒にやれて、それが一番よかったことです」と話した。
その1週間後の東京ボウルで、弟の明治が関大と対戦した。兄は大学生になって初めて、弟の試合を観戦した。弟はエースWRとして奮闘したが、関大に負けた。兄は弟のプレーについて「ポストを捕ってファンブルしたのが……。あれがなかったらよかったんですけどね」と評した。弟は兄が関学との試合に出たことを「うれしかった」と振り返って、笑った
甲子園ボウルで対戦するのが渡邉兄弟の夢だった。それは、夢のままで終わった。
兄は留年が決まっている。弟は4年生となるこの1年に、すべてをかける。二人は社会人になったら同じチームでプレーしようという話をしている。「一緒にやってみたいです。楽しそう」。弟がそう言うのを、兄は柔らかい笑顔で見つめた。次の夢ができた。
渡邉綾介の4years.は、こうして終わった。