陸上・駅伝

連載:4years.のつづき

特集:パリオリンピック・パラリンピック

積水化学・山本有真(下)競技だけでなく、おしゃれもメイクも 時代に沿った選手像

パリオリンピック陸上女子5000m代表・山本有真の「アスリート像」とは(撮影・井上翔太)

今回の連載「4years.のつづき」は、パリオリンピック陸上女子5000m代表の山本有真選手です。連載の後編は、自身初のオリンピックを確実にした日本選手権を振り返り、自身の「アスリート像」を語ります(以下、敬称略)。

【前編はこちら】積水化学・山本有真(上)「普通の大学生になりたい」と告げてから、戻ってくるまで

日本選手権のゴール後を想像してきた

今年6月末の日本選手権。山本は3位以内に入れば、パリオリンピック出場をほぼ手中に収められる状況だった。積水化学の野口英盛監督から「何も気にするな」という助言を受け、スタートラインに立った。

レースは山本自身が「びっくりした」というほどのスローペースになった。ただ「そのおかげで私向きのレース展開になった」とも。途中で1500m、3000m、5000mの3種目で日本記録を持っている田中希実(New Balance)がしびれを切らすように抜け出した。「田中さんがいいペースで引っ張ってくれたんですけど、私はあまり下手なことはできなくて……。いま思えば『あそこまで走れたのなら、ついていきたかった』というのはあります。でも、当時の状況では、あればベストな走り方でした」

15分34秒64で田中に次ぐ2位でゴール。山本はうれし涙を流した。「オリンピックに向けて、何カ月間も緊張していて、日本選手権の5000mが終わった後『自分はどんな状況なんだろう』とすごく想像していました。悔し泣きをしているのか、オリンピックが決まっているのか……。ゴールした瞬間に『あ、これが終わった後の景色だったんだ』って思ったら、すごくホッとしちゃって、泣けてきました」

日本選手権女子5000mはスローペースに。山本(中央緑のユニホーム)は集団の中でレースを進めた(撮影・柴田悠貴)

大一番のレース10日前に「あ、行けるかも」

積水化学で過ごす2年目のシーズンは、決して順風満帆ではなかった。日本選手権も「周りの選手より練習が積めていない」と自覚していたという。

今年2月にイランで開催されたアジア室内選手権の3000mで9分16秒71をマークし、金メダルを獲得した後は、思うような走りができなかった。右足首の後脛骨筋腱炎(こうけいこつきんけんえん)を発症し、3月は治す期間に充てた。4月の金栗記念女子3000mに出場した際も万全な状態ではなく、5月の「ゴールデンゲームズ in のべおか」では5000mで16分かかってしまった。

その後は貧血と診断され、再び「治す」時期に。本来なら自己ベストを狙う予定だったセイコーゴールデングランプリは、欠場を余儀なくされた。「日本選手権までの準備期間は、走れない時期の方が多かったです。そういうときは走り終えたときに『あ、ダメだったか』と想像してしまって……。5月の4週目から日本選手権に向けて練習し始めて、ほぼ3週間で仕上げました。本番10日前の練習が良くて『あ、行けるかも』と思ってから、調子が良くなりました」

積水化学1年目はクイーンズ駅伝優勝に貢献した(撮影・辻隆徳)

駅伝連覇のプレッシャーと戦った大学ラストイヤー

スポーツはバスケから始まり、中学から本格的に陸上へ。学年が上がるにつれて、成績も上がってきた山本が「世界」を意識し始めたのは、名城大学4年生の最後の方だと言う。「アジア室内に選ばれて『最初で最後の経験かな』と思っていたんです。そこで結果3番を取れて、ワールドランキングのポイントを稼げたことが、後々にどんどん響いて、アジア選手権や世界陸上につながっていったんです」

逆に言うと、それまでは日本代表を意識したことはなかった。名城大2年の終わりにいったん競技を離れ、約2カ月後に戻ってきてから、3年時も全日本大学女子駅伝と富士山女子駅伝で優勝に貢献。大学ラストイヤーは「歴代の先輩が積み上げてきた連覇を途切れさせてはいけない」というプレッシャーと戦っていた。

「4年目は、同期でしょっちゅうミーティングをしていました。自分たちは結構特殊な学年で、それまでとはまったく違うやり方をしていました」

名城大ラストイヤーは日本インカレ女子5000mで優勝(撮影・藤井みさ)

具体的には、無駄が多いと感じていた1年生の仕事をなくした。「4年生ってほぼ単位を取り終えていて授業がない。でも、1年生は授業もたくさんあるのに仕事も多いのは、不平等だなと。1年生たちも大事な選手だし、駅伝に関わってくる子たちがたくさんいたので、少しでも競技の負担にならないようにしていました」

同期の中でも役割があった。キャプテンを務めた小林成美(現・三井住友海上)は、時にチームへ厳しいことを言う立場になった。「根はすごく優しいんですけど」と山本。小林からは「私が注意する立場で、少し怖い存在になるだろうから、有真は後輩からの相談にいろいろ乗ってあげて」と言われたことが、印象に残っているという。「成美は『有真みたいに相談とか聞けない』と言ってたんですけど、私も成美みたいに、事細かく指示して厳しく接することもできないんです」。嫌われ役を買って出てくれた小林には、感謝の念が尽きない。

全日本と富士山では4年間、頂点に立ち続けた。「連覇」という数字だけだと、チームの伝統が受け継がれている結果のようにも見えるが、「どの年もまったく違う雰囲気だし、同じことをしてきたという感覚はない」と言い切る。

名城大では駅伝で勝ち続けるプレッシャーと戦ってきた(撮影・藤井みさ)

女性ファンから尋ねられてうれしかったこと

社会人1年目には世界陸上を経験し、今年はパリオリンピックの代表にもなった。今後のキャリア形成については、どう考えているのか。本人に尋ねると、「今は目の前のレースで結果を残すことしか考えてないですけど、理想は陸上を通していろいろな人と関わっていけたらと思っています」と答えてくれた。

競技だけでなく、おしゃれやメイクも好きで、最近は女性ファンから「どんなコスメ使ってますか?」という質問を受けたことがうれしかった。「長距離もいろんな女性アスリートの方が、メイクで自信を持って走れるようなスポーツになってほしいです」。山本有真は、今の時代に沿ったアスリート像を持っている。

4years.のつづき

in Additionあわせて読みたい