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特集:New Leaders2024

慶大・豊田兼 パリ参加標準突破の「二刀流ハードラー」、夢実現にかけるラストイヤー

二刀流でパリ五輪出場を目指す慶應義塾大の豊田兼(撮影・井上翔太)

110mハードルと400mハードルの2種目を主戦場とする慶應義塾大学の豊田兼(3年、桐朋)は、昨年8月に中国・成都で開催されたFISUワールドユニバーシティゲームズ(以下、ユニバ)110mハードルで金メダルを獲得。400mハードルでは9月の日本インカレを制し、10月には日本歴代6位となる48秒47をマークして、パリオリンピックの参加標準記録(48秒70)を突破した。競走部107代目の主将に就任した大学ラストイヤーは、伝統ある部を牽引(けんいん)しつつ、自身の夢の実現に勝負をかける。

「世界大会の経験」と位置づけたユニバで金メダル

2023年に大きな飛躍を遂げた豊田だが、実はシーズン前半はもがいていた。

「2024年に向けて23年は世界大会を経験したかったので、夏のブダペスト世界選手権出場を目指して、400mハードルでグランプリなど多くの試合に出ました。でも、ひざの痛みを隠しながらというか、無理をしていた部分がありました」

無理をすれば、当然、望む結果は得られない。すでにユニバの出場資格はあったため、6月上旬の日本選手権後に「世界大会の経験」はユニバ1本に切り替え、1カ月間を休養に充てた。「自分の脚をいったん万全な状態にして、試合に臨むという最低限のことをしたら、着実に記録が伸びていきました」

110mハードルで挑んだユニバは、「まだひざの痛みが残った状態で、不安は大きかった」という中での遠征となった。ただ「試合の3日前から痛みも落ち着き、予選で自己ベストを大きく更新(日本歴代6位の13秒29、追い風1.1m)して、『決勝も行ける』と自信を持てた」と話す。決勝は接戦を制した。この種目での世界一は、ジュニアなどの全カテゴリーを通じて、日本人選手初の快挙だった。

「自分の中では3位以内が目標で、まさか優勝まで行けるとは思っていませんでした」

その後、戦いの舞台を400mハードルに移し、日本インカレは自己新連発で初優勝。日本選手権覇者の小川大輝(東洋大2年、豊橋南)と同タイム優勝だった。快進撃はさらに続き、「秋シーズンのピークを合わせた」という10月のYogibo Athletics Challenge Cup 2023では日本歴代6位の48秒47をマーク。パリオリンピック参加標準記録を一気に突破した。

豊田は「自分は試合に強いタイプかなと最近は思ってきています」と笑顔を見せる。

日本インカレのゴール後。同タイム優勝の小川(右)と健闘をたたえ合った(撮影・井上翔太)

パリオリンピックは大学入学時に掲げた目標

大学の進学先はいろいろと悩んだ。一つの選択肢として希望していた海外留学は、陸上との両立という面で長期間では難しそうだったことに加え、コロナ禍もあって断念した。

「条件は陸上と勉強が両立できる学校。あとは高校の陸上部があまり硬い雰囲気ではなく、それぞれがやりたい練習をやれる自由さがあったので、そういう雰囲気にマッチする大学として慶應が出てきました。高校のOBで慶應競走部に行かれた方も何人かいて、お話を聞いていいなと思いました」

土のグラウンドを他の運動部と共用していた中学や高校時代と比べると、慶應義塾大の練習環境は申し分なかった。「雲泥の差でした。トラックもオールウェザーでハードルも充実していてすごいなと」。チームの雰囲気も高校の陸上部に似た感じがありながら、「先輩たちは自分の競技に対して常にひたむきに考えている」という印象があった。「高校ではそのあたりで甘い部分もあったので、入学して先輩方から学び続けてきました」

陸上と勉強の両立や自由さから慶應義塾大を選んだ(提供・慶應義塾大学競走部)

豊田が入学時に掲げた目標は、4年生の夏に迎えるパリオリンピックだった。

「高野大樹コーチとも4年計画で強化しようと話して、1年目から始めたウェートトレーニングも、夏までは重さは担がずに可動域を広げるぐらいで、姿勢をチェックするなど基礎から取り組みました」

インカレなどの大学生の大会は、1年目こそ「仕組みや価値をよくわかっていなくて、部が掲げる公式戦だから出るような感じだった」が、2年目になると「大学生のトップを競うインカレへの思いも増して、優勝したい気持ちが強くなりました」と振り返る。実際、2年生で挑んだ日本インカレは、400mハードルで2位に入り、400mでも3位に食い込むなど、確かな成長を示した。

「試合に合わせる調整能力」を強みに

豊田は桐朋中時代は四種競技に取り組んだが、全国大会には出場できなかった。中高一貫で内部進学してから、得意としていたハードル種目を始めると、大きく花開いた。高校2年の時は400mハードルでインターハイの準決勝に進出。110mハードルではU18日本選手権B決勝で8位に入った。コロナ禍だった3年生の全国高校大会では、110mハードルで4位、400mハードルで5位と2種目入賞を果たしている。

大学ではそれまでと同様、ハードル2種目で戦っていくことは決めていた。「自分は両方とも同じぐらいの水準。あまり絞りたくないし、できることなら両方やりたかった」。選手の数によっては1種目に絞らないといけないケースもあるが、慶應ではそのあたりは問題なかった。

高校生からハードル2種目を主戦場にしている(撮影・井上翔太)

種目を絞った方が集中しやすく、練習も効率的にできる。それでも豊田が2種目にこだわるのには理由がある。

「同じハードルでもそれぞれ特徴が違うので、純粋にやっていて楽しいです。それに2種目やっていると、1種目がうまくいかない時、もう一つの種目にフォーカスしてみたら、うまくいっていない方をいったん忘れられて、相乗効果で良くなることもあります。両方の種目を良いバランスで成長できると感じています」

はたから見ると、豊田の武器は身長195cmの恵まれた体格とスピードを生かした走りに思えるが、自身は「ぱっと切り替えられる調整力がないと、2種目はやっていけません。試合に合わせて調整できる部分が自分の強み」と捉えている。

107代目主将に就任、スローガンに込めた思い

昨年11月、豊田は競走部107代目の主将に就任した。主将候補は2人いたが、「どちらが主将になってもおかしくなく、一つ上の代の学年から任命された時に覚悟はできていた」という。

「もちろん、幹部としての日々のマネジメントはありますが、第一に自分がやらないといけないことは競技でしっかりと結果を残すこと。背中で引っ張る姿は絶対に見せていかないといけないと思っています」

107代目のチームスローガンは「すゝめ~We Over Me~」。慶應義塾の創設者・福澤諭吉の名著を連想させる「すゝめ」には、二つの意味が込められている。

「一つは、一人ひとりが自分の競技を前に進めていこうというもの。もう一つは、競走部や競技を通じて培った何かを本当に人に勧められるかを意識すること。これは陸上競技を今までやってきて、自分の中で軸がしっかりとあるかということの表れだと思います。そこにチームは個人に勝る、という意味の『We Over Me』を副題としました」

2024年度は主将としても部を引っ張る(撮影・井上翔太)

豊田にとっては、パリオリンピックという3年前に掲げた目標に向かう勝負のシーズンになる。

オリンピックへの思いは10歳だった2012年、テレビでロンドン大会を見て大きく膨らんだ。男子200m決勝で黒人選手がズラリと並んだ中、ただ一人の白人選手だったクリストフ・ルメートル(フランス)のたたずまいが「すごくかっこよく見えて憧れた」のだ。父がフランス人ということもあり、「パリは親近感がありますし、パリオリンピックは目指さないといけない大会」と力を込める。

400mハードルも110mハードルも、まだ記録を伸ばせる余地が大いにある。

「400mハードルはオール13歩で行きたいなと。今は8台目までしか行けなくて、残り2台を15歩でちょこちょこと走らないといけない部分が自分の中でもどかしく感じています。110mハードルは前半の3台ぐらいまでが課題。スタートで置いていかれないように、瞬発系をもっと強化しようと考えています」

近年の日本男子ハードル界は実力者がひしめき、400mハードルと110mハードルでは豊田を含め、5人がパリオリンピックの参加標準記録を突破している。代表争いはそれだけ熾烈(しれつ)を極めるだろう。豊田は「余裕はありません」と気を引き締めるが、持ち前の本番の強さを発揮して代表権を勝ち取り、父の母国で躍動するイメージはできている。

本番での強さを武器に、パリの舞台をめざす(撮影・井上翔太)

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