陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2024

早稲田大・西裕大 競技を終える予定だったスプリンター、一転パリオリンピックめざす

パリをめざすため、競技続行を決めた早稲田大の西(撮影・井上翔太)

早稲田大学の西裕大(4年、栄東)が過ごした4年目のシーズンは、充実したものになった。昨年4月の学生個人選手権男子200mで優勝すると、翌5月の関東インカレ男子1部200m、9月の日本インカレ男子200mも制し「三冠」を達成。当初は大学限りで競技人生を終える予定だったが、今夏のパリオリンピック出場をめざして競技を続けることにした。

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【特集】駆け抜けた4years.2024

鵜澤飛羽と「もう一度、真剣勝負を」

「競技を続けることに決めた要因は色々あります。パリオリンピックが『夢』から『現実的な目標』に変わったこともそうですし、これは大学での一つの心残りなのですが『鵜澤にもう一回勝ちたい』という思いがどうしてもあるんです」

昨年7月にタイ・バンコクで開催されたアジア選手権で20秒23の自己ベストをマークした筑波大学の鵜澤飛羽(3年、築館)とは昨シーズン、学生個人の決勝では勝った一方で、6月の日本選手権決勝では敗れた。「学生個人は彼が調整段階で、日本選手権は僕が全然ダメで……。僕は彼の才能を誰よりも信じていますし、一緒に走ったからこそ『あ、こいつには勝てないんじゃないかな』と思った唯一の相手です。日本人で最初に19秒台を出して、世界大会の決勝に行ける選手だと思っています。そんな彼とパリオリンピックがかかった日本選手権の決勝などで、フルコンディションの中、もう一度真剣勝負をしたいんです」

日本選手権の決勝後、鵜澤と握手を交わした(撮影・西岡臣)

理系の勉強もできて、陸上にも打ち込める環境

今でこそ世代トップスプリンターの一人へと成長した西だが、入部した頃は現在の姿が想像できなかったという。高校時代は勉強がメインで、浪人も経験した。「自分の父が早稲田の競走部OBなので、陸上をやるなら早稲田。早稲田以外なら陸上はやらずに理系の勉強に専念しようと思っていました」。体育各部の選手たちが多く在籍するスポーツ科学部ではなく、教育学部数学科に合格。「理系の勉強がしっかりできて、かつ陸上にも打ち込める環境でした」

ただ、入学直後にコロナ禍による最初の緊急事態宣言が発令され、入学式は「2年生のときにありました」。授業はほとんどがオンライン。競走部に入ることは決めていたが、当時は部活動自体が停止していた。自分で体を動かそうとしても、近辺の競技場は開いていなかった。「趣味程度に体を軽く動かすことしかできなくて、絶望的でしたね。『どうなるんだろう、僕の陸上人生』みたいな思いでした」

入学した頃は現在の姿を想像できなかったという(撮影・藤井みさ)

2020年の6月ごろに部の活動が再開され、競走部の側から「そろそろ始まるから来ていいよ」と言われた。いざ練習に参加してみると、当時は東京オリンピック日本代表の伊東利来也(現・住友電工)らが在籍しており「本当にレベルが違う」と感じた。自身は浪人のブランクもあり「全然ダメ」。大学1年のときのベストは22秒6だったという。

橋元晃志さんから学んだ「大学陸上とは何か」

その後、飛躍的にタイムが伸びたのは「運が良かったとしか思えない」と苦笑いしながら振り返る。大学1年の8月15日に早稲田大で行われた記録会で「盛大な肉離れをした」。1年目のシーズンは約2カ月間で終了。その後に行った補強トレーニングでの出会いが、西を変えることになった。

「たまたま同じ時期に、競走部のOBで富士通に在籍していた橋元晃志さんがけがをしていて、気にかけてくれたんです。8月から11、12月ぐらいまでずっと2人で練習させていただいて『大学陸上とは何か』『陸上競技とは何か』を教えてもらいました。まだ高校生気分で何も分かっていなかった自分に、基本的な考え方をすべてたたき込んでいただいた。それがなければ、本当に今の自分はないです」

OBの橋元さんから「大学陸上とは何か」を教わった(撮影・井上翔太)

橋元さんからの学びで特に印象的だったのは、走り方以上に「大学陸上と高校陸上の違い」だったという。西は、こう解釈している。「高校は先生がメニューのやり方を教えてくれるので、練習効率が『1』で決まっていて、人よりも2倍頑張ったら2倍速くなる。一方で大学は、そもそも練習効率が先生から与えられるものではなく、自分で作れる。人より効率が悪ければ『0.8』になってしまうし、逆に『1.2、1.5』ということもできる」

もともと西は、考えること自体が好き。一方で考える材料となる知識が不足していると感じていた分「人に聞くことを繰り返して練習効率を上げていけばいいんだ」と理解した。理系で論理的な思考を持つ性格が、このときに生きた。つらい練習は「ずっと机に向かう浪人時代の方がしんどい」と思って乗り越えてきた。

昨年9月の日本インカレを制し、学生個人と関東インカレに続く「三冠」達成(撮影・井上翔太)

ユニバを経験し「オリンピックはどんなものだろう」

一度は競技生活にピリオドを打つと決めながら、続行を決めた理由の一つには、大学生のうちに国際舞台を経験できたこともある。昨年の学生個人を制したことで、夏に中国・成都で開催されたFISUワールドユニバーシティゲームズ(以下、ユニバ)に出場。男子200mで銀メダルを獲得した。

「ユニバが本当に楽しくて。超満員のスタジアムで『On your marks』の声すら聞こえないぐらいガヤガヤしていて。日本の陸上の大会とは全然違う環境だなと。大学の世界大会でこれなら、オリンピックはどんなものなんだろうっていう好奇心も強くあります」

実際のところ、西がパリオリンピックの舞台に立つ可能性はどれぐらいあるのか。

パリオリンピック男子200mの出場枠は最大48で、日本からは最大で3選手が出場できる。世界陸連が公表しているランキングによると、西は日本勢で鵜澤、上山紘輝(住友電工)、飯塚翔太(ミズノ)に続く4番手につけている。「何となくボヤッとしていたオリンピックが明確に見えるようになってきた」と西。当面は今年の6月末に新潟で予定されている日本選手権に照準を合わせる。

いったん「卒部」という形になるが、取材の日は早稲田のトラックで後輩たちと一緒に練習していた。就職先の内定を辞退してまで競技を続ける勝負の1年、西が決断した大きな挑戦に注目したい。

取材の日も後輩たちと練習に励んでいた(撮影・井上翔太)

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