早稲田大・川村優佳 原動力は人のため、「女子選手のいやすさ」に心を砕いた女子主将
2023年9月の陸上・日本インカレ女子400mハードルを2年ぶりに制した早稲田大学の川村優佳(4年、日大櫻丘)が、競技生活に終止符を打った。2年時の優勝は「一番悔しい試合でもあった」と言う一方、女子主将を務めた最後のインカレは「すがすがしい気持ちで終えられた」。改めて競技生活を振り返ってもらった。
礒繁雄・前監督から誘われ「ここでやりたい」
小学生の頃から走ることが好きで、中学から陸上部に入部した。1年時の種目は走り幅跳びだった。しかし「ファウルをたくさんしてしまって、幅跳びはあまりセンスがないなと思っていたんです。そのとき顧問の先生から『幅跳び以外だったら何がやりたい?』と聞かれて。2個上の先輩のハードルを跳んでいる姿がかっこよかったので『ハードルやりたいです』と言いました」。100mハードルでは3年のとき、「やっと東京都で入賞できる」レベルだったという。
ハードルの距離を伸ばしたのは、高校2年からだった。入学直後に足底筋膜炎を起こし、ほとんど走れない時期を過ごしたことがきっかけだった。「その期間に体作りに励んで、1年間で体重が5、6kg増えて、冬季に走れるようになったときにスタミナがついていることを実感したんです」。顧問の先生から「ヨンパーに出てみれば?」と提案され、試しに走ると好結果が出た。
高校2年のときのインターハイで8位に入り「しっかりと基礎を作れたことで、だんだんと記録を伸ばすことができたのかなと思っています」。しかし、優勝をめざした3年時は7位だった。本来なら高校で競技を辞めるつもりだったが「優勝できなかったことが悔しくて……。その直後に礒繁雄先生(前・早稲田大学競走部監督)から『ちょっと見学に来ないか』と誘いを受けて、見に行ったとき『あ、ここで陸上をやりたい』と思いました」。自分たちで考えながら競技に打ち込む先輩たちの姿に刺激を受けた。
コロナ禍にモチベーションを維持できた同期の存在
ただ、入学直後に待っていたのはコロナ禍だった。前年の12月ごろから合宿に参加させてもらい「練習はきつくて厳しい環境だけど、すごく楽しい。大学という新しい環境にワクワクしていた」矢先の出来事。せっかく陸上を続けると決めたのに、「この先どうなるんだろう」という不安な気持ちを抱えていた。
モチベーションを維持できたのは、同期が近くにいたからだった。「清水(羽菜、4年、白梅学園)と津川(瑠衣、4年、八王子学園八王子)は家が近いので、部活や大学がない期間は3人で集まってました」。津川の家の近くにある坂で走り、「再開されたときに『やってやろう』みたいな精神で一緒に練習していました。2人がいたから、あまり落ち込まずに済んだ。私にとっては救いでした」。部全体でオンライン勉強会を開いたり、ハードルブロックで個人練習のフィードバックをし合ったりすることも、当時1年生の川村にとっては学ぶ面が多かった。
「高校時代は『教えてもらう』という側面がどうしても強いんです。私の場合、中学はがむしゃらにやっていただけで、高校時代に基礎的な考えを教えていただきました。大学では自分が持っている理論を確立して、相手と話す中でお互いを知る『研究』っぽい側面があると思っています」
「実力で勝ちきれなかった」2年時のインカレ優勝
400mハードルの魅力は「少しの工夫や作戦次第で、大幅にタイムが変わること」だと言う。これは2学年先輩の関本萌香さんから教わることも多かった。「関本さんから『抜き足を0.1秒ぐらい遅らせるといいよ』と言われただけで改善できたことがあるんです。ハードルを越える前に踏み切るときのリズムを意識するだけで、レース後半の疲労度が変わることもあります。コーチや先輩方からコツを教えていただく中で『あ、この感覚すごくいいな』という発見を自分に落とし込むことが、すごく楽しかったです」
2年時の日本インカレでは、関本さんを制して優勝を果たした。ただ、あまりいい思い出ではない、と当時を振り返る。
「その時点では『関本さんを超えられない』と心のどこかで思っていました。終盤に関本さんがハードル間の歩数を変えて、崩れてしまって……。私が最後に差したという展開でした。尊敬している先輩でしたし、実力で勝ち切れなかったということが悔しかったです」
その後は関本さんが持つ早稲田大学記録、56秒96が川村の目標になった。「残り2回のインカレは『自分の実力で勝った』と言える優勝をしたいと思ってました」
「最後まで強い気持ち」で走り抜いた
3年時の日本インカレは、力みもあって6位。このとき優勝したのが、大学1年のときから日本選手権を制している山本亜美(3年、京都橘)だった。昨年の日本選手権で山本は3連覇を果たし56秒06の自己ベストをマークした。
「ライバルではあるんですけど、私は亜美ちゃんの明るい性格がすごく好きです。『応援したい』という気持ちにさせてくれる選手で、アジア大会や世界陸上に出ているときは普通に応援していました。ただ、日本インカレのときは『絶対に負けたくない』という思いでしたね」
ただ最後の日本インカレで決勝に残っていた山本は、連戦の影響もありスタートラインに立てなかった。招集所で係員から「立命館の方、棄権です」というアナウンスが流れると、選手たちには「えっ」と動揺するような雰囲気が広がったという。「山本さんと走れる最後の機会だったから、一緒に走りたかったです」。このレースで川村は優勝。タイムは58秒33と関本さんのタイムを塗り替えることはできなかったが、後輩の大川寿美香(2年、三田国際学園)とワンツーフィニッシュを決め「最後まで強い気持ちを持って、スタートからゴールまで走り切れた。2年前の優勝とは違い、すがすがしい気持ちで終えられた」と語った。
女子主将として最初の目標は「全員自己ベスト更新」
大学で競技を終えることは、入学当初から決めていた。「自分のために頑張る」より「人のために頑張る」方が、より力を発揮できる性格だということも影響しているという。女子主将に就任してからはまず、「女子選手が安心して陸上に打ち込めるような環境をつくること」に心を砕いた。
「最初は女子の目標を『全員自己ベスト更新』に設定したんです。これならインカレに出られる選手はさらに上をめざせるし、まだ出られない選手も参加標準記録突破に近づくことができる。その後の合宿で、対校戦での得点や総合順位の目標を立てました。女子選手の『いやすさ』や連帯感を重視してきました」
仲間の調子がいいと、うれしくて自分も頑張れる。自分がいやすい環境にできれば、部活動全体の雰囲気も良くなると信じて、チームを引っ張ってきた。
卒業後は百貨店に就職する予定。接客する機会も多く「相手の立場になって考えることが多いのかなと思っています。そこは女子主将をしてきて、相手がどう思っているのか、一人ひとりとコミュニケーションを取ってきたので、そういう経験が生かせるのかなと思っています」。その言葉通り、取材後は後輩たちと笑顔で話をする姿が見られた。