サッカー

ジュビロ内定の早稲田大・植村洋斗 弱さを認め、さらけ出した828文字に込めた思い

早慶サッカー定期戦のピッチに立った早稲田大の植村(撮影・井上翔太)

ジュビロ磐田内定のリリースから、ちょうど1年――。

七夕の夜、熱気が充満する味の素フィールド西が丘ですがすがしい笑みを浮かべていた。74回目を迎えた早慶サッカー定期戦は、リーグ戦とは異なる重みがある。昨年から早稲田大の10番を背負う司令塔の植村洋斗(4年、日大藤沢)はしみじみと話す。

「1年生からベンチ入りして経験してきましたが、大学サッカーで最も盛り上がる早慶戦はプロとはまた違うものがあります。スタンドから聞こえてくる大きな声援を耳に入れ、最後の舞台を楽しみながら全力でプレーしました」

ルヴァンカップでプロの厳しさを体感

前半は徹底的にマークされてボールに絡む回数は少なかったが、後半からは要所で持ち味を発揮した。テンポ良くボールを散らして攻撃のリズムをつくり、意表を突くアウトサイドのスルーパスで、沸き上がる会場の観客をうならせた。決勝ゴールも植村が左サイドに展開して生まれたもの。勘所はしっかりと押さえている。

1点リードのアディショナルタイム。体力は限界に近かったものの、前線からプレスをかけて、チームのために走り続けた。大学指折りの技巧派パサーとして鳴らす本人は、常にプロ内定選手としての意識を高く持っている。どれほどの選手なのかと値踏みするような視線にもすっかり慣れたという。

「内定選手として見られることに対し、プレッシャーは感じていないです。むしろ、『違いをどんどん見せてやるぞ』という気持ちで臨んでいます。昨年(3年生)の7月7日にジュビロ磐田から内定のリリースが出て、早慶戦で丸1年になりました。もっと圧倒的な存在にならないといけないと思っています」

決勝ゴールは植村が左サイドに展開してから生まれた(撮影・井上翔太)

内定者としての矜持(きょうじ)だけではない。5月24日には大学サッカー部に在籍したままJリーグに出場できる特別指定選手として、ルヴァンカップに初出場。試合前からグループステージ敗退は決まっていたが、プロならではの厳しさを体感し、大きな刺激を受けた。「1試合に懸ける思いが違います。自分の基準、意識を変えていかないと、あのプロのピッチで活躍するのは難しいと思いました」

幼少期から憧れたJリーグの舞台に立つと、欲も出てきた。

「もっとあの場所でプレーしたい。もっと自分のプレーを多くの人に見てもらいたいって。また早くプロのピッチに立ちたいという気持ちが強くなりました」

ルヴァンカップ初出場の後「自分の基準を変えないと」と意識が大きく変わった(撮影・井上翔太)

加入内定メッセージに記した、壁にぶつかった体験談

意欲あふれる言葉には自信がにじむものの、一度は鼻をへし折られている。磐田の公式ホームページに掲載された加入内定のメッセージにもあえて記した。よく目にするような定型文ではなく、ア式蹴球部で壁にぶつかった体験談を自ら文字にした。

<試合に全く出られなくなった時期、自分のミスを認めようとしないことや周りからの意見をプライドが邪魔をし中々聞かなかった時期、同期全員から自分の弱さを突き付けてもらう中で、試合に出られるために何が自分に足りないのか、自分自身に向き合い、行動に移すことで結果が出るようになり、今の自分に繋がっていると感じます(原文より一部抜粋)>

全文は828文字。弱い自分を認め、そのままさらけ出している。「そこが大学で一番成長したところです」

弱い自分を認め、さらけ出せたことが「大学で一番成長したところ」(撮影・杉園昌之)

腐りかけたときにもらった学生トレーナーの助言

サッカー人生の分岐点となったのは、大学2年の前期だった。21年6月、U-20(20歳以下)日本代表候補のトレーニングキャンプからチームに戻ると、そこに植村のポジションはなかった。当たり前のようにスタメンとしてリーグ戦に出場していただけに困惑し、起用法にも不満を覚えた。一人で鬱憤(うっぷん)をためるばかりだった。自分から周囲に意見を求めることはなく、たとえ助言されても聞き流していた。現状に納得できずに腐りかけていると、当時、学生トレーナーを務めていた4年生の浦田幹から声をかけられた。

「『まず人の意見を聞いた上で、自分に必要なければ捨てればいいし、必要と思えば取り入れればいい』って。確かにそうだな、と思いました」

外からチームを見ている人の意見だったこともあり、すんなり受け入れることができた。このとき、改めて大学入学時に掲げた目標を自らに言い聞かせた。「プロサッカー選手になるんだろって」。中学3年までは横浜F・マリノスの下部組織で育ち、高校は強豪の日大藤沢へ。そして、高卒で果たせなかった夢をかなえるためにサッカーエリートが集まる早稲田の門をたたいたのだ。沈んだままでは終われない。

「何かを変えないといけないと思いました」

聞く耳を持たなかった男は柔軟になった。周囲の意見に耳を傾け、攻撃面の特徴を生かしつつプレーの幅を広げていく。ボランチとして守備力の向上に力を注ぎ、練習からハードワークを惜しまなくなった。2カ月近く試行錯誤を繰り返し、壁を乗り越えるためにもがき続けた。

「守備の意識が高くなってからは、試合にもまた出場できるようになりましたし、監督の信頼もつかめたと思います」

周りの意見を聞いて守備に力を注ぎ、チームからの信頼を得た(撮影・杉園昌之)

1年での1部復帰と全国制覇を

2年の後期は主力として活躍し、3年からは10番を託された。攻守両面で働くようになった司令塔の評判はすこぶる高く、あっという間にJクラブからの内定をつかみ取った。学生主体で運営し、選手一人ひとりに考えさせるア式蹴球部の環境で育まれたものは大きいという。

「高卒でプロになって壁にぶつかっていれば、今のように自分と向き合えていなかったでしょうね。もしかすると、つぶれていたかもしれません。僕は早稲田に来て、人生が変わったと思っています」

ただ、すべてが順風満帆に進んでいるわけではない。昨年、早稲田は関東大学1部リーグから2部リーグに降格。植村は攻撃の中心を担う存在として責任を感じており、覚悟を持って最終学年を迎えている。今季は1年での1部復帰を目標に掲げ、全国制覇にもこだわる。9月に開催される総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの出場権を4大会ぶりにつかんでおり、すでに挑戦権を得ている。

「ここから自分たちの強さが出せると思っています。昇格、日本一を目指します」

自分を客観視できるようになった21歳は目の前の目標に対し、いま自分が何をすべきかを考えていた。一つひとつ積み上げた先に求める結果があり、夢の実現があると信じている。

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