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特集:New Leaders2023

川崎フロンターレ内定の桐蔭横浜大・山内日向汰、試練乗り越え4年越しの「古巣」に

川崎フロンターレへの加入がすでに内定している山内(すべて提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

Jクラブの下部組織出身者が大学サッカーで経験を積み、4年越しに「古巣」とプロ契約を結ぶ例はいまや珍しくはないが、その道のりは平坦(へいたん)ではないことがほとんどだ。J1で4度の優勝を誇る川崎フロンターレへの加入がすでに内定している桐蔭横浜大の主将、山内日向汰(ひなた、4年、新栄)もその一人である。人知れず葛藤し、試練を乗り越えてきた。

関東大学1部リーグで攻守両面において、期待に違わぬプレーを披露

「J1で活躍できる選手」目を引く豊富な運動量

今季はプロ内定のボランチとして注目されるなか、関東大学1部リーグで攻守両面において、期待に違(たが)わぬプレーを披露している。「止めて・蹴る」にこだわる川崎Fが認めた技術の高さは、目を見張るばかり。ゲームを組み立てながらゴールに迫り、味方がボールを奪われれば、すぐさま回収する。毎年、Jリーガーを輩出している桐蔭横浜大の安武亨監督は、山内の成長ぶりに目を細め、現在J1の川崎Fで主将を務めるOBと比較していた。

「橘田健人(の大学時代)と同じようなレベルです。J1に行くだけではなく、活躍できる選手だと思っています。目を引くのは豊富な運動量。1試合の走行距離は平均12.5kmくらい、13kmを超えることもあるので。攻撃面だけでなく、守備面でもハードワークできます。チームのために走ることをいとわなくなりましたね。1年生のときは、自分の好きなプレーだけをする選手でしたけど……」

大人のプレーヤーになるまでの過程を見てきた指導者の言葉には実感がこもっていた。1年時から優れたテクニックを持っていたが、走力を含めた守備面で物足りなさがあったという。ただ、安武監督から直接、課題を指摘し、個別練習などを課したことはない。

「先輩たちを見て、自分で学んでいくものです。私は何も強制していません。本人がやる気にならないと物になりませんから。自ら高い意識を持ち、修正すべき点に気づき、自主的に取り組んでいます」

1年目からの地道なトレーニングが実を結んだ

「大卒で必ずプロになる」心に誓う

2020年の梅雨入り前。新入生だった山内は、桐蔭横浜大のグラウンドで下部組織時代から着慣れた川崎Fのトレーニングウェアに身を包んで練習していると、気恥ずかしさを覚えた。当時4年生の橘田も、内定したばかりの川崎Fのウェアを着ていたのだ。

「あっちが、本物のフロンターレ。僕がこのウェアを着ていてもいいのかなって」

後ろめたさを感じつつも、同じポジションでプレーする先輩の背中を見て、自分に足りないものをあらためて自覚した。守備の強度、そして運動量。高卒でトップチーム昇格を果たせなかったが、「大卒で必ずプロになる」と心に誓い、桐蔭横浜大を選んだ。「先輩に負けないぞ」と自らに言い聞かせ、走力トレーニングに打ち込んだ。1年目は出場機会が限られ、目立った活躍を見せることはできなかったが、2年目には地道な努力が実を結ぶ。卒業した橘田の穴を埋めるように主力のボランチとなり、リーグ戦21試合に出場。リーグトップの7アシストを記録し、関東大学1部リーグの個人タイトルを獲得した。プロ関係者たちの評価もうなぎのぼりだった。3年生を迎える前には、いち早く逸材を狙う国内指折りのビッグクラブからオファーが届いた。

桐蔭横浜大のインカレ初優勝にも大きく貢献した

1年で成長 大学サッカー界の突出したプレーヤーに

小学校3年生から高校3年生まで下部組織で手塩にかけて育てた選手の情報は、すぐに川崎Fの向島建スカウトの耳にも入ってきた。しばらく静観していると、関係者を通じて、山内からコンタクトを取りたいという知らせを受け、電話で話すことになった。そこで、スカウトとしての意思をはっきりと本人に伝えた。

「2年生のこの時期に他クラブがオファーを出したからといって、うちもすぐに出すことはない。ここから1年後、大学の中で突き抜けた存在になっていれば、オファーを出したいと思っている。それまで、こっちができることはする」

日本代表の三笘薫(現・ブライトン)をはじめ、スコットランドリーグで活躍する旗手怜央(現・セルティック)、橘田ら多くの有望選手の獲得に尽力してきた敏腕スカウトの中に確信めいたものがあったわけではない。

「本当にどうなるか分からなかったのですが、しっかり見てから判断したかった。スカウト方針がぶれることはないです」

いま振り返っても、賭けに近いものがあった。その後、山内は他クラブからのオファーに応えることなく、大学3年目のシーズンへ。向島スカウトがつぶさに観察していると、攻守両面で随所に進化の跡が見えた。3年生の夏過ぎ、成長を促すためにトップチームの練習に呼んだときもプロ選手と遜色なくプレーし、多くのものを吸収して大学に戻って行った。11月には練習生として帯同させたベトナム遠征でゴールまで奪い、アピールに成功。そして、12月には桐蔭横浜大のインカレ初優勝にも大きく貢献した。

「1年でしっかり成長し、大学サッカー界で突出したプレーヤーになりました。ピッチ外の生活面を含めて、すべて見ていましたが、人間性まで素晴らしかった。次はこっちが彼の思いに応えるときがきたなと思いました」

いまなお成長を続ける山内

「1年後になりたい自分」から逆算

今年2月、川崎フロンターレから正式に24年度の加入内定が発表された。

試練を乗り越えて、希望の内定をつかみ取った山内は、ほっと胸をなでおろしていた。かつては大学経由で強豪の古巣に再び帰ってくることは想像できなかったという。「僕はアカデミー出身でも三笘選手(筑波大学)や脇坂泰斗選手(阪南大学)のように最初から戻ってくることが前提のような選手ではなかったので」

それでも、いまは心身ともに強くなり、ピッチでは自信にあふれた姿を見せている。相手のプレッシャーを受けても、簡単にボールをさばき、チャンスをつくり出す。川崎Fの練習に参加したことが一つのきっかけになった。「大学サッカーでは相手のプレスが遠く感じ、余裕を持って、いままで以上に周りを見ながらプレーできるようになりました」

ただ、現状に満足しているわけではない。また新たに「1年後になりたい自分」から逆算し、毎日の練習に取り組んでいる。

「来年はJリーグの試合に出て活躍したいので。そのためには、今より攻守両面でもうワンランク上げないといけません。基準にしているのは、攻撃では脇坂選手、守備では橘田選手」

4月21日にはパリオリンピックを目指すU-22日本代表候補の合宿メンバーにも選出されるなど、いまなお成長を続けている。明確なビジョンを持つ21歳は桐蔭横浜大でのラストイヤーで、さらなる飛躍を目指す。

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