サッカー

特集:New Leaders2023

筑波大学・山内翔 ヴィッセル神戸内定の新主将、大学だから気付けた「仲間の大切さ」

筑波大に進んだからこそ気づけたことがあった(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

ヴィッセル神戸の下部組織で育ち、年代別日本代表の経験を持つサッカーエリートは、筑波大学蹴球部で大きく変わったという。J1の神戸入りが内定している山内翔(3年、神戸学院大附)は、「ここに来ることがなければ、いまの自分はなかった」とはっきりと口にする。最終学年を迎える前、入学時には想像もしなかった役職に就いた。キャプテンに就任するまでの経緯、そして特別な腕章を巻いて臨むラストイヤーに懸ける思いを本人に聞いた。

「蹴球部としては何も結果を残せていない」

昨年のカタール・ワールドカップで活躍した日本代表の三笘薫、谷口彰悟らも技を磨いた筑波大の静かな練習場には、新キャプテンの活気あふれる声がよく響く。要所で引き締めながら、チーム全体を盛り上げていた。入学時から指導してきた小井土正亮監督は、精神的に成長を遂げた姿に目を細めていた。

「最初はガキ大将のような感じでしたが、いまは信頼を置ける選手になったと思います。もともと天性のリーダーシップを持っていましたから。筑波のキャプテンは学生同士で話し合って決めているので、仲間たちにも認められたということでしょうね」

新シーズンに向けて、3年生の中心メンバー10人ほどで集まったのは昨年の秋だった。それぞれがチームへの思いを語る中、山内は静かに耳を傾けていた。先輩たちが築いてきたものを継承する部分もあれば、今後、改善が必要な課題も挙がった。仲間たちの熱量は、十分に感じ取れた。そして頃合いを見計らい、心に決めていた思いを口にした。

「来年はキャプテンをやりたいと思っている」

山内の立候補に異を唱える声はなかった。「翔がキャプテンを務めるなら」と学年の代表者たちにその場で認められ、12月中旬のインカレ終了後にはサッカー部全員の信任を得た。大学で最後となる1年に懸ける思いは、「誰よりも強い」と自負している。

最後の1年に懸ける思いは強い(撮影・杉園昌之)

「引っ張っていくというよりも、チームを勝たせたい気持ちが一番強いです。個人的には早くにプロから内定をもらいましたが、蹴球部としては何も結果を残せていません。僕が入学してから一度もタイトルを取っていないので。1年時から試合に出ている僕には責任があります。筑波大のために力になれることがあれば、何でもやりたいと思っています」

高卒でプロ入りをめざしたが……

複雑な感情を抱いたまま入学した頃がうそのようである。神戸の下部組織に所属していたときは、高卒でプロ入りすることしか考えていなかった。高校2年時からJリーグに出場可能な2種登録選手としてトップチームのメンバーリストに名を連ね、U-16(16歳以下)日本代表の司令塔として、2018年のU-16アジア選手権では優勝に貢献。そして進路が決まる高校3年の夏、神戸市内にあるクラブハウスに呼ばれた。何も知らされずに通された部屋には、当時のアカデミー部長とトップチームの強化スタッフが顔をそろえていた。あの夜の情景は、いまだに忘れることができない。

「『昇格させる決断には至らなかった』と言われ、その場で泣き崩れてしまって……。人前であんなに涙をこぼしたのは人生で初めてでした。部屋を出たあともクラブハウス内のトレーニングルームでまた嗚咽(おえつ)を漏らし、ずっとメソメソしていました」

2019年当時の神戸は、スペイン代表のアンドレス・イニエスタを補強したばかり。そのほかにも、中盤には日本代表の山口蛍ら実力派がズラリと並んでおり、17歳のユース昇格組が入り込む余地はなかった。同年10月にはU-17日本代表として、2019年のU-17ワールドカップに出場したものの、評価が覆ることはなかった。本人は高卒でのプロ入りを簡単に諦めきれず、他クラブの可能性を探ることも考えたが、最終的には両親らの意見を聞き入れて、大学に進む道を選択した。

「神戸U-18の後藤雄治コーチ(現・アカデミーダイレクター)が筑波大大学院出身だったこともあり、夏前に筑波大の練習に2日間だけ参加していたんです。当初は筑波大に進学するなんて思いもしなかったので、素晴らしい練習環境を見ても、入りたいとは思っていなかったです。その後、AC入試を受けたのですが、正直、どこか納得しないまま入学したのが本音です。本当にこれでいいのかなと思っていました」

高校時代は筑波大に進むことを想定していなかった(提供・関東大学サッカー連盟/飯嶋玲子)

大学2年目、早くも古巣から声がかかった

半信半疑で筑波大の門をくぐったものの、しゃにむに練習に取り組んだ。4年後のプロ入りを見据え、技術面の向上だけではなく、体作りも徹底して強化。けがを予防するために栄養面に気を使い、筋力トレーニングにも励んだ。目の前の試合に100%の力を注ぐことだけを考え、1年目からピッチで躍動。U-17ワールドカップに出場した同じポジションの藤田譲瑠チマらが高卒1年目からJリーグで活躍する姿を見て、刺激も受けていた。

「やはり、負けたくない気持ちはありました。常日頃から高卒でプロに進んだ同世代の選手たちを追い抜く気持ちを持ち、大学でプレーしていました」

迎えた大学2年目のシーズン。早くもJ1クラブからのオファーが舞い込んだ。予想もしない早い時期に声を掛けてくれたのは、中高6年間を過ごした神戸。大学生活が半分以上も残っていたものの、じっくりと考えて2年生が終わる頃には答えを出した。2022年3月31日、2024年の加入内定が発表され、Jリーグに出場可能な特別指定選手としてもチームに登録された。

「サッカー選手としてのキャリアを考えて、早い決断を下しました。チャンスがあれば、Jリーグでもプレーしたい。僕はパリ五輪世代ですし、プロの試合に出場すれば、少しでもその場所に近づけるかなと思って。いまもテストマッチのメンバー発表があるたびに名前がないと、悔しさを感じます」

大学2年目で古巣の神戸から早くもオファーが届いた(撮影・杉園昌之)

野心を抱きつつも、神戸への内定が決まってからは心境の変化が生まれた。それまではプロサッカー選手になることに邁進(まいしん)してきたが、ふと立ち止まって考えた。すると、筑波大への感謝の思いがあふれてきた。サッカーに集中して取り組めているのは、周囲のおかげ。チームを陰で支える主務やマネージャーら裏方の仕事、公式戦に出場できない選手たちのサポートや応援にも、頭が下がる思いだった。

「僕は仲間がいなければ、何もできないということを分かっていなかった。プロは自分のために100%の力を注げばいいかもしれないですが、大学は違います。大会運営、選手登録、宿泊、移動の手配など、すべて同じ学生がしています。大学で仲間の大切さに気づけたのは本当に良かった。いまの僕の強みは、良い仲間たちがいること。仲間のため、筑波のため、誰かのために戦えば、すべて自分に返ってくるのかな、と思えるようになりました」

筑波大にタイトルを残すことがミッション

チームをまとめるために献身的に働くキャプテンたちの背中からも影響を受けた。思い返せば、2020年度の知久航介(現・ガイナーレ鳥取)、2021年度の小林幹(現・ヤングライオンズ=シンガポール)、2022年度の栗原秀輔(現・アスルクラロ沼津)らの存在は大きかった。

「僕が筑波のキャプテンになりたいと思ったのも、あの3人を見てきたからです。先輩たちの分まで、狙えるタイトルをすべて取りたい。2017年以来の関東大学1部リーグ、2016年以来のインカレ、1992年以来の総理大臣杯、そして天皇杯でも勝ち進みたい。難しいことは分かっていますが、結果を出すことで喜んでもらえるのかな、と思います。筑波大にタイトルを残すことが、僕の4年目のミッションです」

まもなく、勝負のシーズンが始まる。関東大学1部リーグは例年、4月に開幕予定。山内は責任ある腕章を腕に巻き、名門復活のために身を粉にして戦うことを誓う。

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