サッカー

連載: プロが語る4years.

東日本大震災で転居、サッカーで生きていけると思えなかった 川崎F・山根視来(上)

山根は桐蔭横浜大に進んでから初めてプロを意識したという(撮影・伊藤進之介)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子サッカー日本代表としても活躍するDF山根視来(みき、28)です。桐蔭横浜大学を卒業後、2016年に湘南ベルマーレへ、20年からは川崎フロンターレで戦っています。2回連載の前編は中高時代の挫折を経て、桐蔭横浜大に進んだ1年目についてです。

サッカーは高校までのつもりだった

都市部の喧騒から離れた静かな横浜郊外。緑に囲まれた桐蔭横浜大のキャンパスに足を運ぶと、大きな垂れ幕が目に飛び込んでくる。「祝・サッカー日本代表選出、OB山根視来」。サッカー部にとっては本格的に活動を開始した1998年以来、初となる快挙だった。

卒業生のうれしいニュースにはまだ続きがある。昨年3月25日、韓国代表との親善試合で日本代表デビューを飾ると、初ゴールも記録した。20年から川崎フロンターレの主力としてJ1リーグの2連覇に貢献し、その後もコンスタントに代表に招集されている。今や日本で押しも押されもせぬ右サイドバックだ。

運命にいざなわれるように桐蔭横浜大に入学した18歳の山根は、今の自分の姿をまったく想像できなかったという。

11年3月11日、当時通っていた茨城県のウィザス高校(現第一学院高等学校 高萩本校)で東日本大震災に見舞われ、学校の指示に従って親元の神奈川県横浜市へ戻ることに。自ら地元でサッカーの練習場所を探す中、自宅からほど近い距離にある桐蔭横浜大が受け入れてくれることになった。トレーニングに参加させてもらい、推薦入学のセレクションを受ける機会に恵まれると、見事にチャンスをつかみ取る。当時の桐蔭横浜大は関東大学2部リーグに所属していた新興チームだったものの、迷いはなかった。

「あの頃の僕にとっては、関東2部でも十分に魅力的でした。そもそも高校を卒業して、サッカーをやめようかと思っていたくらいなので。普通に大学に通うか、それとも就職しようかと考えていました」

大学入学前、プロ内定の先輩に触れ

限界を感じていたのだ。ジュニアユース(中学生年代)までは東京ヴェルディの下部組織でプレーしていたが、ユース(高校年代)に上がるタイミングで一度ふるいにかけられ、新たな道として選んだウィザス高校でも目立った実績を残せていなかった。山根は自らが置かれている厳しい状況を理解し、諦めかけていた。

「強いとはいえない茨城県内でも突出した存在ではなかったですから……。自分が昇格できなかったヴェルディユースのうまい選手たちでさえプロになれていない現実を見て、これは僕が行ける世界ではないな、と思ったんです」

高校生のうちから桐蔭横浜大で練習するうちに、推薦入学のチャンスに恵まれた (C)JUFA/REIKO IIJIMA

それでも、桐蔭横浜大で練習していると、はるか遠くに見えていた場所のレベルを肌で感じることができた。3学年上の野上結貴(現サンフレッチェ広島)は、3年生の12月にJ2の横浜FCに内定。Jクラブのキャンプから戻ったばかりの選手と一緒にボールを蹴った経験は大きかった。

「プロ入りが決まっている選手と同じチームで練習するのが初めてのことだったんです。あれで少しプロを意識するようになりましたが、自分もなれるという感覚はまったくなかったですけどね」

準備だけは怠らないように

入学後、いきなりAチームに抜擢(ばってき)され、関東大学2部リーグでは開幕戦からスタメン出場が続いても、まだ半信半疑だった。大学サッカーで通用する手応えは感じていたが、先輩たちを差し置いて、1年生から試合に出るほどの実力を備えているとは思えなかったのだ。改めて当時を振り返り、胸を張って大きな声で言えることは一つ。

「目の前の練習を一生懸命やり続けました」

たとえ長期のオフがあっても、練習を再開する初日には全力で動けるようにコンディションを調整した。東京ヴェルディの下部組織に所属していた中学生の頃にオフ期間中に何もせずに練習に臨み、失敗した経験があるからだという。それ以来、今に至るまで自己管理を徹底している。

「何もせずにそのまま動ける人もいますが、自分はそういうタイプではありません。そこまで身体能力が高くないですし、不安になるんです。僕は人よりも動く量が多くないと話にならないので。普段の練習から人よりも動かないと、何もできない選手になります。だから、準備だけは怠らないようにしていました」

山根は準備を徹底し、1年生の時から結果を出してきた (C)JUFA/REIKO IIJIMA

「大学の壁」に苦しむルーキーが多くいる中、山根はシーズンを通して、レギュラーの左サイドハーフとして活躍。高校時代は主にボランチだったが、本人も自覚していなかった攻撃力を八城修監督(現総監督)に評価された。「自分がドリブルもできるなんて、思ってもみなかったです」

左サイドから中央に切り込み、右足で強いシュートを打つ形は明けても暮れても練習した。大学1年目から意識したのは、ゴールに向かうこと。すると、前期リーグの2試合目となった東海大学戦(4月14日)で決勝点をマーク。後期リーグは初戦の拓殖大学戦(9月15日)で貴重な同点弾、1部昇格を争う駒澤大学戦(10月28日)でも勝ち越しゴールを挙げるなど、要所で結果を残した。桐蔭横浜大初の関東大学1部リーグ昇格に貢献し、チームとともに着実に成長していた。一度ドロップアウトしそうになったのが嘘(うそ)のようである。もはやただの無名選手ではなかった。

そして、迎えた大学2年目。「プロ予備軍」とも言われる強豪チームが集う1部リーグの舞台へ。どん底から一気に上り詰めてきた山根は、いきなり衝撃を受けることになる。

桐蔭横浜大で挑み続け、4年目の天皇杯でプロへの道が開けた 川崎F・山根視来(下)

プロが語る4years.

in Additionあわせて読みたい