バレー

連載: プロが語る4years.

日体大で芽生えた欲、日本代表として「飛び抜けていたい」WD名古屋・高梨健太(下)

高梨は日体大の先輩たちの姿を見て、Vリーグへの思いを抱くようになったという(写真・ウルフドッグス名古屋)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子バレーボール日本代表として昨夏の東京オリンピックにも出場したアウトサイドヒッター高梨健太(25)です。現在はウルフドッグス名古屋でプレーしています。2回連載の後編は日本体育大学の主将として迎えた最後の全日本インカレ、Vリーグの舞台を経て日本代表として戦う今についてです。

バレーは高校までのつもりだった無名選手が日体大で覚醒 WD名古屋・高梨健太(上)

見本となる先輩の姿を見て

日体大時代を振り返れば、「1年生の時こそ大変だった」と苦笑いを浮かべるが、クラスメートに体操の白井健三がいたり、世界で活躍する同級生と親睦を深めるとともに、多くの刺激も受けた。同級生だけでなく2学年上の先輩には、日本代表のリベロとして東京オリンピックにも出場した堺ブレイザーズの山本智大や、今季東レアローズで主将となった峯村雄大など、手本や見本となる存在もそろっていた。もともと「バレーボール選手になりたい」「日本代表選手になりたい」という欲や目標は抱いていなかったが、身近で努力を重ねる先輩の姿を見る内に、「自分もどんどん上を目指したい」と思うようになった。

そして有言実行とばかりにアンダーカテゴリー日本代表にも選出されるなど、活躍の場を広げる中、迎えた大学生活最後の全日本インカレ。秋季リーグで優勝したのは早稲田大学だったが、高梨が主将として牽引(けんいん)した日体大は準優勝。リーグ戦で唯一、早稲田大に勝利したのも日体大だけ。「最後に必ず日本一になる」と並々ならぬ意気込みを抱いていた。

高梨(右から2人目)は主将としてチームを支え、最後の全日本インカレでは優勝だけを目指していた(写真は本人提供)

大学バレー最後の舞台で残した悔い

だがそこで突き付けられたのは、勝負の世界の難しさ、厳しさだった。

大会が近づく中、みなぎる気合とは裏腹に一人ひとりのコンディションがなかなか整わず、ベストと胸を張るには言い難い状態で全日本インカレの初戦を迎えた。同志社大学には3-0で勝利したものの、2回戦の中京大学戦はフルセットの大接戦。終盤、競り合った場面や繰り広げられるラリーの最中、「持ってこい!」とトスを呼び、自ら決める高梨のスパイクが勝負所で決まり、最終セットは15-11、辛勝の末、勝利を収めた。

トーナメント戦なのだから、どんな形でも勝ちは勝ち。苦しんで勝った分、ここから勢いにつなげていこう。思いは皆同じだった。しかし乱れた歯車は翌日の3回戦でもかみ合わず、福山平成大学に1-3で敗れ、高梨の全日本インカレ、大学生活最後の試合は目標には程遠い、ベスト16で終わった。

「終わったばかりの時は『何もできなくて悔しい』ぐらいしか答えられませんでした。後輩や同期はみんな泣いていたんですけど、僕は悔しいよりも信じられないというか、何しているんだろう、っていう気持ちの方が強かった。だから泣けなかったです。でも、時間が経って振り返ると、自分自身も準備して切れていなかったかもしれないし、ベストな状態で臨めていたらもっと違ったんじゃないか。そういう後悔がものすごくあります。タラレバですけど、今でもいろんなことを思い返す。苦い思い出ですね」

あまりの喪失感に、全日本インカレを終えてからは心が折れかけた。だが、高校、大学と自らの意志よりも周囲の勧めで進路を選んできた高梨が、初めて「ここに行きたい」と選んだのがVリーグ、ウルフドッグス名古屋。新たな出会いを経て、高梨は成し遂げられなかった悔しさをも乗り越えさせ、次のステージへ進む大きな一歩を踏み出した。

東亜大だった大宅真樹(現・サントリーサンバーズ)と。今は日本代表としてともに戦っている(写真は本人提供)

攻撃中心の選手から攻守の要の選手へ

学生時代までと異なり、高梨が入団時にウルフドッグス名古屋を率いたのはフィンランド人のトミー・ティリカイネン監督。バレーに専念できる環境の中で、疑問をぶつければいくつもの答えを与えてくれる監督の存在は新鮮で刺激的だったと振り返る。

「極端に言えば『これをしなさい』と言われたこと以外、最初はどうでもいい、と。例えばレシーブの時に腕をまっすぐ伸ばしてとる、と言われたら意識するのはそこだけ。返った、返らないという結果ではないので、まっすぐになっていなければボールがセッターに返っても違うと言われるし、逆に返らなくても腕がまっすぐになっていればOK、と与えられるフォーカスポイントが明確なんです。何を意識するかだけでなく、自分の引き出しも増えるし、言われたことをやり続ければ必然的にうまくなる。トミーとの出会いは、すごく大きなものでした」

大学時代までは攻撃中心だったが、ウルフドッグス名古屋では攻守の要として活躍。2020年には日本代表にも選出された。代表には同世代で活躍してきた選手も多くいたが、「周りを意識することなく、自分にできることをやって、1日1日ベストを尽くすだけ」と真摯(しんし)に向き合い、練習に取り組んだ成果は結果にもつながった。

初の五輪「バレーをやっていて良かった」

昨夏には日本代表の12人にも選出され、東京オリンピックにも出場。全国大会出場が目標だった高校時代から振り返れば、大学、Vリーグでの成長は目覚ましく、まさにシンデレラストーリーのように階段を一気に駆け上がった感もあるが、高梨自身は最終12人に残るまで不安しかなかった、と笑う。

高梨(右)は東京オリンピックの舞台に立てなかった選手たちの思いも背負って戦った(撮影・北村玲奈)

「絶対に自分が落ちると思っていました。ネーションズリーグの最後、3連戦の前にメンバーを発表すると言われたんですけど、もうその日は朝から本当にヤバかった(笑)。同部屋の山内晶大さん(パナソニック)に『ヤバいっす、僕が落ちても何も言わないでください』って言い続けていたし、山内さんも緊張していたかもしれないけれど、他のポジションを考える余裕がなかった。だから12人に入ったと分かった時は嬉(うれ)しかった。ただ、残りたくても残れなかった選手も山ほどいる。そういう思いを背負って戦わなきゃいけない、いろんな人たちの悔しさがあるからこそ結果を出さなきゃいけない。オリンピックは、そう思いながら戦いました」

初めてのオリンピックは無観客。それでも「雰囲気は全然違って、バレーをやっていて良かった、と心から思った」と振り返る特別な舞台。特に予選グループリーグ最終戦の「負けたら終わり」のイラン戦は拮抗した展開を制したベストゲームで、「あんな経験はないし、あの場にいられたことは自分にとっても特別で、これからにつながる大きなことだった」と振り返るほど。家族や友人に直接雄姿を見せることはかなわなかったが、大学時代の同期から渡された記念Tシャツとボール、メッセージは今でも宝物として大切に部屋へ飾っている。

「やっぱりバレーって面白い」

チーム内での立場や役割は年々増し、求められることが多くなり、うまくいかないことにモヤモヤした感情を抱くこともある。だが存在感は抜群で、ここぞ、という時に頼れる選手であることは間違いない。

ここぞという勝負どころで力を発揮できる選手になる(写真・ウルフドッグス名古屋)

「ここ1点、という時にトスが集まってくる選手、そこで決めきれる選手になりたいと思っています。全部のプレーが平均して、安定した数字を残せる選手になりたいので全部極めたいし、バランスが整っているだけじゃなく、飛び抜けていたい。考えすぎるとうまくいかないし、負けると悔しいから不機嫌になるけど(笑)、でも、やっぱりバレーって面白い。僕はバレーをするだけでワクワクするんです」

目を輝かせ、見据える未来。日体大時代に培った基礎と戦う心を武器に、まだまだ、もっと強くなる。誰よりも、大好きなバレーを楽しみながら。

プロが語る4years.

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