バレー

連載: プロが語る4years.

中3で190cm超え、東北高でバレーを始めてU18代表へ JT広島・小野寺太志1

小野寺は高校からバレーを始め、現在は日本代表としても活躍している(写真提供・JTサンダーズ広島)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子バレーボール日本代表として昨夏の東京オリンピックにも出場したミドルブロッカー小野寺太志(26)です。現在はJTサンダーズ広島で主将を務めています。4回連載の初回はバレーを始めた東北高校(宮城)時代についてです。

「まん丸のおデブちゃん」が野球部で毎日走り込み

身長201cmの小野寺は、今や日本のミドルブロッカーを代表する選手と言っても過言ではない。だが、実は小野寺がバレーを始めたのは高校に入学してから。バレー選手だった両親、特に厳しさを知る母から「バレーボールはやらないでほしい」と言われたこともあり、中学で部活動を始める時の選択肢は野球かサッカー。もともと野球が盛んな東北・宮城出身ということもあるが、野球を選んだ理由は他にもあった。

「子供の頃はすごく太っていたんです。手をグーにしても骨が出ないぐらい、まん丸のおデブちゃんだったから、走るのが苦手で。サッカーよりも野球の方が走らないイメージだったので、野球を始めました」

しかし、思惑は外れる。むしろ野球部に入部してからしばらくはボールに触ることもなく、練習はひたすら走るのみ。朝練から授業後の練習、どちらも学校の外周を走り続けた結果、標準を超えていた体重があっという間に激減した。

小野寺(前から3人目)は中3になる頃には身長が190cmを超えていた(写真は本人提供)

「毎日走り続けてヘトヘトだったので食欲もなくなっちゃって。小学生の頃は朝からカレーをバクバク食べていたけれど、中学に入ってからは5個入りのクロワッサンを1つ食べるのがやっと、という状態になって、身長は伸びるけれど体重は落ちる。その結果、今の体型になりました」

高校からバレー部へ、東京五輪決定に周りも期待

中学3年生になる頃には190cmを超えた。そのまま野球を続けていても大型投手として活躍したかもしれないが、何しろ両親はバレー経験者で父は宮城の名門・東北高校バレー部の出身だ。2mにもなろうかという中学生を放っておくはずがない。高校に入学する時は野球を続けるか、バレーに転向するかを迫られ、小野寺はバレーを選んだ。

同級生は経験者ばかりで、入学当初こそ「何もできなかった」と振り返るが、技術はなくとも高さは武器だ。1年生の時からレギュラーとして出場し、春高にも出場。同じ頃、U18日本代表にも選出され、バレー選手として活躍の場が一気に広がったが、小野寺自身は戸惑っていた。

「俺じゃなくてもっとうまい人がいっぱいいるのに、とはずっと思っていました。試合に出させてもらえるのは嬉(うれ)しいですけど、自分よりすごい同級生や先輩はたくさんいる。大きいだけで選ばれているんだろうな、と思うと複雑でした」

東京オリンピックの開催決定に周りからの期待も高まったが、当時の小野寺はそんな未来を思い描けなかった(写真は本人提供)

高身長だから選ばれる。確かに勝つため、日本の将来につながるため、と考えれば名門校で1年生の時からレギュラーになるのも、アンダーカテゴリー日本代表に選出されるのも納得だが、更にもう1つ、小野寺の高さに期待が集まる理由があった。

2020年の東京オリンピック開催が決定した2013年、当時小野寺は高校3年生。

「お前はオリンピック選手になる、と周りの方に言われて、ありがたいですけど、何をおっしゃいますやら、と(笑)。だってバレーボールを始めて2、3年のひよっこがオリンピックなんて、ありえないどころか考えもしませんよ(笑)」

東日本大震災を経験、“当たり前の日常”に感謝

周囲の反応も様々で、期待して、応援してくれる人たちが多くいる一方で、「でかいだけなのに」とやっかまれたのも事実だ。ただでさえ目立つこともあり、先輩から厳しく当たられることもあったが、簡単にバレーをやめようと思わなかったのは、中学3年生で経験した東日本大震災も大きい。

2011年3月11日。中学の卒業式が午前中に終わり、夕方から野球部の幼なじみの家族で温泉旅行に出かける準備をしていた。宿で食べるお菓子や飲み物を買い、あと10分後に出発しようか。そう話していた矢先、突然、大きな揺れに見舞われた。仙台の実家は高台にあり、津波の被害はなかったが、父の気仙沼の家は流され、中学の音楽教諭も亡くなった。

近隣にある飲料工場から飲料を避難所に配ったり、中学の同級生たちと地域のボランティア活動にも参加したりした。それでも当時は「大きな地震があった」という事実だけで、生活に困ることはなかったが、家族や自宅を失った人も多くいる。当たり前の日常は、決して当たり前ではなかったと後になってから実感した、と当時を振り返る。

東日本大震災での経験も、バレーを頑張ろうという気持ちに向かった(写真は本人提供)

様々な経験を重ね、全国大会や世界大会にも出場した。厳しいことも、苦しいこともあったが東北高校での3年間、バレーを始めたことに後悔はなく、卒業後は東海大学へ。関東1部でバレーの強豪であり、多くのOBを日本代表にも輩出している東海大で、小野寺のバレー選手としての新たなスタートが切られることとなった。

プロが語る4years.

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