バレー

連載: プロが語る4years.

東海大1年目に感じた先輩との絆、“できる”という自信 JT広島・小野寺太志2

小野寺は1年生の時からメンバー入りを果たした(写真は本人提供)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子バレーボール日本代表として昨夏の東京オリンピックにも出場したミドルブロッカー小野寺太志(26)です。現在はJTサンダーズ広島で主将を務めています。4回連載の2回目は東海大学1年目についてです。

中3で190cm超え、東北高でバレーを始めてU18代表へ JT広島・小野寺太志1

早朝から始まる1年生の務めが苦ではなかった理由

仙台から上京し、東海大へ。全国大会やU18日本代表で友人も増え、誰がどの大学へ行く、ここは厳しいらしいなど、それなりの情報はあった。だが入学して間もなく、小野寺は入学前に想像していた「大変だろう」が、実際ははるかに上回ることを実感した、と振り返る。

「上下関係もちゃんとあるのは分かっていたし、それは高校時代にも経験していたので戸惑いはありませんでした。でもつらかったのは朝練。バレーの朝練というよりも、下級生としてスムーズに練習を回すための仕事を確認して、完璧にやらないといけない。それが一番きつかったです」

1年生の集合は全体練習が始まる1時間半前。8時からの朝練に備え、6時半には体育館へ行き、ボール拾いやボール回し、濡(ぬ)れた床のワイピングやネットやアンテナを立てる準備。当然ながらバレーを始めてからずっと、当たり前のこととしてこなしてきたものではあるが、求められる精度やスピードが圧倒的に違う。

万が一床を拭く時に選手とぶつかってしまったり、ボール回しやボール渡しがうまくいかなかったりしたら、午後の授業を終えて全体練習が終わってからのミーティングで反省会。寮へ戻って食事や入浴を済ませ、一息つく頃には0時を回っていたことも数えきれず、翌朝はまた6時半に体育館へ行かなければならない。睡眠時間は圧倒的に足りなかったが、「つらい」と言いながらもさほど苦ではなかったのには理由があった。

「僕らだけが特別ではなく、歴代の先輩方もやってきたことで、これが伝統としてつながっているんだなと思ったら、全然苦じゃなかったです。だって、『(東海大OBの)清水(邦広、現・パナソニック)さんも同じことをしていたんだ』と思えば、今こうして頑張る時間がそこにつながっているんだ、と自然に思いますよね。眠いし、大変なのは大変だったんですけど、でもちょっと、そういう偉大なOBの方々と同じことをしている、というのは不思議と嬉(うれ)しくもありました」

歴代の先輩たちもやってきたことだと思うと、小野寺(左上)は雑用も苦には感じなかった(写真は本人提供)

卒業した今、Vリーグには同じ東海大を卒業した選手が多くいる。清水だけでなく、JTサンダーズ広島でもともにプレーするOBや、対戦相手の先輩、後輩。「東海大の“絆”っていうのかな。僕もその中の1人であることは、誇らしく思います」

入学からほどなくして捻挫、それでも「やればできる」

高校での3年間がバレーをスタートさせた時間ならば、大学の4年間はバレー選手として大きく飛躍した時間でもあった。

同期や先輩、周りを見渡せば全国優勝や、経験豊富な面々がそろう中、自分はU18日本代表に選出されているとはいえ、まだ何も成し遂げたわけではない。むしろバレー選手としてのキャリアも浅く、入学当初は試合に出られるのは当分先だと思っていた。だが同期で同じミドルブロッカーの選手がけがをし、試合出場の機会を逸する。2学年上のミドルブロッカーの選手が軸となっていたが、「自分も頑張れば、もしかしたらチャンスが来るかもしれない」と思った矢先、早速機会が巡ってきた。

入学して間もない春季リーグに向け、試合を想定した練習が始まる。徐々に小野寺の出番も増え始め、レギュラー入りも夢ではない。気合を入れて練習に臨んだが、足首を捻挫してしまい、十分な練習ができなくなった。せっかくつかみかけたチャンスを逸する。悔しさはあったが、同時に「やればできる」と手応えもあったと振り返る。

「大学に入ってすぐ1年生がレギュラーになるのは、よっぽどの力がなければ無理だと思っていたんです。そもそも自分はヘタクソだと思い続けてきたから、自分が試合に出られるのはずっと先のことだと考えていたけど、でも捻挫をする前はメンバーに入れてもらえて、それなりに“できる”と自信もつかめた。1年生でも、自分でも出られるんだ、と気合が入ったし、1年生だからと謙遜するのではなく、東海大で勝つために頑張ろうと真剣に思うようになりました」

小野寺は自分を「ヘタクソ」だと感じてきたが、1年目から少しずつ自信が持てるようになった(写真は本人提供)

「日本一」という目標に立ちふさがる壁

捻挫は順調に回復し、春季リーグの最終戦に出場機会を得た。勝てば2位、負ければ5位。デビュー戦がいきなり重要な試合になったが、自身にとっての初陣を見事に勝利で飾り2位。以後、東日本インカレや秋季リーグ、全日本インカレなど着実に経験を重ね、自信も増していく。

高校時代は少し遠い場所にあった「日本一」の目標も夢ではない。だが現実は、届きそうで届かない。なぜなら、そびえ立つ壁があったから。

小野寺にとって、星城高校時代に2年連続三冠、計六冠を成し遂げ、大学入学後もすぐにタイトルを総なめにした同級生、石川祐希(当時・中央大、現パワーバレー・ミラノ)の存在は、常に意識したくなくても意識せざるを得ない存在だった。

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第3回は明日3月26日に掲載します。

プロが語る4years.

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