バレー

連載: プロが語る4years.

子供たちが「日本代表になりたい」という夢が持てる未来を JT広島・小野寺太志4

小野寺(右から2人目)は東海大からJTサンダーズ広島へと進み、今季は主将も務めている(写真提供・JTサンダーズ広島)

今回の連載「プロが語る4years.」は、男子バレーボール日本代表として昨夏の東京オリンピックにも出場したミドルブロッカー小野寺太志(26)です。現在はJTサンダーズ広島で主将を務めています。4回連載の最終回は東京オリンピックを経ての今の思いです。

東海大でのラストマッチも、相手は石川祐希率いる中央大 JT広島・小野寺太志3

「見上げていた」選手たちと戦えているという自信

ワールドグランドチャンピオンズカップ、アジア大会、世界選手権。毎年続けて日本代表に選出され、数多くの国際大会を経験しても小野寺は、心のどこかで「自分は周りの選手よりもずっと下にいる」という意識が消えなかった。

一変したのは、2019年に男子バレー日本代表が4位と躍進を果たしたワールドカップだ。その半年前、JT広島での2年目のシーズン、小野寺はVリーグ全体でのブロック、スパイクランキングでともに2位となり、チーム成績も2位。それまでは同じ日本代表でも年齢やキャリアで上回る山内晶大(パナソニックパンサーズ)や李博(東レアローズ)、高橋健太郎(東レアローズ)を「見上げていた」と言うが、同じVリーグのステージに立ち、個人、チームで共にそれなりの成績を残せた自負もあった。

「周りの選手がすごいことは変わらないです。でも自分も同じステージで戦うことができた。だったら負い目を感じることはないのかな、と初めてその時に思えました」

中垣内監督からリーダーシップを求められ、東京五輪へ

Vリーグで得た自信と、中垣内祐一監督やフィリップ・ブランコーチからのアドバイスをワールドカップで実践する中、それまでとは確実に違う手応えを得た。国内のライバルのみならず、世界の猛者を相手にしてもブロック、スパイク、全く歯が立たないというわけではない。もっとできるかもしれない。同じ頃、中垣内監督から言われた言葉も小野寺の自信となった。

「ミドルとしてプレーはもちろん、ポジションの中でリーダーシップを発揮するような選手になってほしい」

プレーだけでなく、ミドルの中でもリーダーシップを、と期待してもらえるんだ。その言葉が力になり、年齢が下だから、キャリアで劣るからと臆することなく、自分の武器を発揮すればいいと思うようになった。まずはプレーで存在感を発揮し、プレー以外でも自分に貢献できることがないか。そう考えるようになったら少しずつ視野も広がった。東京オリンピックは1年延期したが、その期間も自分にとっては更にレベルアップへとつながる時間を前向きにとらえ、JT広島のみならず、日本代表でもミドルブロッカーの中心選手へと成長を遂げ、21年に開催された東京オリンピックにも出場した。

小野寺(左)は東京オリンピック代表に決まり、広島県の湯崎英彦知事を表敬訪問(撮影・東郷隆)

開催が決まった高校生の頃には「自分が出られるはずがない」と思っていた大会に、日本代表のユニホームを着て挑む。全ての戦いが刺激しかなかった、と振り返る。

「あの緊張感は今まで感じたことがありませんでした。負けたら終わりという試合でイランに勝って、決勝トーナメントに進むことができたけれど、ブラジルには勝てなかった。今までは漠然とオリンピックに出たい、オリンピックで勝ちたい、メダルを取りたいと思ってたけれど、その場所に立って、改めて世界で勝ちたい、勝負したいと思うようになったし、世界との差を埋めて、パリ(オリンピック)では絶対にメダルを取りに行きたい、と本気で思うようになりました」

プロ選手として活躍すると共に、バレーの魅力を伝えたい

東京オリンピックを終え、昨年9月、小野寺はプロ選手になったことを発表した。所属はこれまでと同様にJT広島で、今季は主将も務めるが、1人のプロバレー選手として覚悟と責任を持つ。自らにプレッシャーをかけ、更なる飛躍につなげるための決断でもあった。

もっと高く跳びたい。1本でも多くスパイクを決め、ブロックで相手を仕留めたい。プレーの面はもちろんだが、プロ選手になり最も大きく意識が変わったのは、いかに競技の魅力を伝えることができるか、ということだと小野寺は言う。

「オリンピックでバレーボールに注目してくださる方が増えたからこそ、もっと人気を高めたいし、競技人口を増やせるように、今まではなかった発想で自分ができることをやっていきたい、と考えるようになりました」

出身地の仙台はもともとバレーが盛んで、何度も全国優勝を成し遂げた母校・東北高校(宮城)の存在も大きいが、近年は漫画『ハイキュー!!』の舞台としても有名になった。だが、その要素をもってしても、現実に目を向ければ男子バレー部やチームの数は減り、特に中学生で競技を離れてしまう選手が多い。1人でも多くの子供たちがバレーに触れ、長く続け、「日本代表になりたい」と夢を抱き、追い続けるために。小野寺には描く未来がある。

小野寺は世界の舞台で活躍するだけでなく、子供たちにバレーの魅力を伝えることも自分の役割だと感じている(写真提供・JTサンダーズ広島)

「日本代表がいい成績を残したり、(石川)祐希(パワーバレー・ミラノ)がイタリアで活躍しても、実際にバレーボール部がない、バレーボールができる環境がなければ広がっていかないので、クラブチームでもスクールでもアカデミーでも、やりたいと望む子たちがバレーボールに触れられる機会、場所をつくりたい。最初は小さいスタートでも、1つずつ、自分にできること。今までにないような新しいことをどんどんやっていきたいと思うんです」

そのためにも、1人の選手として確固たる存在でありたい。オリンピックを経験したことで、新たな欲、目標もできた。

「日本のミドルは小野寺だよね、と言ってもらえるような選手になりたいし、常に一番高い評価をしてもらえる選手でありたい。目標はもっともっと大きく持ち続けたいです」

まだまだ、ここから。描く未来を現実にするために、小野寺太志の挑戦は続く。

プロが語る4years.

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