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特集:いざ、東京オリンピック・パラリンピック

川崎・旗手玲央 順大の伝統“絆”で学び鍛えた日々を胸に、どん欲に成長し続ける

旗手(中央)はルーキーイヤーに31試合出場5得点という活躍で、チームの優勝に貢献した(撮影・朝日新聞社)

昨シーズンのJリーグ1部(J1)を圧倒的な強さで制した川崎フロンターレで、旗手玲央(順天堂大卒)はルーキーながら優勝に大きく貢献した。同期の三笘薫(筑波大卒)とそろって交代出場した開幕戦から、ウィングやインサイドハーフとして31試合に出場して5得点。その活躍の下地には、大学4年間での大きな変化と成長があった。

覚悟を決めて静岡学園高校へ進学

少年時代の旗手にとって、ヒーローはいなかった。最初はサッカー少年でさえなかった。

スポーツ一家に育ったが、テレビでサッカー観戦をした記憶はない。最初に親しんだボールは、野球のものだ。父が名門・PL学園で全国準優勝した元高校球児であったことを考えれば、ごく自然なことだった。母が学生時代にプレーしていたため、姉と一緒にテニスクラブにも通った。

サッカーとの出会いも自然だった。「小学2年生までは野球をやっていたんですけど、周りの子がサッカーをやっていて、一緒にやって楽しいなと思い始めると、いつの間にかサッカーに熱中していました」。ただし追っていたのはプロのプレーではなく、自分たちが蹴るボールだった。

旗手(左)は覚悟を決めて静岡学園高校に進学したが、当時はまだ、プロへの思いはなかった(撮影・安本夏望)

ジュニアチームに続いてFC四日市でプレーしていた中学時代には、漠然とプロになりたいと考えるようにはなった。越境しての静岡学園高校への進学も、「覚悟はありました。プロになりたいという思いがあって、静学を選択したことは覚えています」というものではあったが、まだプロ選手になる自分を明確にイメージすることはできなかった。2年生で全国高校選手権8強を経験した高校時代にも、具体的なビジョンには到達しなかった。

名古新太郎さんに公私ともに支えられ

順天堂大学に進んで迎えた18歳の夏、一気に視界が開けた。舞台は関東第8代表として臨んだ総理大臣杯。1回戦の九州国際大学戦の前半アディショナルタイムにチーム初得点を決めて幕を上げると、4試合で5得点を重ねてチームを決勝へと導いた。「イケイケだった」と振り返る大会で、「プロ」という言葉が一気に体の中で実感を増した。

同時に、考え方も変わった。「そこから、どのチームにいけるか、どのランクまでいけるかとすごく考えるようになりました。J1のトップの中のトップにいきたいと思った時に、まだだなと思ったんです」。関東大学リーグでは9得点を挙げ、新人賞に選ばれた。それでも、「どこまでいけるのかと、自分自身への期待がありました。新人賞をいただいた時にも、『まだまだいけた』という思いがありました。リーグ戦で得点が2ケタに届かなかったことが、すごく悔しかった」という精神が備わっていた。

そして、自身を引き上げてくれる「メンター」がいた。1学年先輩の名古新太郎(現・湘南ベルマーレ)である。静岡学園時代からの先輩である名古とは、いろいろな話をした。私生活の話もしたが、ほぼ毎試合後2人で出かける食事の際は、話題はサッカー一色だった。

「名古さんも大学入学当初はFWだったので、守備の仕方など動きを教わったりしました。僕のプレーを理解してくれているので、名古さんの存在はすごく大きかったと思います。答えじゃなくて、ヒントを与えてくれる存在だったと思います」

旗手(中央)は先輩の名古新太郎にサッカーだけでなく、人間としても成長させてもらった(撮影・安本夏望)

新人賞にも慢心せず、気持ち新たに臨んだ2年生でのリーグ戦開幕戦。旗手の背中に稲妻が走った。前年王者。明治大学とのゲーム中のことだった。「もう試合に出なくていいぞ! 出ていけ!!」。自分のプレーをうまく出せずにいら立ち、ついチーム内で果たすべき役割をさぼった旗手に、名古が雷を落としたのだ。

「その後、名古さんとはその話をしませんでしたが、『オレ、あまりチームのためになっていないな』と思いました。その出来事で変わりました。勝ち負けにこだわって気持ちを大きく左右されるのではなく、自分を成長させようと考えるようになりました」

3年生で川崎内定、それでも「大学でやるべきこと」を考えて

大学入学当初の旗手は、自身に精神的な波があることを自覚していた。5得点を挙げた前述の総理大臣杯は、一番悔しい思いを残した大会でもある。準決勝まで「イケイケだった」反面、決勝ではチームも無得点のまま敗れている。その相手も、明治大だった。「決勝だけゴールを決められなくて。本当に何もさせてもらえずに終わった試合。あの衝撃は大きかったですね」。裏返せば、強いメンタリティの重要性を認識させられる試合でもあった。

ただプロになるのではなく、トップにたどり着く。その目標をぶれない精神で追う日々が続いた。

2年生のリーグ戦では、チームととともに自身も得点ランクで2位につけた。年代別の日本代表にも入り、3年生の夏には川崎フロンターレ入りが内定した。前年にJ1初優勝を果たし、旗手が加入を決めた2018年には連覇を果たすことになる、まさにトップ中のトップのクラブで、プロとして歩み始めることが決まったのだ。

卒業を待たずにプロ入りする考えが、頭をよぎらなかったわけではない。だが旗手には、大学でやるべきことがあると感じられた。「上の世代から教わったことを後輩たちに伝える、ということです」。学年が上がるにつれ、与えられるばかりの立場ではいられなくなった。

上級生として下級生を支えることは、旗手(前列右端)自身の成長にもつながった(撮影・安本夏望)

旗手と名古の関係だけではなく、上級生が下級生の成長を助けようという雰囲気が、順天堂大学サッカー部にはあった。「4年生が1年生を怒ってくれることもありました。自分のことだけではなく、人のことをすごく真剣に考える場所だったと思います」。自身は背中で引っ張るタイプだというが、旗手に声をかけられた後輩が喜んでいたと聞くと、責任感が高まった。

部内には、テストの平均点が80点を切ると丸刈りにするというルールがあった。年代別日本代表への招集などでいくつかテストを受けられず、旗手も頭を丸めたことがある。ワールドカップで生まれた得点をテーマに、卒業論文も書き上げた。「もう少し遊べばよかったかな、とも思います」。そう言って笑う姿が、文武に充実した4年間を物語っていた。

「僕の今後に期待してほしいです」

目指した職場で満足しても差し支えないスタートを切った。それでも、旗手は成長へのどん欲さを忘れない。日本代表入り、海外での挑戦も、視野に入れて然るべき立場だ。今、旗手の目はどんな未来の自分をとらえているのか。

同期の三笘(右)の活躍は旗手の刺激にもなっている(撮影・朝日新聞社)

「目標はありますけど言いません(笑)。そこは僕の今後に期待してほしいです。内に秘めている思いは、表に出したくないんです。謎めいているくらいの方が、ファンやサポーターにとっても面白いですよね。ある程度思い描いているものはあります。本当にわずかですが、去年1年間を過ごして、目標に向けて得られているものはあるなと感じています」

未来のヒーローの姿が、旗手の目にはしっかりと映っている。

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